電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

自分なりに続けるということ

2009年10月06日 05時34分44秒 | ブログ運営
面白く読んでいても、残念ながら途中で途絶えてしまうブログがあります。推測される原因は様々で、環境の変化で多忙になったり、スパムや無遠慮なコメント等に嫌気がさしたり、楽しさよりも義務感が勝るようになって負担感が増したり、テーマが狭すぎてネタ切れになったり、という具合でしょうか。自分なりに続けるということが大切だとは思いますが、実際は、努力すればなんとかなるというものでもないのかも。日頃おじゃましている多くのブログの主宰者の方々は、どんなふうに工夫し継続されているのか、興味深いものがあります。

ところでここからは、まことに無粋な机上の計算。1年350日、1日1本の記事を書くのに、平均して毎日30分かかるとすると、単純計算で175時間となります。ここいらへんが、なんとか努力すればできる限度なのかもしれません。これが日に2本とか3本とかのレベルになると、努力してなんとかなるというものではあるまいと思われます。例えば日に1本なら平均30分でもすむでしょうが、日に2本の記事を書くには倍の60分ではすまない。たぶん、五割増の時間がかかることでしょう。これが日に3本となると、記事のネタを仕込むのも一大事で、90分どころかさらに倍の3時間でも不足すると思われます。このペースを続けるのは、普通の職業生活を維持しながらでは無理で、ほとんど専業でないとやれないと思います。

もし、1年350日くらいのペースで記事更新を10年間続けられたと仮定すると、毎日30分ずつ、日に1本のペースで3,500本の記事ができます。継続は力といいますから、素人の文章でも、一定のレベルに達することができるかもしれません。これが日に2本のペースを10年間続けたとすると、10年で7,000本となります。これには努力のほかに、生活のゆとりと才能も必要なのでは。さしずめ、セミプロ級と言えるでしょうか。もし1日に3本のペースで記事を生産し続けることができるなら、10年で10,500本。これはもう、間違いなく専業プロ級だと言えます。

ここでは本数に単純化しましたが、記事に費やす時間を記事の質に置き換えることもできます。実際問題として机上の計算どおりにはできないことですし、そもそも十年後には、ブログというメディアは消滅している可能性が高いとさえ思われるのですが、自分なりに続けるということの意味を、いかにも理屈っぽい理系らしく、時間と記事本数という角度から数量的にとらえてみました。いかがなものでしょうか(^o^)/
コメント (6)