電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

J.S.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」第6番を聞く

2006年08月17日 20時08分17秒 | -協奏曲
親戚に不幸があり、一昨日と昨日とお手伝いに動きまわりました。今日は葬儀で、朝から一日じゅう活動する必要があり、正直言っていささかくたびれました。でも、葬儀もとどこおりなく終了し、若い喪主も立派に役割を演じて、まずは一安心です。

自宅に戻り、様々な楽器編成で楽しませてくれるバッハのブランデンブルグ協奏曲、今日は第6番をリピート再生で存分に楽しみました。この曲は、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器が活躍するのが特徴でしょうか。

Wikipediaによれば、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器はギターのように指ではじくのではなく、チェロのように弓でこすることで音を出すのだそうです。ではチェロとはどう違うのかというと、指板にガットを巻き付けたフレットを持っていること、床に固定するエンドピンを持たないこと、等が挙げられます。一言で言うと、弓でひくギター、というところでしょう。

音色は非常にやわらかです。チェロのような雄々しさではなく、柔和な響きです。この協奏曲の曲調も、楽器の性格を生かした、地味ですがたいへん優しく味のあるものになっているように感じます。ど派手な音楽が聞きたいときには、およそ不向きな曲ですが、今日のようにぐったり疲れたときには、心が安らぎます。

驚いたことに、世の中にはこの楽器を自作してしまう方がおられるのですね!このページ(*)を見て、世の中には、こういう音楽の楽しみ方もあるのだな、と感心してしまいました。

(*): ビオラダガンバ製作日記

演奏は、レイモンド・レパード指揮のイギリス室内管弦楽団、1974年11月、ロンドンにおけるフィリップス録音(420 346-2)です。コンサートホールに残されたカール・シューリヒト指揮のチューリッヒ・バロック・アンサンブルによるLPの演奏と比較すると、やや速めのテンポです。参考までに、このCDの演奏データを示します。

■レイモンド・レパード指揮イギリス室内管弦楽団
I=6'29" II=4'24" III=5'51" total=16'44"
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ひまわりの花の迷路を歩く

2006年08月16日 18時01分22秒 | 散歩外出ドライブ
先日、地元紙の記事に紹介されていたひまわりの花の迷路をたずねました。村山市にある道の駅の西側の休耕田を利用し、地元の小学生がヒマワリの種を植えて、迷路を作ったのだそうです。たしかに、子供の背丈ならばすっぽり隠れてしまいますので、迷路として楽しめそうです。

実は、この手の迷路には解読必勝法があります。それは、迷路に入った人は、必ず脱出に成功する、という法則に基づいています。多くの人が必ず脱出に成功しているわけですので、正しいルートは踏み跡がしっかりしている。したがって、迷ったら踏み跡のしっかりした方を選べばよい。で、一発で脱出に成功してしまいました。

もちろん、洞窟探検のような、脱出できるとは限らない迷路では、この法則はあてはまりませんので、念のため(^_^)/
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帰省の皆様の帰路のご無事をお祈りいたします

2006年08月15日 12時45分43秒 | Weblog
お盆に帰省されておられる皆様も多いことでしょう。これから迎える帰路の混雑、お疲れさまです。私も、若い頃に関東地方に住みましたので、夏の帰省の帰りはたいへんな渋滞とラッシュを経験しました。東北自動車道のサービスエリアもパーキングエリアも満員で、ようやく車を停めて一休みし、持参の冷水とおにぎりをほおばった時のおいしさ。あれから四半世紀も過ぎていますが、今でも家内とよく話をします。
ようやく到着して、中一日程度の休みを取っただけですぐ出勤できたのは、たぶん若さと、もう一つ、都会のエネルギーだったのでしょう。帰省中の皆様の、帰路のご無事をお祈りいたします。
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昨日のN響アワーは

2006年08月14日 22時28分34秒 | クラシック音楽
徳島県鳴門市から、坂東俘慮収容所における「第九」日本初演にまつわるお話でした。残念ながら、期待した池辺晋一郎さんの「髭」は見ることができませんでしたが、映画のセットだけでなく「ドイツ館」の内部も紹介してもらいましたので、(もちろん)録画しながら興味深く番組を見ることができました。
高橋美鈴アナウンサーは、さすがプロですね。要点をきっちりおさえながら、ちゃんと池辺さんの話を引き出していました。
演奏のほうは、レオノーレ第三番と第九の第四楽章をまるまる聞くことができました。収容所で聞く「レオノーレ」の音楽は、自由と解放を願う心にどのように響いたのでしょう。歳末の慌ただしさの中ではなく、真夏に聞く「第九」もいいものです。それと、第四交響曲もどうやら日本初演らしいとのこと。アシュケナージやスクロヴァチェフスキの指揮でN響の演奏を聞きながら、当時の楽器調達の苦労やプログラムやポスターなどガリ版のカラー印刷の精巧さなどの紹介に、いまさらながら「へぇ~」と驚いた一時間でした。
会津には何度か行ったことがありますが、東北から四国へはなかなか旅をする機会も少ないので、これはぜひ「一度行ってみたい場所リストに登録」ですね!
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盆と正月はスキルアップのチャンスだった

