ずいぶん昔の記憶です。我が家の囲炉裏端で、働きに来ていた出入りの夫婦に、祖父が「こうせん」という飲み物の話をしたのです。するとおっちゃんの方だったと思いましたが、「そんなにうまいものなら一度飲ませてみてくれ」と言ったのです。祖父は、「よし、飲ませてやる」とか言って、「こうせん」というのを飲ませました。幼かった私も飲ませてもらいましたが、たいへん美味しかった記憶が残っています。何か粉末を熱い牛乳に溶き、砂糖で甘くしてふうふう言いながらさまして飲むのでした。体も温まり、疲れも取れるような飲み物だったようです。
こんな記憶が突然に蘇ったのは、中尾佐助著『料理の起源』(NHKブックス)を読んでいて、こんな記述に出くわしたから。
食べ方(飲み方)もよく似ていますので、「香煎」が「こうせん」だったのでしょう。
また、香煎は豆を原料に味噌を作る際に、香煎に種麹を混ぜて麹を作るため、味噌製造には重要な原料だったらしいです。戦前、大正〜昭和初期には味噌を大量に自家製造しており、また祖父の農学校の仲間の「タカヤ」さんが村山市大久保で酪農をしていた関係で乳牛を飼育し始めたという我が家には、こうした飲み方が残っていたのでしょう。
香煎とは大麦の粉のようですが、牛乳を使う場合、一種の「大麦ラテ」と言うべきでしょうか。今でも、おそらくは
というような作り方で作れるのだろうと思いますが、さて「香煎」を入手してみなければ。
老母によれば、我が家で大麦や小麦を栽培していたのは昭和30年代の前半までで、その後は井戸を掘って畑を開田(*1)し、稲作に注力する方向に転換、大麦・小麦ともに栽培をやめてしまったらしい。30代で失明し全盲となった妻を支えて生きた祖父(*2)は、自家製「香煎」を飲む機会はその後なくなってしまったのだと思います。
今読んでいる中尾佐助著『料理の起源』、たいへん興味深い本です。
(*1): 我が家の「近代産業遺跡(?)」〜「電網郊外散歩道」2015年5月
(*2):法事の準備中に祖母への弔辞が出てきた〜「電網郊外散歩道」2020年2月
こんな記憶が突然に蘇ったのは、中尾佐助著『料理の起源』(NHKブックス)を読んでいて、こんな記述に出くわしたから。
日本では、先にのべたように、主として裸大麦からハッタイ粉、香煎をつくり、水や湯で練って食べたり、飲みものとすることは、朝鮮にはなはだよく似ている。(p.77)
食べ方(飲み方)もよく似ていますので、「香煎」が「こうせん」だったのでしょう。
また、香煎は豆を原料に味噌を作る際に、香煎に種麹を混ぜて麹を作るため、味噌製造には重要な原料だったらしいです。戦前、大正〜昭和初期には味噌を大量に自家製造しており、また祖父の農学校の仲間の「タカヤ」さんが村山市大久保で酪農をしていた関係で乳牛を飼育し始めたという我が家には、こうした飲み方が残っていたのでしょう。
香煎とは大麦の粉のようですが、牛乳を使う場合、一種の「大麦ラテ」と言うべきでしょうか。今でも、おそらくは
- 香煎に少量のお湯を加え、よく練る。
- 少しずつ牛乳を加え、練った香煎をのばす。
- レンジで1分30秒〜2分ほど温めた後に、よく混ぜる。
- 好みでハチミツまたは砂糖をくわえる。
というような作り方で作れるのだろうと思いますが、さて「香煎」を入手してみなければ。
老母によれば、我が家で大麦や小麦を栽培していたのは昭和30年代の前半までで、その後は井戸を掘って畑を開田(*1)し、稲作に注力する方向に転換、大麦・小麦ともに栽培をやめてしまったらしい。30代で失明し全盲となった妻を支えて生きた祖父(*2)は、自家製「香煎」を飲む機会はその後なくなってしまったのだと思います。
今読んでいる中尾佐助著『料理の起源』、たいへん興味深い本です。
(*1): 我が家の「近代産業遺跡(?)」〜「電網郊外散歩道」2015年5月
(*2):法事の準備中に祖母への弔辞が出てきた〜「電網郊外散歩道」2020年2月