羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

お盆さんの贈りもの

2014年08月13日 08時59分26秒 | Weblog
 東京は7月にお盆さんを終えている。
 そして8月。
 多くの人が帰省して町はがら空きになり、走る車も減って大気は清々しい。

 久しぶりにブログを開けた。
 ログインして、少しほっとした気分で、キーボードに向かっている。
 先月末に成績をすべて出してから、いくつもの所用を終わらせた。
 ハンナ・アーレントのDVDも見終わっている。感想は改めて書いてみたいと思っているが、逃げないで哲学し、思考を続けるしぶとさは、彼女の出自や先の戦争の体験がそうさせていることは大きいが、この世に生を受けたからには個としての存在を全うする強い意思が貫かれていることが全編を通して伝わってきた。

 昨日から、2006年に出版され、8月にちくま文庫に入ったばかりの『隠された日本 博多・沖縄 わが引揚港からニライカナイへ』五木寛之著を読みはじめた。
 一人の作家の深まりゆく思索と祈りの旅に、読む行為を通して同行していく。
 頁を繰るにつれてなかなかにしんどさが増すが、しんどい故に読み応えを感じている。

「花子とアン」も、主役を凌駕する脇の二女優の競演にナレーションの美輪さんが絡み、嘉納伝助の男が上がって、毎朝が楽しみになっていた。
 そして今朝は中盤の山場、花子の子どもの死に和歌を添えて、文学好きにはたまらない描き方に心が揺れた。
 日常に埋没する暮らし向きに、頓に失われつつあった自分のなかの情緒が、沸々と湧きあがってきたようだった。
 
 周りが止まっているこの時に、明日はリハーサルをかねた打ち合わせを予定している。
 その後に、もう一人の来客が加わる。この家を建て替えたとき、彼女からお祝いとしていただいた夏らしい飾りものを、玄関からはいったすぐの蔵前に飾った。

 こうして旧暦のお盆から取り残されている在京の人間にも、普段とは異なったゆったりした時間が流れていく。

 しばらく聞こえなかった蝉の声が、今、再び耳に届く。
 そっと目を閉じて聞いている。
 と、誘われるように波の音が聞こえてくる。
 火傷しそうな砂の上を駆け抜けて海に身をしずめた、あの感覚も戻ってくる。
 蝉の声と潮騒の音が一体となったのは、いつのことだったろう。
 夏が好きな子どもだった、私。
 
 みんなみんな、お盆さんの贈りもの。 
コメント
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