羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『龍馬デザイン。』で、再び「龍馬伝」を見る

2011年02月07日 19時52分12秒 | Weblog
 先週の土曜日にサジさんが持っていた本『龍馬デザイン。』柘植伊佐夫著 幻冬社刊を近所の書店で、さっき見つけた。
 そそくさと自宅に戻って、本を開く。
「アッ、やられた!」
 からだのなかに電撃がはしって、声をあげたくなるほど。この戦慄はどこからくるのか。それは口絵ページを開いた瞬間におこった。
 しばらく、じっと、4ページをめ繰り返しながら、写真に見入る。

 読み終わってから、ブログに書き込みをしようとおもったが、待てない。
 日記として綴られた文章に、去年一年間を通して、二回ずつ見てきた映像と音と音楽が重なってくる。
 NHK大河ドラマ初の「人物デザイン監修」を引き受けた仕事人のドラマだ。 制作に懸ける思いの深さ、魂の覚醒、情熱、衝突、葛藤、苦悩、歓喜、生々しい現場の緊迫感、スタッフとの様々な交流、等々、読みながら血湧き踊る揺さぶりに全身が逆巻く。現場がありありと伝わってくる文章力。仕事を通して関わった人々が日々成長してく姿がつぶさに見える記録。
 人物デザインとは、ドラマに出演するすべての人間を生きることだ。エネルギーの固まりにならなければできない大仕事だ。一人ひとりを見つめ、時代を読み、作者の意図を解し、全体の演出プランを理解し、その上で映像として説得力を持たせるデフォルメが求められる。そこまでいったら破綻するところまで、すぐそばまで近づき、そして冷静に折り返す感覚。

 龍馬伝では、泣くことはなかった。泣かされなかった。しかし、溺れそうになる深みに引き込まれていながらも、「自分の力で上がっておいで!」と、囁かれることがしばしばあった。その姿勢が涙を呼ばなかったことに気づかされた。その謎がこの本によって解かれていく、実にスリリングな記録だ。

「二〇〇九年十一月二三日 東京」この記述にリアリティーについて語っている。
 柘植氏が使う「リアリティー」とは、「リアリズム=写実主義」とは違う、とある。彼にとっての「リアリティー」とは、「実在感=本物である感覚」であり、「実在感」だ、という。「すぐ隣にいる!」。
 この日記を読みながら、熱くなって、共感と感動こそがドラマの命なんだ!と新鮮な感覚で捉えなおしている。
 さぁ、続きを読む、としよう。
コメント
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