羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

動きとイメージ

2011年11月08日 10時47分55秒 | Weblog
 このところテーマにしてきた「あくび」と「肩甲骨の動き」は、悩ましいほどに皆さんの身体に落とし込まれていったようだ。
 日常的に、本能の領域で、「あくび」は、誰もが体験している。
 しかし、この行為(?)には、場所や時間やその場の空気によっては、躊躇いが求められる。いつでもどこでもやっていいということではない。そのためにどちらかというと、“タブー”という禁止句が、だれの身体にも深く刻まれているようだ。
 レッスンで「膝のあくび」について、いろいろな角度から話をすると、そのタブーは一瞬にして切れる。見事におおきく口を開けて全員揃ってあくびができるようになる。
 そのイメージを身体全体に拡張していく。

 もうひとつの「肩甲骨」と「胸の籠(肋骨)」の動きにおける関係をみる試しは、今までに何回も取り上げてはいるが、今回ほど深く丁寧に多様性をもって試したことははじめてである。
 昨日もレッスンを受けた方からメールをいただいた。目から鱗どころか「はじめて自分の体と具体的に向き合った」とのこと。こちらはイメージを追うというより、触れる・触れられるという関係のなかで手や腕の実感として捉えることが出来、目で見て確かめ、そうしながらお互いに話し合うという行為を通して、動きの実体をつかむことができたようだった。

 解剖学、機能解剖学、双方を基にして、動きの実体を探ることと、実体験を積んでいる行為を突破口として、身体のあらゆるところにイメージを拡げていく。
 どちらも大事なあり方であると実感した。
 面白いことに、子供からご老人まで、性別にも関係なく、“人間の身体を持つ”という条件さえあれば、誰にでも共通の体験としていかせることのようだ。
 ところであくびは伝染すると言われている。真偽のほどは確かめていないが、犬の前であくびをすると、その犬にあくびが伝染するとか。つまり、人間との感情の交流・共感があることの現れという説もある。当方、犬を飼っていないし、試したくても知らない犬に突然あくびしたら、周りからどんなまなざしをうけるやら。試す機会を狙っているのだが。
 いずれにしても他者(他犬)の前での「あくび」には、まだまだ抵抗が大きいことは間違いない。
コメント (2)
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