電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

地元紙で佐藤賢一「ペリーの『砲艦外交』」という記事を読む

2011年10月29日 06時01分22秒 | 読書
地元紙「山形新聞」の10月20日付け朝刊に、「古今東西」というらんで、作家の佐藤賢一さんによる "ペリーの「砲艦外交」" という文章が掲載されていました。「幸運だった"交渉下手"」という見出しからも推測されるように、幕末の最初の日米交渉の実態は、実は幕府側のほうがかなり上手で、うまく切り抜けることができた、というものであったらしい。さらりと目を通しただけで朝は切り上げ、夕方に備忘録にスクラップしておりました。で、この記事をじっくり読んでみると、なかなかに興味深い内容です。

(1) 人口で言えば、日本のほうがはるかに大国で、中国、インド、ロシア、フランス、オーストリア=ハンガリー帝国に次ぎ、人口3,300万人は英国をもしのぎ、世界第六位だったとのことです。もっとも、当時は世界人口ランキングなど知っていたのかどうかは不明(^o^)/
(2) アメリカは、まだ独立して70年の発展途上の国で、近代技術はありましたが、外務省に相当する国務省職員の人数は50人、軍人や商人など、素人に外交官を兼務依頼するしかなかったようです。
(3) ペリーの交渉も、あまり上手ではなく、粘り腰の幕府にやりこめられて通商条約は取り下げ、和親条約に限ることでようやく実現したようです。

このあたりの指摘は、なるほどと頷かせる説得力があります。そして、理系の日本史オンチには、次の指摘は重要です。

二番目以降の国は最初の国に準じるという国際法の慣習があり、ゆるかったアメリカとの条約は日本の防波堤にもなっていた。

うーむ、中学生時代に習った、「不平等条約を結んだ無能な江戸幕府とそれを撤廃するために努力した薩長・明治政府」という図式とは、ずいぶん違う見方です。

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