羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

新月の翌朝

2008年09月01日 07時52分03秒 | Weblog
 新月の夜が明けた。
 今日も、空にはどんよりとした雲が低く立ち込めている。
 それでも、乾ききらない洗濯物を干し、今、階下からは洗濯機が回っている音がかすかに聞こえてくる。

 昨日のブログを読み返した。
 大勢の方がアクセスしてくださるから書き続ける、という考えは違う、と思った。
 たった一人でも読んで下さる方がおられれば、書き続ける。
 いや、ブログはそもそも日記なのだから、書くのは自分、読むのも自分、自分の記憶の手助けとして書き続けたい、と思った。

 このアメリカ生まれのコンピュータ文化は、ヒッピームーブメント、つまりサブカルチャーが中心になって1960年代後半に生まれてきたということを今頃になって知った。
 政府や大企業が独占していたコンピュータをヒッピーと呼ばれた組織に属さない人々が、タイムシェリングすることによって個人でもつかえるようにする運動が始まりだった。

 禅、LSDにはまり、インドを旅したS.ジョブズ(後のアップルコンピュータ創設)は、この時点から‘人に使いやすい優れたインターフェイスをもったパーソナル・コンピュータ’の開発へと向かっていたのだ、と書物にあった。
 かつてのサブカルチャーが、今や極東の日本、東京銀座のど真ん中で、Mac文化を発信している。
 
 この運動を起こしたブラントなる人物が1995年、タイム誌に発表した寄稿記事が同じ本に載っていた。
『ネットVS.リアルの衝突』佐々木俊尚著 文春新書546 105ページ
 少し長いけれど一部をここに抜粋しておきたい。
『インターネットを経験した人は、自分が官僚主義の非情な世界ではなく、文化の薫り高い牧歌的な世界の中にいることを感じるだろう。その世界は、実のところ、六十年代の残像だ。当時のヒッピー共同体主義と自由主義が、サイバー革命の原型を形作ったのである。当時はそうした考え方は危険なアナーキーに見られていたけれども、しかし、中央集権に対して嘲笑を投げつけたカウンターカルチャーは、権力の存在しないインターネットだけでなく、パーソナルコンピューター革命も含んだ思想的基礎を形成したのだ』

 インターネットはもともと(アメリカ)国内のネットワークを核ミサイルから守る手段として冷戦下に計画されたもので、国防総省が研究母体となっているそうだ。

 いまや世界をフラットに結ぶコミュニケーションのツールとして社会の中心に位置している。それだけでない、商業利用もますます盛んになっている現状だ。
 サイエンスの世界の流儀‘資料提供は無償’という伝統をひきついでか「コンテンツは無料」のウェブ空間。そこをまかなっていくコマーシャル力は、すでにテレビコマーシャルをぬいてしまったようだ。

 とんでもない時代に生きている、と読書によっても気づかされ、一時は鬱々とし、悶々とした日々を過ごした八月の夏休みだった。
 
 しかし、昨日を境に思い始めた。
「いや、面白いじゃない。しっかり目を開けて、耳を開いて、感じてみようじゃないの!」
 この二重三重に畳み込まれていく逆転現象が起きている‘今、この時‘を、生きているんだから。
 
 因みに、商業利用が始まったのは、冷戦構造が崩れた1993年だそうだ。
 フムフム。。。。。。。

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