昨日の続き。
仙石大臣が話しておられた「困ったときの相談をするのが、家族の次が市町村役場ではなく、官と民の中間共同体」云々。ボランタリー意識の中から生まれるソーシャルネットワークの考えは、実現すればよいことに決まっている。
それとは離れるが、庶民金融としての家業だけを考えてみてもわかる。
いみじくも野口先生が話されたこと。
「‘物’を大切にし、‘勿体ない’感覚を持ち、どんなに些細な日用品としての‘物’であっても、それ自体に価値がある社会。さらにその価値を循環させることが出来る社会が大事なのよ」
つまり江戸期と言うのは、‘一枚の布’一つ取り上げても、見事に循環させ、最後は‘ぼろ布’となった果てに‘雑巾’として全うさせる社会であった。そうした社会だから質屋という商売がなりたってきた。明治・大正を経て、少なくとも日本が戦後復興し、高度経済成長を実現する手前の昭和の時代までは、生きながらえていた。
当然のことに、その後迎えた大量生産大量消費の時代を境に、家業は衰退する一方だった。入れ替わりに、人も物もを介さず、お金(最近では数字)だけを右から左へと流す金融が優勢となり、人々の金銭感覚は変化の一途を辿る。因みに、そのような時代に抵抗するかのように、野口先生は給料や謝礼の銀行振り込みを好まず、最後まで現金で受け取っていらしたことはもしかするとすごく大切な感覚だ、と思っていた。
さて、ここで話を転換したい。
そうした環境のなかで、野口体操が社会で認知される一つの条件として、私が考えたことは、自費出版でなく出版市場に野口先生の本を流通させることだった。辿り辿ってある人を介して『原初生命体としての人間』が、復刊の形で書店に並らぶには十年の歳月が必要だった。ぎりぎり生前に間に合ったことは、運がいいとしか言いようがない。その後、書籍を通して、1998年以降はインターネットを通して、何とか生き延びる方策をとってきた。
今となって、野口体操の現状を一歩引いてみると、ボランタリー経済と貨幣経済という二つの経済を対立概念と捉えるのではなく、上手い具合に‘そこそこの経済性’が担保された集まりの可能性はあるだろうか。今までにない‘身体文化’という新しい価値観を、戦後のはやい時期に創発した。そして発信できるだけの深い内容を蓄積してきた。
ここで思うことは、それを公共財にしていくことは可能だろうか、ということを模索している。公共財になるには何を足して何を削るのか。頭を抱えてしまう!道は険しい。
たとえ文化として価値があるとしても、社会的リターンと経済的リターンがなければ、若者にこの野口体操を引きついでもらうことには、相当な困難が伴う、と感じている。考えてみると「新しい公共」で問題となる、貨幣経済とボランタリー経済の融合という考えは、難しいことではあるけれど、熟考する必要がある。NPOに見られるように、ボランタリーを支えるのは女性が多い、ということに象徴されている。いわゆるマイノリティーの人々が、草の根的なソーシャルネットワークの支え手だけでは、ボランタリー経済は立ち上がってこないと思うからだ。
唐突だが、見える道は、寺子屋か?
*今日も、まず、書いてみました。まとまっていませんが、オープンにして書くことで何か見えるかな、という儚い希望を持って……。
仙石大臣が話しておられた「困ったときの相談をするのが、家族の次が市町村役場ではなく、官と民の中間共同体」云々。ボランタリー意識の中から生まれるソーシャルネットワークの考えは、実現すればよいことに決まっている。
それとは離れるが、庶民金融としての家業だけを考えてみてもわかる。
いみじくも野口先生が話されたこと。
「‘物’を大切にし、‘勿体ない’感覚を持ち、どんなに些細な日用品としての‘物’であっても、それ自体に価値がある社会。さらにその価値を循環させることが出来る社会が大事なのよ」
つまり江戸期と言うのは、‘一枚の布’一つ取り上げても、見事に循環させ、最後は‘ぼろ布’となった果てに‘雑巾’として全うさせる社会であった。そうした社会だから質屋という商売がなりたってきた。明治・大正を経て、少なくとも日本が戦後復興し、高度経済成長を実現する手前の昭和の時代までは、生きながらえていた。
当然のことに、その後迎えた大量生産大量消費の時代を境に、家業は衰退する一方だった。入れ替わりに、人も物もを介さず、お金(最近では数字)だけを右から左へと流す金融が優勢となり、人々の金銭感覚は変化の一途を辿る。因みに、そのような時代に抵抗するかのように、野口先生は給料や謝礼の銀行振り込みを好まず、最後まで現金で受け取っていらしたことはもしかするとすごく大切な感覚だ、と思っていた。
さて、ここで話を転換したい。
そうした環境のなかで、野口体操が社会で認知される一つの条件として、私が考えたことは、自費出版でなく出版市場に野口先生の本を流通させることだった。辿り辿ってある人を介して『原初生命体としての人間』が、復刊の形で書店に並らぶには十年の歳月が必要だった。ぎりぎり生前に間に合ったことは、運がいいとしか言いようがない。その後、書籍を通して、1998年以降はインターネットを通して、何とか生き延びる方策をとってきた。
今となって、野口体操の現状を一歩引いてみると、ボランタリー経済と貨幣経済という二つの経済を対立概念と捉えるのではなく、上手い具合に‘そこそこの経済性’が担保された集まりの可能性はあるだろうか。今までにない‘身体文化’という新しい価値観を、戦後のはやい時期に創発した。そして発信できるだけの深い内容を蓄積してきた。
ここで思うことは、それを公共財にしていくことは可能だろうか、ということを模索している。公共財になるには何を足して何を削るのか。頭を抱えてしまう!道は険しい。
たとえ文化として価値があるとしても、社会的リターンと経済的リターンがなければ、若者にこの野口体操を引きついでもらうことには、相当な困難が伴う、と感じている。考えてみると「新しい公共」で問題となる、貨幣経済とボランタリー経済の融合という考えは、難しいことではあるけれど、熟考する必要がある。NPOに見られるように、ボランタリーを支えるのは女性が多い、ということに象徴されている。いわゆるマイノリティーの人々が、草の根的なソーシャルネットワークの支え手だけでは、ボランタリー経済は立ち上がってこないと思うからだ。
唐突だが、見える道は、寺子屋か?
*今日も、まず、書いてみました。まとまっていませんが、オープンにして書くことで何か見えるかな、という儚い希望を持って……。