羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

アキコカンダとジァンジァンと

2011年09月24日 07時12分08秒 | Weblog
 モダンダンスの先駆者、アキコカンダさんが亡くなった。マーサ・グラハムに指事し、1962年に帰国後、日本で活動を行い、宝塚音楽学校で講師をつとめ振り付けもなさったという。
 今朝のニュースで彼女の訃報に接し、今年鬼籍に入られた芸能の方々を想い、昭和の一時代を築いた文化の終焉をひしひしと感じた。
 1960年代後半、まだ音高生だった私は、新劇、アングラ演劇(不条理劇)、オペラ、クラシックコンサート等々に、連日連夜といってもよいくらい通いつめていた。その後、野口体操に深く関わるまでは、そうした暮らしは続いていた。

 1972年音大を卒業して、劇団四季で練習ピアニストをしながら、荻窪のピアノ教室で教える仕事を得ていた。その関係から、1970年代のことだったが、東宝のプロデューサーをしていた方の縁で、アキコカンダさんのダンスを見に行くことになった。
 場所は渋谷・山手教会地下にあった「ジァンジァン」。
 アングラ演劇が盛んな頃、この小屋は独特の文化発信場だった。当時としては珍しく小屋自体がプロデュースを行い、ここでは演劇、音楽、ダンスなどの意欲的作品を上演する前衛若者文化の中心となっていた。

 せいぜい100名弱が入る小さな空間で、アメリカのモダンダンスを纏った細身のからだが、軽やかに舞う姿は新鮮な風をもたらしていた。
 それがこの小屋との初めての出会いだった。

 当時、私は小学生から大学生まで、ピアノの生徒を大勢得ていた。
「ここで、発表会をやりたい」
 すぐにもその夢が実現して、十数年間、毎年のことここで会を開くことができた。
 思えばいろいろなステージを演出してきた。
 或る時は野口体操で知り合った女性が、インドネシアで一時期育ち、「ブンガワンソロ」をやりたいと申し出てくれた。
 そこで竹の楽器「アンクルン」を浅草のパーカッションの店で手に入れ、インドネシア語と日本語の歌にピアノとアンクルンで演奏したことなど思い出す。あこがれの渋谷ジァンジァンで歌える!アンクルンで演奏ができる!ということで、小学生から大人まで参加者がふくれあがっていた。

 実験的な空間で、照明は小屋の人がしゃれた雰囲気を出してくれたりして、クラシックを主体のピアノ発表会だったけれど、それが故に面白いコンサートが実現できた。
 若かかりし頃のひとつの活動だった。
 なんとも感慨深い朝だ。
 
 ご冥福を祈ります。
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