羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

身体へのまなざし

2006年06月29日 08時27分17秒 | Weblog
 6月28日付けの朝日新聞夕刊「マリオン」ページを見て、ある感慨を覚えた。
 1998年(平成10年)に、野口三千三先生を失って、この先一体どうなっていくのか、皆目見当がつかなかった私は、とりあえず2年間持ち堪えてくれたらいいとおもって活動をはじめた。
 
 それから8年と3ヶ月が過ぎた今「身体と心のエクササイズ」というキャッチフレーズで、朝日カルチャーセンター・新宿では、21もの身体系の講座が活況を呈するなか、私が担当する「野口体操講座」は、なんと3コマにも増えている。
 人事のような言い方になってしまったが、「野口体操」「羽鳥操」という文字を見た瞬間、客観視している自分がいる不思議な心の動きが見えてきた。

 その中身を言葉にしてみると、ひとつに「身体を取り巻く状況」の変化をひしひしと実感していることだった。
 新聞やテレビその他の報道による、想像を絶する事件の数々・少子高齢化・年金や社会保障の問題等々はあるが、人々の関心は自分自身の「身体・からだ」に還ってきているのではないかと。
 からだは自分を生きるまっさきの拠点であることを、それほど明確な意識はなくても、思っている人はふえてきたのだろうか。
 きっと、そういった人々は、あるがままの自分自身を肯定するところから、生命への慈しみの行為ははじまることをなんとなく感じている。
 そのことが他者への肯定へ、さらには他者と共に生きる当たり前の「共存への意志」へと通じるはずだと。
 極端な言い方をお許しいただけば、からだは愛の対象として、真っ先に大切にされるものだと私は思っている。

 からだに向けるまなざしが、決して色眼鏡でないこと、斜めの視覚でないこと。
 まなざしを真っ直ぐに向けるには、実際に「からだを動かしてみること」からはじめていきたい。すると、とんでもない自分が見えるかもしれない。しかし、そのとんでもなさが「本当は真っ当な自分」かもしれない。そこから、一歩、歩き始めれば、地が足についたものになる可能性はあると思う。(実は、30年前の自分がそうであったように)

 自己の確立・アイデンティティー・自我・精神と身体・意識と身体・世界と自分・善悪……、もろもろの問は、とりあえずそっとそこに置いて、「自然の分身」としての自分のからだと、教室に集う他者のからだと、真正面から向き合ってみることで、「今」という瞬間を生きる実感がしっかり受け止められるようになるかもしれない。

 新聞広告を見ながら、そんな思いがからだの中を巡った。
 いずれにしても身体がこれほど関心をもたれる時代の先駆者として野口三千三先生の存在を思わずにはいられない昨今である。
 それにしても『原初生命体としての人間』、ご本人は固辞されたと伺っているが、1970年代によくぞ出版されたものだ。
(「当時は、かなり変人扱いだろうなぁ~」蔭の声が聞こえています)
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