羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

地球交響曲第六番ー2-創世記誕生に立ち会って

2007年05月02日 20時06分06秒 | Weblog
 灯りがついた。
 先ほどまで映像が映し出されていたスクリーンが、白く浮き上がっている。
 ざわめきが起こった。
 龍村仁監督が小走りにやってこられた。
 拍手が起こる。
 
 いい映画だった。ガイア・シンフォニー6番は、音楽がテーマだった。
 音楽もテーマだが、これは宇宙創成の物語。21世紀の新しい神話が産まれた。その瞬間に立ち会った感動なのだ。
 冒頭、原初の楽器である「弓」が天地を分かち風を呼ぶ。印象的な導入である。宇宙開闢の音楽がはじまった。「虚空の音たち」は、そのほかに「天然木」ディジュリドゥつまりオーストラリア・アボリジニが大地の木霊と交感する祈りの楽器、「コアガラスの笛」、最後に「磐」石の板の楽器。
 それら「虚空の音」が、ラヴィ・シャンカールのシタール、ケリー・ヨストのピアノ、ロジャー・ペインの鯨の歌とチェロの音楽を縫い合わせる。

『光が音になり、音が光となるひと時、時計の時は止まり、永遠の時が動きはじまる。訪れる虚空の静寂、その静寂の中に満ちあふれる宇宙創成の"響き”。第三の耳は確かに開いた』龍村仁 プログラムより

 見えない世界を見せ、聞こえない音を聞かせる装置は完璧だった。
 地球は限りなく深く広く。その地球が生んだ自然とともに生き、それぞれに響かせる音楽は、一つひとつが神との交信を可能にする。共通項は「美」だった。
 「虚空の音」は、風になり火になり水になる。循環し還元し、宇宙の果てへと見るものを誘う。映像と音に音楽に、身を委ねてゆくうちに、神話誕生の瞬間に立ち会っていることに気付かされる。
「ある(在・有)」と「ない(無・虚)」の狭間に、「虚空の音」は忍び寄り、音の存在を知らしめる。音によって宇宙は生まれ、音によってある「かたち(形・象・徴)」が保たれる。
 音の波は光の波と交合し、命という奇跡を産む。

 人はガイアシンフォニーの中に、魂を置き忘れてくるに違いない。新しい創世記の物語は、宇宙の140億年の時間の中で醸成された神の息づかいを私たちに伝えてくれる。
 驚きは「鯨の歌」で、歓喜に変容する。
 
 そして再び「虚空の音」に誘われて、音楽の起源の深みにはまるのだ。
 人間や鯨の音楽より以前に、大作曲家は大自然だった。音楽は宇宙創生の時にその起源を遡ることを『ガイアシンフォニー第六番』伝えてくれる。

 理屈はいらない。ただその映像と音と音楽に浸りさえすればいい。
 身を委ねさえすればいい。
 創世記神話のひとつの真実が、ここに描かれているのだから。
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地球交響曲第六番

2007年05月02日 19時25分17秒 | Weblog
 龍村仁監督の握手は力強かった。ぎゅっとこめられた力に、意識が覚醒した。
 そうだ、私は、今、『ガイアシンフォニー第六番」を見終わったのだ。
「羽鳥さん!」
 龍村監督は、サインの人垣に並んでいた私に声をかけてくださった。

「新しい神話の誕生に立ち合わせていただいて……」
 CDにサインしていただいた。

 このメッセージを人に伝えたい。
 「鯨の歌」を聴いていただきたい。
 「虚空の音」の存在を、映像とともに味わってもらいたい。
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