羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

現実と虚構……閾値を超えた母

2016年10月01日 22時55分15秒 | Weblog
 NHKの8時45分のニュースのあと、何となく土曜ドラマを見ていた。
「夏目漱石の妻」の二回目である。
 ドラマだ、と認識していたものの、漱石ってこうだったのか、と迫力に圧倒されて見続けていた。
 突然、一緒に見ていた91歳の母が、立ち上がっておこり出した。
 自分の母親、つまり祖母を守っていた自分に重なってしまったのかもしれない。
 母方の祖父もこのドラマに描かれているように、今で言うところのドメスティックバイオレンス、DVの傾向があったと聞いていた。
 日々の暮らしを困らせることはなく、むしろ不自由は一切させなかった。
 戦時中も他家に比べれば、苦労は少なかった、という。
 それでも許し難い体験があって、おそらく祖母への想いが甦ったのだろう。

 ものすごい興奮状態で、おさまりがつかない。
 ちゃぶ台をヒックリかえそうとしたり、襖をバンバン音を立てて締めてみたり、あわや漱石の書斎になりそうな剣幕。
 そのうちに、寝床の布団の上で
「かわいそうなのは奥さんなのよ!どうしようもないのよ」
「だからね、あれはドラマ……」
 母をなだめようと言葉を繋ぐ。
「何言ってるのよ。現実はもっと凄いんだから。かわいそうなんだから」
「だからね、明治の男達は、無理してたのよ。西洋にバカにされないよう、一等国になろうとして……」
「うるさいッ」
 火に油を注ぐ言葉だった。母にしてみれば、天下国家はどっちでもいいわけだ。

 こちらもついつい余計な言葉ばかりが口をついて出る。
 そのうちに情けなくなって、涙がこぼれた。
 内心、いい年してみっともない、と思いつつも、自制心をうしなって母の娘になってしまった。

「ここに座りなさいよ」
 興奮さめやらぬ母がソファに並んで腰をかけるように強要してくる。
「帰れるものなら家に帰りたい。奥さん(ドラマのなかの漱石の妻)だって帰るところはないのよ。皆、貧乏になっちゃって」
 仕方がない、しばらく寄り添って、おもむろに
「明日は仕事があるから、準備をするわ」
「そうね、仕事は大事だから」
 ようやく現実に戻ったらしく、にっこりと笑った。(この手がよさそうだ!)


 NHKも91歳のおばあさんを、ここまで興奮させるドラマをつくるなんて、罪創りだわ。
 いや、やり過ぎの感は否めないけれど、尾野真千子さんはじめ、役者がうまい!

 今、キーボードに向かっている。
 何となく階下では玄関の鍵をいじっているような音がしていたが、もう静かになった。

 母の中のトラウマが、こうした形で現れたのだろう。
 ドラマのなかの漱石の狂気が、母に乗り移ったかのような夜だった。
 高齢になるということは、現実と虚構の境界線が曖昧になるってことだろうか。
 高齢になるということは、あるよろしくない感情の閾値を超えると収拾がつかなくなって、母の場合は堰が崩れるように感情のうねりを止めることができなくなるようだ。
 
 明日は明日の風が吹く。
 おやすみなさい。
コメント
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