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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『錦』

2008年08月01日 15時57分31秒 | Weblog
 かれこれ30年近くなるだろうか。いや、もう少し短いかもしれない。
 新聞の連載小説でこの女流作家の作品を初めて読んだのは。
 それは昭和24年に亡くなった日本画家上村松園を描いた小説だった。
 
 そして、今日、久しぶりにこの作家の新しい小説を、一気に読み終えた。
「構想三十年、渾身の長編小説 絢爛たる錦の魔力に憑かれた男。男に魂を吹き込む女たちの愛と哀しみ。」

 物語は明治の大阪から始まる。
 その昔、文化文政時代には、大阪の金貸し十人衆というのがあって、鴻池善右衛門の下に名を連ねた菱久の末裔が主人公である。
 明治と言えば日本の欧化政策が始まった文明開化の世。
 当時、銀行も擡頭し、両替商が次々に看板をおろす大変革期である。
 明治九年に生を受けた菱村吉蔵の生涯を描く。
 こうした時代に、家は傾き、十六歳の主人公は一家を背負って、帯用の黒繻子の商いからはじめる。そののち斬新な織物を開発して「帯一本に家一軒」とまで言われるほどの美術織物を世に出すことになる。
 そしてなにより彼を有名にし、西陣の織り元たちの羨望の的となっていく仕事は、元大名家に伝わる古代裂による茶入れを包む布の復元がきっかけとなってついには正倉院御物や法隆寺の錦の復元である。
 つまり、織物にすべてをかけた男の生涯を描いた作品である。

 ここまで書くと、この人物が誰であるのか、大方の予想はつくことだろう。
 読み進みながらたぶんにフィクションの部分もあると思いつつも筆の確かさに実在した人物が重なってしまう。
 小説のモデルとなった‘龍村平蔵’は、生き生きと明治・大正・昭和を、織物一筋に生き抜いていくのだ。

 江戸の伝統や価値観が人々の心の奥にそっくりとしまわれて、時代がどのように変わろうとも日本人の心として生き続け、‘錦の魔力の憑かれた男’を支えていく。そうした脇を固める登場人物の女たちの愛が、痛いほどに悲しく、羨ましいほどに強く、美しく描かれている。
 ひとりの男の生涯を描きつつ、見えてくるのはひたむきでありながらしたたかな女たちの生涯でもある。ところどころに挿入されるひとり一人の女の感情の波が、切なく迫ってくる。

 圧巻は、織りあがった錦が眼前に立ち上がる瞬間の描写は、著者に何人もの鬼籍人がのりうつったかのようだ。そうでなくてこれほどの小説が書きあがるはずがない。

 どこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのか、などということはどちらでもよい。伝記ではなく小説である。そこに著者の苦心があるという。
「私は私の龍村平蔵を独自に構築してゆかねばならぬむずかしさでした」

 著者は‘あとがき’を記している。
「三十年近い準備期間はあっても、これで十分ということは決してなく、私が最も恐れていた休載も、切羽つまった家族の病気を看取るため、やむなく一回だけお許しを乞いました」
 激闘の日々を振り返っている。
 それはそのまま主人公とその周りに生きる人々の激闘の日々でもあったに違いない。

 この小説のモデルとなった龍村家の方々は、どのようなお気持ちでこの小説をお読みなったのだろうか。伺ってみたいこともあるが、安易には伺うことは憚られる気持ちの方が強い。
 
 後に龍村仁さんによって‘ガイアシンフォニー’が生みだされるのも必然であることを、もう一つの物語として読み重ねていった。

 著者の名は、宮尾登美子、八十二歳。
 時代を超えて、主人公を守り助け愛情を注ぐ女人の一人となった。
 読み終えて‘言葉の錦’に呼び覚まされる声を聞いたような気がしている。
 
 …… 魂が流す血によって 美に命はふきこまれる …… と ……
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