羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

薦骨で動きの道を選択する

2011年11月27日 12時41分04秒 | Weblog
 昨日の朝日カルチャー土曜クラスでは、9月から11月にかけてテーマにした動きを復習した。
 なかでも「おへそのまたたき」では、あえて二組に分かれて、後ろ側から腰の動きを見て確かめてもらった。
 主に腹筋に力を入れて骨盤を立てる。すこしでも床と角度がついたら、出来るだけはやく腰を中心に胸も頭も力を抜くと、上体は重さで流れていく。そして両足の上にそっと上体がしなだれかかる。

 問題は「薦(仙)骨」の動きにあることを見てもらった。
 腹筋に力が入ると短くなって腰全体は後ろ側に丸く湾曲する。次に、というよりそうなった瞬間に力を抜き、薦(仙)骨を立たせるために伸ばす意識を持つと、上体も伸ばされてむしろ軽く上方へ放り上げられる。そこで力が抜けると真下へ重さで落ちていくことになる。臍下丹田から動きがはじまって臍→鳩尾→胸の中心部→喉の付け根→頚が緩んで最後に頭が脚の上にしなだれる、という順序を辿る。

 野口三千三著『野口体操 おもさに貞く』参照いただきたい。196㌻から200㌻。『薦骨で動きの選択をする 「法」というコトバと動き』『「臀歩き」の薦め』
《背骨は頸椎←胸椎←腰椎←薦骨→尾骨(注:矢印の向き注意)とつながっている。薦骨は五個の骨とそれに付属する骨が癒合している脊柱の中で最大の骨で、骨盤の後壁ともなっている。薦骨は今では仙骨と書かれ、ここでも薦が棄てられている。「名は実体であり、名をつけることが認識である」と考える私は、先人がなぜ「薦骨」と命名したかを探検したくなる》197㌻より

 推薦の熟語が示すように「薦」は「すすめる」と訓まれている。
 野口の考えによれば「薦骨」は、動きの始まりを選び動きを導く根幹である。
《薦骨の部分が人間の動きの根源である》と書いている。
 薦骨が動きを撰び新鮮な感覚をもって好ましい動きを生みだす根源としての力を潜めたところである、と解釈している。「ぎっくり腰」などの原因は、腹筋や背筋が弱いためではないと考える。
 たとえばどのような姿勢であっても薦骨が立っている状態が保てる。逆に薦骨が立つことで姿勢が保たれると動きの質は断然良好になることは、ぎっくり腰を経験してみると、いやというほど実感できることからも分かる。
「臍下丹田に力が込められていること」と「腹筋に力が余分に入って結果として腹側が縮むこと」とはまったく薦骨の保たれる位置が異なる。当然、脊柱全体のあり方も異なってくる。さらに呼吸(腹式呼吸)や腰のなかの筋肉(たとえば腸腰筋等々)や腹横筋といったからだのコアにかかわる筋肉の活かし方にも深い関係が現れる。

 まとめると深層筋と表層筋の微妙な関係、不随意筋と随意筋の関係、さらに自律神経系への無意識の影響等々が複雑な絡みをともなって、生きる姿勢にまで影響が出る重要な鍵となる筈である。そこまで言い切っても当たらずとも遠からず、と思う。
「腰が引ける」に対して、「腰を入れる」とは「臍下丹田に力を込める」ことに違いない。

「おへそのまたたき」は、最初は腹筋に力を入れても、すぐに力を抜くと同時に薦骨を伸ばして立てることができたら、「臍下丹田」に重さを乗せてあとは流れに任せていくことになる。
 この感覚こそ「おへそのまたたきの原理」と野口が呼んだ中身ではないだろうか。
 
 読んでくださってありがとう。
 ふーッ、ここまで逃げずに書いてみました。言葉にするのは難しいでーす。
コメント
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