2006年08月13日 18時11分58秒 | コンピュータ
最近はそうでもなくなりましたが、盆と正月の休みはずっとスキルアップのチャンスでした。両親が元気で、盆と正月の行事をとどこおりなく済ませてくれている間は、身軽な時間を集中して使うことができました。

80年代初頭には、サーミスタやオペアンプを利用した温度測定を工夫しているし、80年代の中ごろはBASICプログラミングに取り組んでいました。80年代後半にはMS-DOSのしくみやHDの運用、JGAWKなどのスクリプト言語を知りました。90年代はじめにはパソコン通信の楽しさを知りましたし、FM-TOWNSという面白いマシンを通じて、TeX/LaTeXやgnuplotなどのUnix系ツールを知りました。Windows95の導入以後は、インターネットがらみの導入が多くなり、ISDNも確かお盆休みに入れたはず。初めて TOWNS で Linux に触れたのは1998年のゴールデンウィークでしたが、その後まとまった時間があるたびに、DOS/V機でLANなどの実験をしていました。セキュリティや個人情報がらみの話題も、この頃からでしょうか。2000年以降は、ダイヤルアップ・ルータの導入と常時接続の開始など、通信環境の向上が顕著です。また、近年は自動生成方式のWEBサイト開設やブログの開始など、WEBがらみの内容が多くなっているように思います。

家内に言わせれば「嫁はつらいのよ」なのかもしれませんが、知識を蓄え技術を覚えて、まがりなりにも技術の進歩に取り残されずに来れたのは、たしかに盆や正月の連休だったように思います。当面の課題や業務にとらわれがちな職場のOJTとは別に、自分自身のスキルアップをはかることができる条件は、やはりまとまった「時間」のようです。お嫁に行った娘にも、技術畑のダンナの「おもちゃ」を取り上げてはいけないこと、そういう「おもちゃ」類への個人的な投資が、結局技術屋としての寿命を決める面があるのだよ、と話しました。

で、今年は?
寺参りや親族回りなど、一連の行事をこなすのはけっこう時間が取られます。もう、盆や正月にまとまった時間を取り、スキルアップを図るのは難しいようです。たしかに、そういう年齢でないという気もするのですが、まだまだ好奇心はやみません。どうも、従来とは別の方策を考えないといけないようです。
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やけに涼しいお盆の朝

2006年08月13日 08時50分41秒 | Weblog
今年も家族全員が無事にお盆がやってきました。子どもたちも帰省し、久しぶりの家族集合です。それにしても、今朝はやけに涼しいお盆の朝です。エアコンどころか、タオルケット一枚では肌寒いくらい。扇風機さえいりません。全天にかなり厚く雲がかかり、太陽の直射をさえぎっているためでしょうか。

写真は、先日名前も知らない沼で撮影した、白い蓮の花です。昨年も古代ハスの赤い花を撮影しましたが、泥の中から美しく咲くロータスの生命力に感嘆します。
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DECのパソコンがついに壊れる

2006年08月12日 22時02分50秒 | コンピュータ
だいぶ前に愛用していたDECのデスクトップ型パソコンが2台、相次いで壊れた。
まず最初は、DigitalPC5100シリーズのミニタワー型Pentium(233MHz)機。こちらは、はじめはWindows95、続いてWindows98で使っていたのだが、私が使わなくなった後も子どもが中高生の頃にゲーム機がわりに使っていたために、とうとうハードディスクが飛んだ。ビデオチップがS3Virge/VXというもので、単純にハードディスクを交換しOSを再インストールしても、ドライバがないと16色VGA画面にしかならないので、あきらめた。
もう一台は、DEC Venturis5166 という Pentium(166MHz)機で、壊れたCD-ROMドライブを別マシンから移植し、Linux の実験用に使っていたのだが、とうとうマザーボードが壊れたらしく、FDでも起動しなくなってしまった。
思い出せば、Windows3.1/95 を起動時に選択しインストールされるという時代のパソコンだ。壊れて当然だろう。よく今まで持ったものだと感心する。今はなくなってしまった懐かしいブランドだけれど、さすがは DEC製だとほめてあげたいところだ。
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同曲異演を楽しむ

