羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『龍馬デザイン』柘植伊佐夫 幻冬舎から喚起されたこと

2011年02月14日 18時53分09秒 | Weblog
 まだ、文章にはならない。
 ただ、この本から衝撃的なつながりをもらった事だけを記しておきたい。

「同期 synchronization」「Mirror neuron」そして、野口先生の「原初」「実感」、野口体操独特の方法で「皆と共に教室で体操を行うこと」の意味が明瞭(あきらか)になってきた。
 
 それぞれがバラバラのようでありながら、直接的な太い線で結べる事ではないが、広く意味を解釈すれば、底流で類似した概念があることに気づかされた。
 先日来、二回ほど朝日カルチャーセンター野口体操講座土曜日クラスに参加されたカナダの演劇・映画大学の教授であるクレアさんに、この日のテーマとした「synchronization」の発音と意味を、英語で説明していただいたことで、この言葉の意味と実感がより鮮明になっていきた。

 次回、土曜日のレッスンでは、ギリシャ語源に遡って「同期」について考えを皆さんとすすめていきたい。
 本日は、終日、この言葉を調べ、考えていた。
 言葉が本当の言葉として機能するには、非常に長い時間と多くの体験の裏付けが必要であることを知ったばかりだった。
 教室で聞いていただいたNHKラジオ放送『人生読本 私の身体論 野口三千三』で先生自身が発しておられた「上体のぶらさげ」の実感である「たるんで」という言葉が、「弛ませ曲線」という明確な言葉に集約されていくのに、少なくとも二十年ほどの歳月を要した事実に気づかされたばかりだったこともあって、今回のつながりの発見に結びついたのだ、と思う。
 教室に参加されていない方には、このブログをお読みいただいても「何のことやら?」大きな疑問符を持たれることかと思いますが。

 いずれにしても『龍馬デザイン』と『切りとれ、あの祈る手を』佐々木中著の二冊は、私にとって記念すべき本となるに違いない予感がしている。
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