電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

金銭感覚

2021年10月31日 06時00分08秒 | Weblog
お金の価値は時代によってだいぶ変わるわけですが、それぞれの人の金銭感覚は境遇や生活スタイルによってもずいぶん違ってくるように思います。私の場合、50年前の貧乏学生時代には千円札の値打ちがずいぶん大きかったように感じます。1日働いたアルバイトが1,500円くらいでしたので、スーパーで数日分の食料品を買うときも千円札でお釣りが来るように心がけていたものでした。就職し結婚してからは多少の余裕ができましたが、長距離通勤のガソリン代の負担が大きく、また飲み会などで会費や宿泊費で一万円札が何枚も飛んでいくのが痛かったものでした。総じて学生時代よりは余裕ができたものの、子育て時代も基本的に節約モードだったと思います。ところが、車の購入、子供の教育費や住宅の改築など、百万円や千万円単位の支出をするときには金銭感覚が変わってしまい、端数の数万円を大したことはないように錯覚してしまうことに気づきました。人間心理と金銭感覚の奇妙さに驚かされます。

年齢と共に立場も変わっていき、給料も頭打ちになりましたが、それでも定年退職直前の給料額は生活に余裕が感じられました。ところがいざ定年退職して全く別の世界に再就職してみると、給料は半分以下になり一気に生活感覚が変わりました。特に定年退職したばかりの年は、様々な税金や社会保険料が前年の所得額に対してかかりますし、給料天引きではなく自分で払わなければいけないものもあり、ある程度まとまった金額の現金が必要になります。再び一万円札の価値が大きくなりましたが、それでもまだ定期的に給料が出てボーナスも出たりすると、やっぱりありがたいものです。

退職して勤め人生活をやめ、年金に基礎をおいた農家として生活するようになると、農業収入の少額さと経費の大きさが目立ちます。大げさに言えば収入は千円札で入ってくるけれど、農業機械などの設備投資や収穫時期の人件費などは一万円札がまとまって飛んでいく感覚です。経費をいかに抑えるかが重要であると共に、やはり年金という生活の基盤があるから可能な経営スタイルだなと感じます。このあたり、真っ当な金銭感覚を持っていればなんとか経営を維持できますが、退職金を当てにして大型投資をしたり自分本位の願望の要素が強い経営計画だったりすると、それこそ老後破産の憂き目にあいかねません。同様に、配偶者がルンルン気分で金銭感覚や生活スタイルを変えないでいたりすると、多くの人が長生きする時代には経済的な不安が残ります。

定年退職から年金生活に移行する前後の生活は、自分と家族の金銭感覚をすり合わせ、徐々に若い時代の感覚に近づけていくことが大事になるなあと感じます。

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