2006年08月11日 09時56分16秒 | クラシック音楽
LPやCDなどの音楽録音を集めていると、演奏者は異なるけれど同じ曲の録音が複数あることに気づくことがあります。意図的に集めたわけでもないのに、同曲異演が集まってしまう現象は、音楽CDの激安ブームとともに加速しました。

高額のLPが貴重品だった時代は、潤沢な資金を持ったマニアは別として、どれか一枚を購入しなければ聞くことができませんから、普通の愛好家は同曲異演の優劣をすぐ考えてしまったのだと思います。ところが、年月が過ぎ、有名無名の多くの演奏に接し、日本語解説のついていない激安の音楽CD等も先入観なく聞いているうちに、それぞれの演奏家の方向性や趣味嗜好の違いに興味が移行してしまいました。

今では、管弦楽作品については、ジョージ・セルの録音を一つの軸にしながら、できるだけこれと異る演奏にも接するよう心がけています。以前「精妙なリズムのセル、豊麗なレガートのカラヤン」と書きました(*)が、不足するものに目を向ければ不満が出ますし、美質に目を向ければその達成の素晴しさに感嘆します。数学や自然科学とは違って、(幸いなことに)音楽の抽象性はこのような曖昧さや多様さを許す面があります。

素人音楽愛好家の私には、楽譜の版の問題や、表現の技術的な側面などはわかりかねますが、少なくとも権威ある大家の古い録音だけが絶対で、現代に生きる若い人たちの演奏の評価が低いとは思えません。晩年のベートーヴェンの深さは理解できるつもりですが、その一方で若いベートーヴェンが持っていて晩年の彼が失ってしまったものの価値も理解できるつもりでいます。同様に、ある演奏家の若い時代の録音よりも晩年の録音が常に良いか、というと、これもまた一概に言えない気がします。私たちの人生と同様に、経験を通じて得たものと失ったものとは、かなり相補的なものなのではないか。

その時代、その年代にベストを尽くしたかどうかは問われるでしょうけれど、少なくとも単純に優劣で決められるようなものではない、ように思います。不揃いのトマトもやっぱり畑で取れた完熟トマトの味です。幸運にも入手できた音楽録音の同曲異演、音楽が好きで演奏家を志したこの人は、こういうことを目指していたのかな、と素人なりに想像して、あるがままに楽しむことといたしましょう。

(*): チャイコフスキー「弦楽セレナード」を聞く
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ラヴェル「ダフニスとクロエ」を聞く

2006年08月10日 07時36分10秒 | -オーケストラ
ここしばらく、通勤の音楽にラヴェルの「ダフニスとクロエ」を聞いておりました。この曲は、第一次世界大戦の前夜に完成・初演されたもののようで、指揮者ジョージ・セルは高校生くらいの年齢だった時期です。すでにピアニストとして活動しており、リヒャルト・シュトラウスのアシスタントとして宮廷歌劇場の仕事をしていたといいます。才能を愛するシュトラウスが職を探してくれていたそうですが、戦争の危機を感じたオットー・クレンペラーの推薦により、彼の後任として当時ドイツ領だったアルザス地方の音楽の中心、シュトラスブルグ歌劇場の若い音楽監督として赴任する前の時期(*)です。要するに、音楽には野心的だが世間知らずの若造に危険なポストを譲って逃げ出した、ということか。独仏の狭間で揺れる歌劇場のポストから1年で去り、プラハのドイツ歌劇場の副指揮者・コーチから再スタートします。若年とはいえ、1年間のトップ生活からアシスタント生活への逆戻り。満たされなかった野心と自負が、指揮者ジョージ・セルの辛らつさの根底にあるような気がします。

----第2組曲----
(1) 日の出
(2) 年老いた羊飼いラモンが、パンの神がクロエを救った理由を説明する~ダフニスとクロエはパンとシランクスの愛を無言劇で演じる
(3) 全員の踊り。ダフニスはニンフたちの祭壇の前で、2頭の雌羊を捧げて信心を誓う~酒神バッカスの扮装をした若い娘たちが登場~ダフニスとクロエは優しく抱き合う~楽しい騒ぎ、全員の踊り。
----------------

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏は、速いテンポでくっきりと描き出すもの。特に「全員の踊り」のあたりの、たたきつけるようなリズムの推進力は迫力があり、オーケストラの爆発するような活力を感じます。ラヴェルの音楽の持つ激しい側面を見るような思いです。

