今年も残り少なくなってきて、2013年が少しずつ顔をのぞかせてきた。
新年があけるとWindowsからMacに変わって満二年となる。
実は、iMacを使いはじめた時、マウスをやめてトラックパットに変更した。五本の指を活かす方法は、私のとって最初から使い勝手がよかった。
先日、思いがけない体験をした。
12月も半ばになったので、大学のメディセンターに立ち寄って、後期授業の成績を提出するサイトへのアクセス方法を再度教えてもらうことにした。
提出は来年になってからだが、インターネット上でそのサイトにたどり着く道順をすっかり忘れている。
ここにたどり着くには、厳重にかけられた鍵をいくつも開けなければならない。その度に、IDとパスワードを打ち込むことになる。自宅で試したときは、はなから入り口が見つからなかった。
そこで、一通り覚えるために、据え付けてあったパソコンを操作することになった。
「マウスが上手く使えない」
マウスを握る手から、リズム感が失われている。
思うところに矢印がいってくれない。
焦れば焦るほど、自由が利かない。
思い起こせば、トラックパット操作は、ピアノの演奏時の指の使い方に似ている。
五本の指を板の上に乗せて、指の組み合わせを変えながら、力を抜いて、ものすごく軽く、そっと滑らせればよい。
実に、マウスを持った手全体を動かす動きに戻れなくなっているのだった。
「あぁ~、指先の微妙な触れ感覚は、マウスとはまったく違うコンセプトによるのね」
改めて気づかされた。
慣れとは、そんなものか?!
マウスを使っていた時間の方が長いのに、たった2年弱でトラックパットに順応してしまっている。
そういえば、Apple銀座で、はじめて触れた瞬間から「これだ!」と感動した。眠っていた感覚を呼び覚ましてくれたのだ。触れるような触れないような、指先の微妙なムーブメント感。
そんなわけで、今ではマウスとさよならした日常が、私のMac生活なのであります。
この軽ーい滑らかさは、もう、手放せない。
どうでもよい話? いえ、感覚とはそうしたもの。
ここにヒントがありそうだ。
そう、野口体操を伝えるときの装置として……。。。。。。
新年があけるとWindowsからMacに変わって満二年となる。
実は、iMacを使いはじめた時、マウスをやめてトラックパットに変更した。五本の指を活かす方法は、私のとって最初から使い勝手がよかった。
先日、思いがけない体験をした。
12月も半ばになったので、大学のメディセンターに立ち寄って、後期授業の成績を提出するサイトへのアクセス方法を再度教えてもらうことにした。
提出は来年になってからだが、インターネット上でそのサイトにたどり着く道順をすっかり忘れている。
ここにたどり着くには、厳重にかけられた鍵をいくつも開けなければならない。その度に、IDとパスワードを打ち込むことになる。自宅で試したときは、はなから入り口が見つからなかった。
そこで、一通り覚えるために、据え付けてあったパソコンを操作することになった。
「マウスが上手く使えない」
マウスを握る手から、リズム感が失われている。
思うところに矢印がいってくれない。
焦れば焦るほど、自由が利かない。
思い起こせば、トラックパット操作は、ピアノの演奏時の指の使い方に似ている。
五本の指を板の上に乗せて、指の組み合わせを変えながら、力を抜いて、ものすごく軽く、そっと滑らせればよい。
実に、マウスを持った手全体を動かす動きに戻れなくなっているのだった。
「あぁ~、指先の微妙な触れ感覚は、マウスとはまったく違うコンセプトによるのね」
改めて気づかされた。
慣れとは、そんなものか?!
マウスを使っていた時間の方が長いのに、たった2年弱でトラックパットに順応してしまっている。
そういえば、Apple銀座で、はじめて触れた瞬間から「これだ!」と感動した。眠っていた感覚を呼び覚ましてくれたのだ。触れるような触れないような、指先の微妙なムーブメント感。
そんなわけで、今ではマウスとさよならした日常が、私のMac生活なのであります。
この軽ーい滑らかさは、もう、手放せない。
どうでもよい話? いえ、感覚とはそうしたもの。
ここにヒントがありそうだ。
そう、野口体操を伝えるときの装置として……。。。。。。