めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

決して幸せに成れない多くの日本人

2018-06-20 15:19:38 | 日本人

やったもん勝ち、という言葉が有りますが、今の日本は、欲望に任せて
他人よりも先に何でも手に入れた方が社会的に認められていく傾向が有ります。
例え、法的にルールに則って行われたこととはいえ、力ずくで有ったとしても
勝者であるならば、社会的に地位が高ければ許される黙認されてしまうと言う
悪習が世の中にまかり通っています。

特に、社会的に地位が高ければ、権力に任せて、我儘をする事が許され、例え
不祥事、不義理で有ろうと、力を持っていれば許されるとする社会傾向が有り
国民の上に立つ様な人でさえ、都合が悪くなると、知らぬ存ぜぬを繰り返し、
最終的には、記憶に無いと開き直ります。
グレーゾーンがブラックと成ったとしても、全く悪びれる素振りすら見せず、
余りの太々しさに、気の優しい国民は、諦めさせられるのが常と成っています。

どんなに悪い事をしたとしても、国民の関心が他に移れば、無罪放免と言うのが
これまでの日本社会の姿で有り、多少咎められようと、少し自重して、
ほとぼりが冷めれば、何事もなかったかのような面構えで国民の前に現れます。
また、国民の関心を多く集めた事件で有ればなおさら、マスコミが利用する事で
犯罪を起こしたことでより知名度が上がり、逆に、帰って来たヒーローの様に
取り沙汰される事も有ります。

日本人は、昔から礼儀正しく、正義感溢れる民族であると言われる一方、
人が見ていなければ、見つからなければ、何をしても良いとする人も
少なくありません。

組織によって悪事を隠ぺいする例も多く、赤信号、みんなで渡れば怖くない、
と言った、個人的にとがめられなければ、悪い事をしても大丈夫とする
考え方をする人もいて、集団的な暴力は、ネット社会に成っても変わらず、
個人名が明かされなければ、
幾らでも言葉の暴力を平然と並べ、著名人だけでなく、
一般の人達でさえ、炎上と言う形で、イジメられる事は珍しくありません。

この事は、日本社会が抱えるストレスの表れとも言え、様々な世界に於いて、
イジメ、嫌がらせ、差別、シカトと言った行為は当たり前であり、マスコミが
頻繁に取り上げるようになった、パワハラ、セクハラは、今に始まった事ではなく
日本社会に於いては、昔から当たり前のように存在していたのです。
この事は、人々が、世の中の発展と共に、次第に、凶悪に成り、殺伐とした世の中に
成ってしまったと言うより、多くの国民が、生活に対人関係に、多くのストレスを抱き
そのはけ口として、自分の周囲の弱い対象に対して悪質な行為を行う様に成ったと言えます。

つまり、日本国民は、経済的に豊かに成ったといえ、心が一向に癒されず、特に、対人的に
他人と関わる事に関して、成長できなかった事が、様々な問題を生む事と成ったのです。
一人一人の個人的価値は認められず、社会的価値として人の優劣の判断が成される事に依り、
国民の心に、常に、対人的に不満と不安が蓄積する事に成ったのです。

学生の頃から、人間としての価値より、成績による優劣が先行し、社会に出た時も
一人の人間としての価値というより、社会的な地位や名誉、財力と言った価値が優先し、
どんなに卑劣な性格で有ろうと、我儘な考えの持ち主で有ろうと、社会的な価値を認めらえ
他人の上に立つ地位であるならば、人間として優れているとされる判断に、多くの人々が
日頃から苛立ちと怒りを感じ、更には、不条理な事や不義理を示されると、更なる憤りが
心に大きなストレスと成り、その結果、我儘が言える地位と成ったとたん、自分が強く
否定していた人達と同じ行いを繰り返す事になるのです。

つまり、学生たちに蔓延するイジメの被害者は、いずれ、加害者となる事が多いのです。
多くの社会問題や犯罪は、悪い行いをする人達が起こすと言うよりも、誰もが、同じ誤りを
繰り返す傾向があるのです。
政治の世界に於いて、新人議員が、ベテラン政治家の悪事に強く反発をしていながら、
数年後に同じ道を辿った例は、これまで幾度となく見て来ました。

生活が豊かな人の行いを、貧しい人達は批判する事が多いのですが、貧しかった人が
一度豊かな生活を多なう様に成ると、自分が批判していた人と同じ事を行っているのを
多く見せられました。
人は、人を批判する時、その人の人としての行いを批判する一方、その地位や経済性に
嫉妬の念を抱いている事があり、その部分を隠しながら、道徳的な部分で、自分達の
正当性を訴える事は珍しくありません。

