羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

動きのなかで探っていくこと―3―「腕立てバウンド」考

2006年03月06日 13時37分57秒 | Weblog
 2月26日の写真撮影会以後、いくつか問題が、私のなかでくすぶっている。
 まだまとまってはいなので申し訳ないが、とりあえず一つずつ挙げてみたい。
 今日は、まず「腕立てバウンド」から。

 この「腕立てバウンド」という動きは、おそらく野口先生のなかで、従来の「腕立て伏臥の腕屈伸」に対して、「動き」と「移動」という生き物の本質を考えた「腕立て」として始まったのではないかと想っている。
 
 先生の体操の基本姿勢は「生きものは息するものである」から始まって、どんなにじっとしているように見えるものでも、生きものであるかぎり微細な動きも含めて動き・流動し・変化するものという捉え方をなさっていた。
 
 そこで「腕立て伏せ」と一般に言われている運動に、「動き」「移動」「流動」さらには「遊動」のイメージを加えていったときに、「床から一気に吹き上げ腕立てバウンド」「腕立てバウンド」「片方ずつ手を放して前進腕立てバウンド」「横移動腕立てバウンド」「足を右左交互に胸つけ腕立てバウンド」「両手放し前進腕立てバウンド」「左右交互斜め方向移動腕立てバウンド」「拍手つき腕立てバウンド」等等。
 思い浮かぶだけ並べてもこれだけバリエーションがある。

 バリエーションという言葉は、、クラシック音楽の楽曲フォルムでもある。いや、私にとってはそちらが最初にイメージとして入っている。
 ちょっと横道にそれるが、「バリエーション」という楽曲は、最初に皆がよく知っている・あるいはすぐ覚えやすいメロディーの16小節~24小節くらいまでの短い曲が、テーマ曲として提示され、そのテーマをいろいろな変奏を行って一曲にまとめていくもの。
 たとえばヘンデルの「調子のよい鍛冶屋の変奏曲」、バッハにはグレングールドが演奏してとくに有名になった「ゴールドベルグ変奏曲」、モーツアルトの「トルコ行進曲付ソナタの第一楽章」や「きらきら星変奏曲」。ベートーベンの「エロイカ変奏曲」「32のバリエーション」などなど。
 クラシック音楽には、変奏曲(バリエーション)と名づけられた形式の音楽が多数残されている。
 
 そのような作曲法的な視点から、野口体操の「腕立て」や「腕立てバウンド」を見直してみるとないかなかに面白い。
 先生の中では、テーマはもちろん「腕立て伏臥による腕立て屈伸」があってそれをもっと「波」「渦」「螺旋」の変化・流動を加えていったときに、まず、ひとつあるのが「床から一気に吹き上げ腕立てバウンド」でなかったかと思っている。
そして鉛直方向に腕の骨が重さを受ける、つまり「柱(支え)」となって、体全体がぶら下げられたときに「揺れ」が生まれることから、波を描きつつバウンドする「腕立てバウンド」なる動きが出てきたのではないだろうか。体の一部が丸く円を描く、すると全体は波の動きになる。「腕立てバウンド」は、いちばんオーソドックスなバリエーションとして発想されたと思っている。

 で、問題は「鰐腕立て」だ。佐治さんのブログ「芭璃庵」の写真を見ていただきたい。これは、この姿勢をとるだけでも並みの「腕立て伏せ」を超えてキツイ姿勢だ。このじっとその体勢とっているものは別だてで「鰐腕立て」といい、バウンドしながら前進するのは「鰐腕立てバウンド前進」とでも名づけたい。

 こうした作曲技法的な視点から、野口体操の動きを俯瞰してみると、体系とは一味違った「鳥瞰図」ができるやもしれず。
 ぼちぼちやってみようと思っているけれど、果たして上手くいくのかしらね?
 何事もやってみなければわからない。
コメント
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