羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

高齢者と暮らす……

2016年03月05日 09時05分28秒 | Weblog
 冬の季節、ガスストーブを使うようになるとかならず1、2回は消し忘れが心配になることがある。
 今季も電車に乗ったものの、一駅目で降りて自宅に戻ったことがあった。
 戻ってみると、消えているんですッ。
 野口先生も同じ経験をされていて、外出前には雨戸を閉め、ガスを消し、玄関以外の戸締まりをするときに、ひとつひとつ指差し、点呼をするように声を出して確認する習慣をつけたそうだ。
 ただ高齢者をのこして外出する場合、水道の出しっ放しは、まぁよいとして、ガスのつけっぱなしは深刻な問題だ。

 さて、今週も高齢者の問題が二つニュースになっていた。
 一つは、認知症者の事故責任で最高裁は要介護1の妻と長く別居している長男に対して、責任無しの判決を出した。
 他人事とは思えず、新聞やテレビのニュースに、目を見開き、耳をそばだてている自分に気づいた。
 認知症の親が起こした事故では、親族は保護責任を負い、時に賠償責任が課せられることもあるという。

 車の運転をやめてもらうのに、どのように説得するのか。
 火の不始末を防ぐには、どうしたらよいのか。
 これだ!という良き案は見つからないのが現状だ、と思う。
 話せば話すほど、家族関係が悪化し、壊れてしまう可能性もある。

 本日の日経新聞「Saturday マネー道場」には、事故責任補償に関連して、損害保険会社が補償対象拡大に動いている、という記事が掲載されていた。
 個人賠償責任保険というものらしい。
 保険をかけて、何かのときにおりるのはありがたい話だが、この話、すんなりと落ち着けることではなかった。
 自動車保険、火災保険、介護認定を受けたらおりる保険もあるが、更に加えて認知症保険も入る必要が出て来る、となると溜息ものである。そういう社会は目の前に迫っているわかけか、と。
 お金で解決できることも沢山あるだろうし、お金で解決できないことも沢山ある。
 保険に入ることで安心が得られるのか、といえばそうともいえないところがこの問題の難しさを複雑化している。

 もう一つ、介護施設でベランダから手間のかかる入居者を突き落とした事件の動機もニュースになっていた。
 施設の運営のあり方や、細々した毎日の入居者へのサービスのあり方等々、こちらも他人事とは思えない問題が多数挙げられている。施設に働く方々の重労働とそれにともなうストレスは、ものすごく大きい。

 我が家でも、実母と接していると、声を荒げてしまうことがある。
 かわいそうなことを言ってしまった、とその場をちょっと離れて反省し、気持ちを穏やかに立て直して優しく接しようと戻って行くと、またまた新たな問題が起こっている、何てことも日常茶飯事である。
 その繰り返しをしているうちに、こちらも疲れてきて、嫌気がさしてくると「何もすることがなくて、生きていてもしようがない」と母が言う。そんなときは「元気でいてくれることがお仕事よ」何て言ってしまう。
 もっと答えようがないのが「私が邪魔なんでしょ」である。言葉が出ない。できるだけ自宅で過ごしてもらいたい、と思う気持ちに嘘はない。邪魔とは思っていない。でも私自身の行動が制約されていることも事実だ。では、母がいなければもっと自由にできるか?というと、そう話は簡単でなさそうなのが現実だ。

 おかげさまで、母は自分からガスをつけることもしないし、徘徊もない。夜中のトイレは一人で行ってくれるし、それも滅多にないようだ。とにかく朝までぐっすり眠れるように、それなりのやり方を手順を踏んでやっておく方法に気づいて、実行している。
 賢い友人が一刀両断。
「お母様は、デイケアサービスも無理だし、高齢者施設暮らしはもっと無理!」
 おっしゃる通り。
 理屈を言わず、試行錯誤を続けながら改善するしかない。

 私だって若くないんだー、これからどうなる?って、それも打ち消している昨今である。
 まだ授業やレッスンのため外出ができることで、よしとしようぞ。
「今、あるのみ」
 そう思うとブレないから不思議だ。
 ヨガの逆立ちをしながら、静かに呼吸をする、そんな時間が持てる幸せ。
 するとどこからか「聖人君子にならないようにね」と声が聞こえる。

 こんなことを書こうと思ったわけではないのに、なんだか愚痴ってますねー、と思いつつアップすることにしました。
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。
コメント (2)
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