もう一枚、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の演奏は、バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲版です。この中で、第3部《パンの神とニンフの祭壇の前》が第2組曲に相当します。ただし、こちらは女声合唱が入り、華やかです。テンポもゆったりしていて、いかにも劇場の中にいるような祝祭的な雰囲気です。

■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管 (CBS-SONY FDCA-507)
total=15'00"
■サイモン・ラトル指揮バーミンガム市響 (東芝EMI TOCE-4026)
I=5'25" II=6'51" III=4'43" total=16'59"

(*): TON さんの George Szell Chronology より ~ 若き日のセル(1)
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重松清『ニッポンの単身赴任』を読む

2006年08月09日 21時57分47秒 | -ノンフィクション
講談社文庫で、重松清著『ニッポンの単身赴任』を読みました。私もかつて単身赴任の経験がありますが、本書に取り上げられたようなケースとはだいぶ違うな、と感じます。なんといっても、本書のケースはみな、帰ろうと思ってもすぐには帰れない距離です。いきおい、休日も単身赴任先で過ごすことになり、そこに喜びや哀しみが生まれるように思います。

私の場合、単身赴任の原因は、単純に冬の豪雪と変則夜間勤務でした。この間、家族の健康、子供の受験など、一番苦労したのは妻でしょう。アパートでの生活は、音楽を聞きながら読書を楽しみ、散歩と買い物と料理を楽しみ、一風呂浴びてインターネットを楽しむ優雅なもの。ほとんど寂しさは感じませんでした。

単身赴任の喜びも哀しみも、休日や余暇の過ごし方から生じる。日々家族の中にあっても、単身赴任同然の人もいるかもしれない。これは、単身赴任とは無縁の人にも、なにかしら考えさせるものがあります。
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吉村昭『アメリカ彦蔵』を読む

2006年08月08日 21時34分03秒 | -吉村昭
新潮文庫で、吉村昭著『アメリカ彦蔵』を読みました。本作品は、親を亡くした播磨の国の少年が、炊事見習い夫として船に乗り組み、嵐のために太平洋を漂流してアメリカ船に救助されます。仲間とともに帰国を望みますがかなわず、親切なサンダース夫妻の援助により米国の教育と洗礼を受け、米国に帰化してアメリカ市民となり大統領にも面会した最初の日本人となります。やがて、日本語と英語の会話力を買われて米国領事ドール付の通訳として日米交渉にのぞみます。このあたりは、『海の祭礼』に描かれた日本側の通訳である森山栄之助とはまったく逆の立場です。
井伊大老の暗殺に見られるような世情不安の中で、身の安全を不安に思った彦蔵は、いったん米国に戻り、海軍の物資補給係の職を得ようとしますが、米国は南北戦争に突入し、アメリカ政府の日本への関心が低下した時期にあたるのでした。彦蔵は求める職をなかなか得ることができず、日本に戻り領事館の仕事を続けることとなります。その頃、南北戦争の終結に伴う武器の供給過剰が、生麦事件を契機にした薩英戦争から薩長同盟を経て明治維新への激動が始まるのでした。(以下略)

「明治維新は南北戦争のおかげでござる」と喝破した西郷隆盛の言葉の背景がよくわかる物語です。特に、『黒船』や『生麦事件』などは日本を舞台に描かれますが、この物語は日米をまたにかけ、南北戦争を視野に入れた点が、日本近代史に弱い理系にとって目からウロコでした。
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グラジオラスとグラディエータ

2006年08月07日 20時49分03秒 | Weblog
先日撮影した裏の畑のグラジオラスの写真、ファイル名をつけるために、愛用しているホーンビーの新英英大辞典でつづりを調べたら、gladiolus というのだそうです。この説明が、a plant with sword-shaped leaves and spikes of brilliantly coloured flowers. というので、あの細長い葉を剣に見立てたのかと、納得しました。ちなみに spike はラヴェンダーのような穂状花序のこと。
ついでに隣の単語を見てみたら、gladiator というのがあり、こちらは (in ancient Rome) a man trained to fight with a sword or other weapon at public shows in the arena. だそうで、やっぱり関連があるのですね。
それにしてもホーンビー英英辞典の解説の明快さ、わかりやすさは格別です。
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今日のN響アワーは

