羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「万緑叢中紅一点、紅い花もお忘れなく」11月6日『天声人語』

2011年11月06日 07時50分38秒 | Weblog
 ぐっすり眠ったはずなのに、昨日のレッスンの余韻がからだの隅に残った目覚めだった。
 珍しいことだが、野口先生の西巣鴨のご自宅の夢をみていたらしい。
 少しぼーっとした意識の中で着替えをすませ、階下に降り玄関の鍵を開けて、いつも通り郵便受けに新聞を取りにいった。
 昨晩から降り続いている雨が、小降りになっている早朝。
 朝日新聞一面。
『「警官を雇えぬ街」』カリフォルニア州バレホ市では税収入が落ち込んで、警察官を4割削減した。そのために街の治安が悪化し自警団が結成され市民自らが立ち上がった記事を読む。米国の自治体破産の現実を知る。
「ギリシャはもとより、イタリアも危なげ、アメリカもこうなると、たった10年で21世紀は大混迷の時代に突入したのか」と行く末が案じられた。不安な気分に落ち込みそうになる。
 気を取り直して2011・11・6付け『天声人語』を読む。
 ぐいぐいと惹かれ一気に読み終えた。
 最後に《〈国安く冬ぬくかれと願うのみ〉。》戦前に虚子の詠んだ句でしめられている。
 11月としてはあたたかな日々が続くが、これから訪れる冬は寒いかろう。とりわけ被災地に暮らすお年寄りやご病人には、過酷な季節となる。二ヶ月を切った今年、そして来るべき新しい年に「国安くあれ」「冬ぬくかれ」とは誰もが願う。

 日本人の歳時記好きは何時の頃からだろうか。むしろ日本人を日本人たらしめている伝統(心)といってもよい。
《「万緑叢中紅一点、紅い花もお忘れなく」》
 いちめんの緑に紅い花が一つ咲く情景をうたった漢詩「石榴の詩」の一節だそうだ。天声人語の筆者に届けられたというご年配からの達筆な手紙の一節が、私の心深くにとどまっている。
 このブログに貼付けたいと検索し、再度読み直した。
「あら!不思議。新聞紙面で読んだ感動が伝わらない」
 
 あのざらついた紙の手触り感、あの印刷の匂い、あの裏面の文字が透けてうす黒いというか灰色の紙に濃い黒の文字、あの空間にあの字配り。そのなかで読み慣れた『天声人語』なのだと悟った。
 しかし、それはそれ。リンクしたので読んでみてください。できれば新聞紙面上と比較してみていただきたい。
 
 今も、あたたかな雨が静かに風景を煙らせている。
 時候はすでに「冬隣」とも知った。
コメント
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