羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

数珠と装身具と野口体操

2007年05月08日 21時06分05秒 | Weblog
 火曜日・朝日カルチャーの午前のレッスンは、私にとって記念すべきものとなった。
 なんとなく感じていることが輪郭をもつには、時間がかかる。
 求めていることが曖昧で、今ひとつ自分のなかでもどかしさを感じていると、ある日突然、意識の領域に「あること」が顕在することがある。

 今日は、まさにそうした出来事が自分自身の中で起こった。
 
 実は、野口三千三先生が亡くなった当初から、私は、野口先生を偶像崇拝しないこと・カルト的な原理主義に陥らないこと・野口三千三の華麗な言語世界に惑わされないことを三本柱にしてやってきた。
 もう一つ加えれば、残されたものの仕事に、野口体操を検証するということがあると思った。

 最近になって野口体操に「沖ヨガ」という光を当ててみてもいいのではないかと思えるようになった。
 具体的には、龍村修さんとコラボすることだった。それは3月30日に実現した。
 準備のためにも龍村呼吸法を学ばせていただいた。
 龍村さんは、野口先生が習われた「沖ヨガ」の沖正弘師のもとで研鑽をつまれた方だ。龍村さんを通して野口先生が昭和35・6年年に「沖ヨガ」研究をなさったそのエッセンスがどのように野口体操の中に流れ込んでいるのかを、からだを通して見つめてみたかった

 実際には龍村呼吸体操をDVDで実践して、私が野口体操をはじめたときに最初に行った「呼吸」と座位によるほぐしが、通じるものであることに気付いた。
 あるときから野口先生じきじきに注意すべきことを教えていただいた。
 表現は違っているが、龍村さんが指導しておられることと一致していることが随所に見られたのだ。

 今日はレッスンのなかで、龍村ヨガの方法も取りながら、私が野口体操と出会って最初にやっていたことを、皆さんにもやっていただいた。
 
 詳しい内容は、ブログでは書ききれない。
 今週の土曜日クラスでも試みたいと思っている。

 レッスンの最後にお話した「体操とは祈りである」という言葉の解釈と実践の意味が、自分の中で明確になった。
 そしてなぜ野口先生が「装身具」、「数珠」を集められたのか、そのもとになった感覚が実感としてつかめたのだ。
 「数珠」は、ロザリオに通じるだけでなく、ネックレースのもとである。
 装身具は単なる身を飾るアクセサリーではないことを野口先生は折に触れて話された。飢餓状態に置かれた民族が瀕死の状況にあっても、ネックレースをつけているのはなぜか。という問いから始まり、「祈り」の象徴であり道具であり法具であることの意味を探られた。

 「数珠」は、祈りの言葉を繰り返し唱えるときに数えるものでもある。数を重ねることは、信仰を深めることでもある。つまり、何かを祈念するする行為には、繰り返しが力を持つ。
 野口体操を身をもって理解する、あるいは人間の身体というものの真実を体操を通して見抜くには、継続することが「感覚すること」と同時に大切であることから、「体操とは祈りである」という言葉が生まれたのだと得心した。
 そのとき自分のからだの中に「数珠」を持つこと。その数珠を数えることで、持続していくことの大切さをおっしゃりたかったのではないだろうか。
 からだは一日にして変化しない。しかし、外側から強制したり、外側の基準に合わせるだけでは自分の体操になってくれない。
 自分のからだの内側に祈りの導具としての「数珠」を持つこと。

 数珠は繰り返すという行為にとっての定規になるのだ。
 何かが身につくまでは、定規を持つことは無駄ではないと思う。
 ヨガはその智慧を、方法を洗練させながら、育ててきたと思える。
 野口三千三先生は、からだのモデル・DNAのモデル・動きのモデル・継続を支える定規として「数珠」、つまり「装身具」に象徴させて伝えたかったのではないだろうか、とレッスンのなかで言葉となって顕われた。
 
 これから野口体操をどのように伝えるのかという問いかけに一つの答えをもらえた日だった。まだ上手に言葉にすることはできない。しかし、自分のなかで今までとは違う「野口体操の見方」が、産まれかかっているような気がする。
 晩年に集められた「装身具」について、昭和35・6年に遡って語る「話の筋道」が、ようやく見えてきた。

 
コメント
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