羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

いとおしいカラダへ、一冊の本『スゴイ カラダ』

2014年04月21日 15時35分56秒 | Weblog
 いつのことだったろう。郵送された『国民健康保険 被保険者証』の裏をかえして、そこに書かれていた内容に息が詰まりそうになったのは。
 目に入ってきたのは、《臓器提供に関する意思表示》を求める文面で、当時の私にとっては予期せぬ内容だった。
 実は、いまだに書き込みをしていない。

 そこで思い出すのは、1991年1月、『野口体操を解剖する』と題して、朝日カルチャーセンターで野口三千三先生と養老孟司氏のセッションを企画し、実現した時の養老先生が話されたこと。
 ちなみにこの記録は、2004年に『DVDブック アーカイブス野口体操』として、映像と冊子の形で春秋社から出版し、2014年3月には10刷となっている。
 
 さて、内容構成だが、野口先生が1時間あまり「野口体操」について実演を交えて話をし、続いて養老先生が30分ほど「解剖から見える世界」について語り、その後にお二人の対談という展開だった。
 春秋社からDVDブックとして出版するにあたって、養老氏の語り30分の部分は、編集会議の席で省くことになった。
 実は、その載せなかった部分に、今回、ご紹介する本がもつ意味があると今になって思い返したわけだ。
 では、どのようなことを話されたのか。
「多くの方々は、臓器に触れたことも、匂いを嗅いだこともないわけです。そうした状況で、臓器移植を是か否かと問われても、本当は答えようがないはずなんです。中略。つまり、医者が、臓器はバラバラバになることに気づいてしまった。だから臓器移植が可能になったんです」
 という発言である。
 
 西洋の医学は、まず厳密に臓器を分けて、それぞれに治療を行うところから医療はなりたっている。
 昨今の医療では、それぞれの臓器同士がどのような関係にあるか、といった視点も導入されてはいるが、長いことそうした視点は殆ど欠如しているといってもことさら間違いではない。
 したがって働きが悪くなって、病を引き起こし、治療をしても元に戻る可能性が失われた臓器を、他者の健康な臓器と取り替えることで、一人の人間のQOLと生を確保していこう、という考えが当然のこととしてうまれる道筋は理解できる。だからといって、すぐに肯定するという気持ちにはなれないのが正直なところだ。
 
 臓器移植法が施行されても、日本では思った以上には進まないのが現状かもしれない。世界的にみればこの方法は、治療の一つとしてすでに確立され、認知され、当然のこととして行われる頻度が増す方向に向かっている。
 そこでいきくつ先にある再生医療の熾烈な闘いのすごさを、一人の魅力的な若い女性研究者を通して、現在進行形でみせられている。

 その一方で、一つには細胞診・高度な顕微鏡診断もさらなる細かな仕分けを増やしている。もう一つには遺伝子治療ももっと一般化がすすむだろう。なんといっても社会的な問題として、切羽詰まった要求から、予防医学の細密化は、相当なレベルに達してくる筈。
 つまり、今後は人間の病を見る時に、形あるものだけではなく、目には見えない全身のからだを“いかす(生・活)”「しくみ」と「はたらき」の関係を見ていくことが、医療の中心に置かれるようになっていくに違いない、と素人ながら予想をしている。
 ロコモティブ・シンドロームだけではなく、とりわけ老化とそれに伴う病の発症と重症化を防ぐためには、予防医学の進歩がこれまでの人類史になかったレベルで求められることは必然のことだろう。
 
 いよいよ、ここからが本題!
 先日、北村昌陽さんから近刊書『スゴイ カラダ』(日経BP社刊)を戴いた。北村さんは生物物理学を専攻されて、日経ヘルスのデスクからフリーになられて、現在では“医療.健康ジャーナリスト”として活躍されている。
 この本は、『日経ヘルス』(日経BP社刊)で2008~2013年迄掲載されたコラムを一冊にまとめたものと「あとがき」にある。
 まだ凡てのページを丁寧に読んではいない。しかし、可愛らしく親しみやすいイラストを見ながら、全体をめくっていると、臓器をバラバラにしようとすれば出来るのだが、カラダはひとつの大きな生命体(小さくもいいのですが)として、有機的なつながりのなかで “ 命を謳歌している存在 ” であることが伝わってくる。
 
 日本を代表する46人の医学研究者に取材し、カラダのスゴサ(素晴らしさ)を解説していく。ただ解説するだけでなく、億年単位の進化の歴史に遡って「カラダのしくみ」を掘り下げてくれるので、長い時間をかけてからだに備わった“カラダの智慧”に気づかされ、自分のからだにいとおしさを感じるようになりそうな予感が、読むうちに確信にかわりつつある。
 
 著者の北村さんは言います。
 たったこれだけでお手軽に・簡単に・素早く「カラダにいいことが実現されますよ」といった現象を『「健康情報のコンビニ化」と呼ぶことにしています』と。おっしゃることは鋭いのである。
 大事なことは、本来のカラダが持っている限りない智慧の深さを探り、丁寧に味わうことで、自分のカラダが好きになる、本気で大事に思うことから、“ 健康の捉え直し ” をしてみよう、という気持ちの後押しをしてくれる編集構成になっている。
「こっちの方向も大事だよ」と、現代日本の健康産業に、北村さんらしい柔らかさと優しさで切り込みを入れている。大上段に振りかぶるより、カラダを愛おしく思える提示の仕方が、魅力的であると同時に読者を引込んでいく力にあふれている、と読ませていただいている。

 臓器を中心とした医療から、神経、血液、ホルモンの働き、細胞が潜める驚異の働き、etc.「カラダのしくみ」そのものが生み出すバランスのとれた全体が、そのまま生きることである、と感じさせてもらっている(途中ですが)。
 バラバラのものをバラバラにしておかないで、「私」と「私のカラダ」が一体となって、悠久の生命体を実感し維持するための道標となる一冊の本である。
 おっしゃる通り! 自分のカラダが好きになることからじっくり健康を考えてみよう、という良書である。
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