平城京から遠く離れてほとんど交流がなかった十津川村、稲作は出来て生活の基盤はあるが自然環境が今一つの御杖村、平城京ともつながりが保たれ、自然も豊かで恵まれた生活が可能だった曽爾村、”かくれ里”という共通語では括れなかった三村、今回かくれ里の旅もここで締め。
屏風岩公園から東南方向の眺め、山が幾重にも連なり独自の文化が継続していることを実感する。
豊かな東南の風が曽爾村一帯に幸せをもたらす。
村おこしもう一方の矢は、高原一面をススキで覆う壮大な計画、ススキの原など簡単に出来そうだが、動物の食害、天候不順、観光客の踏み荒らしによって近年は不作続きとか…
池を中心に、取り囲む山の頂までの灌木・下草を集落総出で刈り取る。
春には山焼きを行って、すすきの生育環境を懸命に整える。
ここで迎える中秋の名月はさぞかし…
そして私たちは村はもとより、平城京でも決して語られることのない廃寺跡へ案内された。
奈良きっての大寺:東大寺の開山良弁和尚のお墓?と言われる五輪塔へ…
苔むした急坂を登ること20分、荒れ果てた斜面の一角に存在した。
和尚は晩年うら若き女性を伴って、この地に隠遁されたという。なんとも人間味のあるお話しです。
黄金色に輝く兜岩を最後に拝んで、かくれ里:曽爾村を後にした。