羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「母の日」そして “ケセラセラ”

2014年07月28日 09時32分47秒 | Weblog
 先週の土曜日で、前期が一区切りついた。
 4月には、最後まで無事に終えられるかどうか、心配しながらの始まりだった。母の状況が読めなかったし、何が起こるかわからなかった。
 淡々と日常を過ごしてくれていた。

 昨日の日曜日は朝日カルチャーのレッスンもなかったので、母の日にしようと前々から思っていた。
 去年、12月21日から、毎晩からだを拭き、足を洗い、歯磨きや洗顔に朝晩つきあっていたが、さすがに入浴の必要を感じていた。
 で、午前中に手と脚の爪切り、髪染めをすまし、午後は雑談をしながらハンドマッサージを何気なくしつつ、夕方4時に風呂場へと誘導した。
 我が家の深めの湯船に浸かり、そこから上がる足使いがいちばんの心配の種だったが、何事もなく上手くクリアしてくれた。建て替えの時、三カ所に手すりをつけたことが有効だった。知人の勧めにしたがっておいてよかった。からだは自分で洗って、私はときどき声をかけて見守り、要所要所で幇助するだけですんだのはありがたかった。
 落ち着いたところで飲んでもらった冷たい麦茶を“美味しい”という一言で、7ヶ月ぶりの入浴が気持ちよかったのだと得心。
 実は、野口三千三先生も肝臓内結石の大手術後、カテーテルを残したためにお腹に穴があいていて、そこに蓋がされた状態が半年以上続いていたときに、絶対に水が入らない入浴用パットが病院から出されていたにもかかわらず、からだ拭きですましておられた。そのときの記憶があって、今回の方法に自信がもてたのかもしれない。

 というわけで終日、母に寄り添って過ごし、前期の綱渡りはひとまず無事に終了した。
 9月の後期はじまりまで、夏バージョンの日々が今日からはじまったが、前もってあれこれ思い悩むことはない、と教訓を得た。
 いやはや、ケセラセラ!
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