ある時、野口三千三先生は手首を強くするコマのようなものを見せてくださったことがあった。
それが何だったのか、よく思い出せない。
何度もおぼろげな記憶を辿ってみると、やっぱりコマのようなもので回転するものだった。
手首は、その回転に逆らう動きをする。
たしか、私も試してみたが、まるっきし出来なかったことだけは覚えている。
「手が悲鳴を上げる」といっていいくらいの代物。
で、結局、手首に負担がかかり過ぎて、やめてしまわれた。
それはいつの間にか、先生の身辺からなくなったような気がする。
もの凄くうる覚えの出来事。
実は、このことを思い出したのは、‘ソフト・ギムニク’という商標のゴムボールが手にはいったからだ。
最近は大きなゴムのボールでバランス感覚を養いながら、筋力アップをはかるエクササイズが流行っている。
大学のスポーツ施設には、必ずといっていいくらい空気が入った状態の大きいボールが用意されている。
そのエクササイズを広めているのが「日本Gボール協会」らしい。
今度は最大26センチまで膨らませるソフト・ギムニクを使ったエクササイズが、大学でも授業にとりいれられてきた。
体育教官室でそれを見つけて触ってみた。
ソフトなのだ。
そこで、先週、インターネットで手に入れた。
パンパンに空気を入れず、柔らかめの弾力を持たせる。
仰向け姿勢になって、腰(仙骨あたり)にボールをあてがって、ゆらゆらと揺すってみると、‘寝にょろ’に近い感覚が得られる。この場合、足は膝からたてておく。
ボールだけに滑らかなゆれ具合が得られるのだ。
臍の後ろ、つまり‘そへ’の辺りにあてがって、思い切り力を抜くと、これはちょっと気持ちがいいが、長く続けると危険というシグナルがからだから聞こえる。
力を抜きすぎると、重さでズズズッと腰椎周辺に負担がかかってくるからだろう。
からだのいろいろなところにあてがって確かめてみた。
たとえば立ち姿勢の場合は、壁との間に入れてスクワットしてみると、思いがけない感覚に目覚める。
この場合も、腰だったり背中だったり、あてがう位置を変えてみると、その都度感覚は異なる。
このボールが使われる理由の一つに、ようやく体育の世界にも、動きのなかでのリクラリゼーションとバランス感覚(重さ感覚)が大切であると言う認識がもたれるようになってきた経緯がある。
それはそれとして、そのボールを両手にもって、くるくる回転させてみると、手首が思いがけない方向に回転し、掌から手の甲に滑らかな動きが促されたり、左右の指を変えながら2本だったり1本だったり、微妙な指回しができる。
ほとんど力を使わずに‘軽く’‘柔らかく’ボールを回転させながら、関節をほぐすことが出来るのだった。
日頃、このような手首や手全体や指の動きはすることはない。
ボールについてきた簡単な説明書の運動方法は、ほとんどやっていない。
私の場合、‘座位によるほぐし’や‘寝た姿勢によるほぐし’のときに、このボールを試してみている。
一つ難点は、匂いである。
ゴムだから仕方が無いのだが。
時間がたつと少しずつ匂いは消えていくとしても、完全になくなることはないだろう。それに耐えられない人には、向かないかもしれない。
一昨日になって、ボールの空気の入れ具合、つまりボールの弾力の具合は、自分の筋肉の弾力に近いところまで緩めて使っていることに気づいた。
因みに、以前、使ったことのある大きなボールは、小さな穴が開いて、使い物にならなくなった。あんなに早くダメになるなんて、ガッカリしたのだった。
流行ってくると類似品が出回るそうだ。
それが何だったのか、よく思い出せない。
何度もおぼろげな記憶を辿ってみると、やっぱりコマのようなもので回転するものだった。
手首は、その回転に逆らう動きをする。
たしか、私も試してみたが、まるっきし出来なかったことだけは覚えている。
「手が悲鳴を上げる」といっていいくらいの代物。
で、結局、手首に負担がかかり過ぎて、やめてしまわれた。
それはいつの間にか、先生の身辺からなくなったような気がする。
もの凄くうる覚えの出来事。
実は、このことを思い出したのは、‘ソフト・ギムニク’という商標のゴムボールが手にはいったからだ。
最近は大きなゴムのボールでバランス感覚を養いながら、筋力アップをはかるエクササイズが流行っている。
大学のスポーツ施設には、必ずといっていいくらい空気が入った状態の大きいボールが用意されている。
そのエクササイズを広めているのが「日本Gボール協会」らしい。
今度は最大26センチまで膨らませるソフト・ギムニクを使ったエクササイズが、大学でも授業にとりいれられてきた。
体育教官室でそれを見つけて触ってみた。
ソフトなのだ。
そこで、先週、インターネットで手に入れた。
パンパンに空気を入れず、柔らかめの弾力を持たせる。
仰向け姿勢になって、腰(仙骨あたり)にボールをあてがって、ゆらゆらと揺すってみると、‘寝にょろ’に近い感覚が得られる。この場合、足は膝からたてておく。
ボールだけに滑らかなゆれ具合が得られるのだ。
臍の後ろ、つまり‘そへ’の辺りにあてがって、思い切り力を抜くと、これはちょっと気持ちがいいが、長く続けると危険というシグナルがからだから聞こえる。
力を抜きすぎると、重さでズズズッと腰椎周辺に負担がかかってくるからだろう。
からだのいろいろなところにあてがって確かめてみた。
たとえば立ち姿勢の場合は、壁との間に入れてスクワットしてみると、思いがけない感覚に目覚める。
この場合も、腰だったり背中だったり、あてがう位置を変えてみると、その都度感覚は異なる。
このボールが使われる理由の一つに、ようやく体育の世界にも、動きのなかでのリクラリゼーションとバランス感覚(重さ感覚)が大切であると言う認識がもたれるようになってきた経緯がある。
それはそれとして、そのボールを両手にもって、くるくる回転させてみると、手首が思いがけない方向に回転し、掌から手の甲に滑らかな動きが促されたり、左右の指を変えながら2本だったり1本だったり、微妙な指回しができる。
ほとんど力を使わずに‘軽く’‘柔らかく’ボールを回転させながら、関節をほぐすことが出来るのだった。
日頃、このような手首や手全体や指の動きはすることはない。
ボールについてきた簡単な説明書の運動方法は、ほとんどやっていない。
私の場合、‘座位によるほぐし’や‘寝た姿勢によるほぐし’のときに、このボールを試してみている。
一つ難点は、匂いである。
ゴムだから仕方が無いのだが。
時間がたつと少しずつ匂いは消えていくとしても、完全になくなることはないだろう。それに耐えられない人には、向かないかもしれない。
一昨日になって、ボールの空気の入れ具合、つまりボールの弾力の具合は、自分の筋肉の弾力に近いところまで緩めて使っていることに気づいた。
因みに、以前、使ったことのある大きなボールは、小さな穴が開いて、使い物にならなくなった。あんなに早くダメになるなんて、ガッカリしたのだった。
流行ってくると類似品が出回るそうだ。