2006年08月06日 22時14分30秒 | クラシック音楽
池辺晋一郎さんと高橋美晴アナウンサーが、瀬戸内海に浮かぶ小豆島から、岬の分教場の様子などを紹介してくれました。音楽としては、モーツァルトの歌劇「イドメネオ」の序曲とアリアが取り上げられました。ただ、ふだんレヴァイン指揮のLDを見ているためか、それほど珍しい演目とは感じませんで、むしろリヒャルト・シュトラウスの交響的幻想曲「イタリアから」の第四楽章「ナポリの人の生活」に、「フニクリ・フニクラ」の旋律が出てくるところなどが面白く聞きました。指揮のサヴァリッシュさんが、まだお元気な様子で、懐かしく思いました。最後に、アシュケナージ指揮のラヴェルの「ダフニスとクロエ」第二組曲から「夜明け」など。この曲は、ほんとにいい音楽ですね~!
そして来週は、四国徳島で、第九の初演の話題を取り上げるとか。池辺晋一郎さんの髭が見られそうですね(^o^)/
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スモモの収穫

2006年08月05日 18時30分09秒 | 週末農業・定年農業
しばらく前になりますが、スモモの収穫時の写真がありました。この品種は、見かけは青いのですが内部は赤いのです。我が家の女性たちはみな酸っぱいものに目がなく、好んで食べていますが、私は八月の桃まで楽しみは取っておきたいほうです(^_^;)>poripori
で、実際に木になっている様子はこんなふうです。

木の本数もそれほどたくさんではないので、高所作業台車が活躍し、昨年晩秋に大腸がんから生還した80翁の老父でも比較的楽に収穫できました。これが高所作業台車の写真です。

老人の生きがいとなっている畑仕事を助けてくれる、こういう技術開発は、たいへんありがたいものです。

【追記】
老父いわく、この品種は「フームサ」といって、中が赤い「ソルダム」とは違う品種だそうです。「フームサ」は7月下旬が収穫適期、「ソルダム」は8月だとのこと。私もまだまだ後継者にはなれませんね(^_^;)>poripori

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平岩弓枝『はやぶさ新八御用帳』(第6巻)「春月の雛」を読む

2006年08月05日 11時08分40秒 | -平岩弓技
平岩弓枝さんの『はやぶさ新八御用帳』シリーズ、第6巻と第10巻を見つけ、まずは6巻を読みました。郊外型書店ではこの手の文庫の回転が早いようで、シリーズがそろっていることが少ないように思います。

第1話「江ノ島弁財天まいり」、湯島界隈の弁天講で江ノ島に出かけた小かんの一行の一人およしが殺されます。水戸家の奥奉公の宮城野というお女中が目撃します。宮城野さん、後日また登場するキャラクタのような気がしますね。
第2話「狐火」、麹町の旗本浅尾家の邸内で狐火が燃えるという噂に、大久保源太と新八郎が動き出します。どうやら大勢の人に見てもらいたいらしい。狐つき騒動の筋書きは、奥方の知恵だったようです。
第3話「冬の蛙」、旗本森山家の未亡人の毒殺騒ぎは、例によって男子相続にまつわるごたごたです。これはもう最初の予想どおりでした。
第4話「鶏声ヶ窪の仇討」、八丁堀で不明死体が発見され、もらい下げていった者は土井家の名を詐称したという。素人の夫の仇討ちを果たした女盗賊はプロですね。この人も、たぶん後日また登場するのではないかな。
第5話、表題作「春月の雛」。人形に魅入られるというと、美しい怪奇話を想像しますが、ちょっと興ざめな結末。なんでこれが表題作?と解せません。
第6話「淀橋の水車」、根暗の万太郎、いけすかない万次郎、どちらもお鯉さんのご縁としてはよろしくない。では新八郎なら良いのかといえば・・・作者の困った設定ですね。
第7話「中川舟番所」。いや、これはヒットです。三千石の若様・落合清四郎が水が怖くてご奉公がかなわぬと悲観するのもユーモラスだが、水の恐怖を除こうと手に血マメをこしらえる新八郎も良い性格です。どうやら火事が取り持つご縁になりそうな。
第8話「落合清四郎の縁談」。案の定、火事が取り持つご縁でした。奥方のほうが背が高いケースはよくある話なのですが、平岩弓枝さんはずいぶんつりあいにこだわるようですね。当方の知る限りでも、女子バレーボールをやってた某○○さんとか、女子バスケットボールの控え選手だった某○○さんとか、etc, etc。要は性格、相性ですよ。

写真は、江戸の風物だとよろしいのでしょうが、出羽国西村山郡河北町の八幡神社の鐘楼(?)です。ちょっと江戸情緒ふうかも(^_^;)/
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