選挙戦を見ていても、多くの野党政党議員は、与党の政治的不義や議員の政治的落ち度を
前面に出し、自分達の正当性と、現リーダー達の無能さを訴えます。
しかしながら、そんな国民の見方の様な演説を行っても、当選して、政治家としての地位を
確定すると、とたんに、あの政治批判は陰を顰め、自分達の地位の安定を図る様に成るのは
やはり、誰が政治をしても同じと思わせる原因とも言えます。

日本経済社会が生み出した現代日本人は、残念ながら、どんな地位に就こうと、その地位を
守り、自分の生活を第一に考える、人の上に立つ価値のある人が少ないと言えるのです。
政治家に成ろうが、企業家に成ろうが、いかなる職業に就こうと、個人的な満足を得る事が
第一で有って、その考えが、国民を代表して国民の為の政治をしなければならない人達が
陰で、私欲に溺れている原因とも言えます。

小さい頃から勉強に勤しみ、高学歴を身に付けるのは、手段も目的も全て、自分の為の
社会的価値を身に付けるためで有り、人と如何に関わり、どの様に助け合っていくかという
人間教育が成されなかった結果と言えるのです。

最近の若い人達は、知識も豊富で、ネット社会を利用して、様々な事に長ける様に成りましたが
対人的には、全く無知であり、心の成長が追い付いていない人がとても多い様です。
他人とのトラブルを避ける為、というより、自分の利益を失わない為に、必要以上の丁寧さが
まるで、コンビニや量販店の店員の様に、慇懃無礼な振る舞いに感じさせます。

人を見て、相手の心を知り、お互いに心を開き合った付き合いが出来ない方が多く、
ただ、知識からくるハウツーで対人関係を進めようとする為、かえって信頼関係が得られず、
表面的なやり取りに終わっている人が多く見られます。
特に、男女間における二人の心の触れ合いは、お互いの知識が邪魔をしていて、
現実の相手から伝わる様々な答えを得られず、中々自分の思いを伝えられない若者が多いです。

頭の中の妄想ばかりが発達して、相手の気持ちが解らず、ストーカーと成ったり暴力で解決
しようとして犯罪を生んでしまう事も有るのです。
どんなに文明が進歩しても、人と人は、個人的に五感で感じ合わなければ、本心は解りません。
誰にでも共通の社会的常識で相手を判断すると、個人の本当の心が理解できず、思わぬ反発や
怒りを買ってしまう事も有るのです。

ネットが発達して、あらゆる情報は手に入るようになったのですが、目の前の人に対する
正しい判断が出来ない日本人が増えています。
この事は、長年一緒に暮らす家族であっても同じ傾向があり、身近である故に、勝手に自分だけの
一方的な考えを当てはめ、家族として、信頼関係が築けず、まるで他人の様な、疎遠な関係と
なったしまっている場合も多いのです。

その為、自分の行いが、他人にどの様な影響を与えるかが解らず、自分の欲望のままに行う事で
様々なトラブルを生んでしまうのです。
例え、家族であっても、其々が自分の欲望のままに生活を行えば、崩壊するのが当たり前であり
この事は、社会における数々のトラブルや犯罪の原因とも言えます。

角界の問題、レスリングのパワハラ問題、政治家の不祥事、それらに共通する事は、
日本経済社会が生んだ、我儘な言動行動が背景にあるのです。
加害者被害者共に、現代日本社会が生んだ人間的に成長できなかった事が原因なのです。
自分の欲望のままに生きて来た事で、社会的な地位を得たものが、より我儘を通そうとして
トラブルと成ったのです。

被害者加害者が入れ替わったとしても、同じ問題が生じるのが、今の日本社会の大きな問題なのです。
罪を憎んで、人を憎まず、と言いますが、人は、環境で悪人にも善人もなるのです。
より地位の高い人が更なる欲望を見せた事でトラブルを生んだと言えるのです。
やったもん勝ち、は、より社会的に地位が高く成れば許されるとする日本社会の悪癖が
犯罪を生んでいるとも言えるのです。

この温床が有る限り、同じ問題は繰り返され、いつまでも、苦しむ人が生れるのです。
日本人の多くが、経済的に豊かに成ったとしても、心が豊かに成れないのは、
求めて来たものが、経済的価値であったからと言えるのです。
政治家が、経済的豊かさが日本人を幸せにすると考えて居る限り、多くの日本人は、
いつまで経っても、心から幸せに成る事は無いのです。

 

 

 

 



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