羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

三鷹光器の話!

2007年05月25日 16時17分42秒 | Weblog
 久しぶりに心がときめいた。
 これほど素晴らしい日本人がいるという感動なのだ。
 月刊『省エネルギー』2007年5月号、新連載「"技”のフロンティア」に紹介されていた三鷹光器会長・中村義一氏の話だ。

 以前、佐治嘉隆さんが、三鷹にある天文台の写真を「芭瑠庵」に載せておられたことをご記憶だろうか。
 今日の話の舞台は「東京天文台」を学校として育った人の物語である
  
 その人の名は、中村義一さん。東京天文台が「もつものづくりとアカデミズム」のなかで少年期を過ごした。手先が器用だった少年は天体望遠鏡に心を奪われ、機械いじりに熱中していく。少年にして異才ぶりを発揮していた。
 17歳で東京天文台に就職し、そこで22歳までの5年間にものづくりの基礎を身につけた。そして35歳のときに三鷹市大沢に「三鷹光器」を創業。町工場を「世界のMITAKA」に育てあげた人だ。

 その名を世界にとどろかせたのは、NASAのスペースシャトルに搭載されたカメラ。そして現在はエネルギー・水・食料という文明の課題に、三鷹光器の培ってきた技術力を注いでいるという。

『世界中の論文を読んでも先のことはわからない。だから、ものづくりであしたにいのちをつないでおくことです』という中村さんの人材発掘はユニークだ。
 いっぷう変わった入社試験は次のようなことだ。

 1、「模型飛行機づくり」手先の器用さと総合力をみる。
 『力のある人の飛行機は宇宙が飛ぶのを許してくれる』と中村さんは云う。

 2、デッサンを描かせ、煮魚定食を食べさせる。
   手の使い方、観察力、性格をみる手がかりになるらしい。

 つまりものづくりに向いている人は、「器用・負けず嫌い・素直・神経質」が条件になる。
 なかなかどうして凄い基準で人を選ぶ。
 そして、もっと大切なことはアイデア力。
 このアイデアは「宇宙から降ってくる」。

 こうして海外では2002年にドイツのライカ社と提携して、三鷹光器の顕微鏡は世界に販路を拡げたという。”MITAKA"の名は、世界の医学界では広く知れ渡り、アメリカでは70%のシェアを占める大ヒットとなった。
 しかし、日本では町工場という理由から、国立病院では入札参加が認められないらしい。
 なんというお粗末な話か! 
「日本では町工場は大企業の下請けになるしかない」と中村さんは語る。

 町工場だからこそ出来ることがある。
 なぜ、日本は本当の価値を認めないのだろう。
 
 私は、この記事を読んで、叫びたくなった。
 野口体操だって同じだ! と。

 財団法人・省エネルギーセンター 月刊「省エネルギー」2007・5月号より。
コメント (2)
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