電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「バルトの楽園」を見る

2006年08月04日 07時14分04秒 | 映画TVドラマ
久々に休暇をとった昨晩は、妻と映画を楽しんできました。「ミッション・インポシブルIII」と「バルトの楽園(がくえん)」の2本。特に、「バルトの楽園」のほうは、あちこちのブログで話題になっていたので、ぜひ一度見たかったものです。

第一次世界大戦の中で、日英同盟に基づき連合国側で参戦した日本が、中国の青島に立てこもるドイツ軍を陥落させる。4700人という多数の捕虜が日本国内の捕虜収容所に収容されるが、おおむね悲惨な生活状況であったという。ところが、四国・徳島の坂東捕虜収容所に収容されたドイツ人捕虜は、はるかに人間的な扱いを受けていた。収容所内には印刷所があり収容所新聞が発行され、パン工房が置かれビール酒保まで許されている。不完全ながら楽隊が組織され、ウィンナワルツが奏でられ、地元の音楽学生を指導している。器械体操が得意なドイツ人捕虜に、中学生がドイツ式の器械体操を習いに来る。捕虜収容所の作品展示会まで開催されて、地元の住民との交流も図られる。会津藩出身の松江所長の人間性にふれて、戦争捕虜の立場から解放され、帰国が許されることとなったとき、捕虜たちの楽隊は拡大され、男声合唱に編曲された「第九」を演奏しようと計画する。

ロードショウの最終日に近い昨晩は、お客の入りもまばらで、良い席で楽しむことができました。第九の演奏はどうしても部分的にならざるをえず、音楽的に満足できるものにはなりませんが、本邦初演のこうした史実には素直に感動してしまいます。

物語が終わって、クレジット・ロールのところで、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏の様子が出てきますが、それとモンタージュする具合に出てくる日本人指揮者、あれはだれだろうとよくよく見れば、ソニーの大賀典雄元社長ではないですか。芸大出身の声楽家で、請われてソニーに入り、コンパクトディスクの規格制定の際にはカラヤンの「第九がまるまる収録できるものに」という意見を入れて、最大74分というふうに決定した当事者のはず。そうか、日本の第九の演奏史の第一ページを飾るこの出来事の映画化に、相当に深くかかわったのかな、と思いました。

ところで、「バルトの楽園」の「バルト」はどうして?ドイツとバルトと何が関係するの?思わず「バカ世界地図」ネタのような質問ですが、どなたかご存知の方は教えてくださいm(__)m
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初めて読んだ吉村昭作品は

2006年08月02日 20時57分40秒 | -吉村昭
吉村昭氏が亡くなった。79歳。すい臓ガンだったという。おそらく、腰が痛い、背中が痛い、といった症状が出ていたと思われるが、作家特有のデスクワークに伴う持病だと思われていたのではなかろうか。まことに惜しまれる。

私が最初に吉村昭氏の作品を手にしたのは、たぶん『漂流』か『黒船』だと思う。『黒船』は、幕府のオランダ語通詞であった堀達之助が、英語学者の草分けとして英語の辞書を編纂したが、晩年は不遇な生活を送った経緯が、淡々と語られる物語だった。まるで理系の論文の総説を読むような感覚を覚えるほどに、綿密な実証の裏づけのある記述が多かったが、その中にも人間らしい情感が脈々と流れているのが感じられた。
その後、『アメリカ彦蔵』『光る壁画』『白い航跡』『長英逃亡』『海の祭礼』『夜明けの雷鳴』『海馬』『日本医家伝』『零式戦闘機』『月下美人』『島抜け』『陸奥爆沈』『プリズンの満月』『仮釈放』『生麦事件』『大黒屋光太夫』『海の史劇』『深海の使者』『ふぉん・しいほるとの娘』『落日の宴』『大本営が震えた日』『戦艦武蔵』『三陸海岸大津波』などを読んできた。何度も読み返すほどに、味わいのある作品が多いと思う。
中でも、『アメリカ彦蔵』『白い航跡』『生麦事件』『海の祭礼』などは、好んで繰り返し読んでいる。こういう作品が読めるということに対して、故人となった作者に心から感謝したいと思う。
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モーツァルト「ピアノと管楽のための五重奏曲」を聞く

2006年08月01日 20時52分22秒 | -室内楽
故郷ザルツブルグの大司教と決別し、ウィーンに出たヴォルフガングは、1784年、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットという管楽器にピアノを加えた、「ピアノと管楽器のための五重奏曲」変ホ長調(K.452)を作曲します。当時流行していた管楽器アンサンブルに、得意のピアノを加えた工夫が、モーツァルトらしいと言えるでしょうか。
しばらく前に近所のCDショップでたまたま見付けたクラシックのCD、ひっそりと売れ残っておりました。たしかに華やかなオーケストラ作品でもなければ弦楽四重奏などの格調高い室内楽でもない。いくらモーツァルトの作品と言っても、ヘンな編成の曲ですから、売れ残るのも当然かもしれません。
捨てる神あれば拾う神あり、いやちがった、残りものに福あり、だったかな。実は私もあまり大きなことは言えません。ジェイムズ・レヴァインのピアノと、アンサンブル・ウィーン=ベルリンというカルテット、すなわちハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)、カール・ライスター(Cl)、ギュンター・ヘーグナー(Hrn)、ミラン・トゥルコヴィッチ(Fg)という演奏家の「顔ぶれ」だけで購入したものです。言ってみればとってもミーハー的な選択。

でもいいじゃないですか。結果が良ければ。1986年8月、ザルツブルグでのドイツ・グラモフォンによるデジタル録音(UCCG-9575)。併録された若きベートーヴェンの作品「ピアノと管楽のための五重奏曲、変ホ長調、Op.16」も同様にたいへん楽しめるもので、大正解でした。

第1楽章、ラルゴ~アレグロ・モデラート、(10'13")。ゆったりと始まる序奏の素朴な響きに魅せられます。とにかくピアノがやけにかっこいい。
第2楽章、ラルゲット、(9'22")。中間の緩徐楽章ですが、管楽器が次々と交替で優美な旋律を奏でます。同じ時期のピアノ協奏曲の緩徐楽章に通じる、美しい調べです。
第3楽章、アレグレット、(5'31")。モーツァルトの音楽のフィナーレは晴れやかで開放的で、なんてすてきなのでしょう。絶望して暗く終わるのではなく、音楽的な解決が、気分も開放的にさせてくれます。
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