もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

かくれ里11

2015年10月11日 | 歴史探歩

平城京から遠く離れてほとんど交流がなかった十津川村、稲作は出来て生活の基盤はあるが自然環境が今一つの御杖村、平城京ともつながりが保たれ、自然も豊かで恵まれた生活が可能だった曽爾村、”かくれ里”という共通語では括れなかった三村、今回かくれ里の旅もここで締め。

 

屏風岩公園から東南方向の眺め、山が幾重にも連なり独自の文化が継続していることを実感する。
豊かな東南の風が曽爾村一帯に幸せをもたらす。

 

村おこしもう一方の矢は、高原一面をススキで覆う壮大な計画、ススキの原など簡単に出来そうだが、動物の食害、天候不順、観光客の踏み荒らしによって近年は不作続きとか…

 

池を中心に、取り囲む山の頂までの灌木・下草を集落総出で刈り取る。
春には山焼きを行って、すすきの生育環境を懸命に整える。

 

ここで迎える中秋の名月はさぞかし…

 

そして私たちは村はもとより、平城京でも決して語られることのない廃寺跡へ案内された。
奈良きっての大寺:東大寺の開山良弁和尚のお墓?と言われる五輪塔へ…
苔むした急坂を登ること20分、荒れ果てた斜面の一角に存在した。

和尚は晩年うら若き女性を伴って、この地に隠遁されたという。なんとも人間味のあるお話しです。

 

黄金色に輝く兜岩を最後に拝んで、かくれ里:曽爾村を後にした。

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かくれ里10

2015年10月10日 | 歴史探歩

今回のかくれ里探訪も最終番、奈良県の東端に位置する曽爾村(そにむら)へ…

 

ここでも村役場の職員、木治さんが案内してくださる。
観光に村おこしを託す行政の姿勢は本物です。

 

延喜式内社である、曽爾七大字の社:門僕神社(かどふさじんじゃ)の森。
上空には秋の空がいっぱい! 
大字は普通おおあざと読むが、奈良県のこの地方では、たいじと発音していた。

 

御祭神は藤原氏の氏神:天児屋根命、だが本殿は何故か春日造ではない。

 

漆塗り発祥の地と言われるが、現在はこの神社に奉納される神楽が有名。
村の信仰の深さは半端ではなく、千木・鰹木を頂いた社殿は立派。

 

自然景観にも恵まれており、柱状節理がくっきりとわかる屏風岩は圧巻!

 

村中の氏子が集まって直会が行われる屏風岩公園。
自然崇拝の形が色濃く残っている。屏風岩が御神体です。

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かくれ里9

2015年10月09日 | 歴史探歩

謎を秘めた十津川村、かくれ里探訪を離れた観光の瀞八丁舟下り、そして大和に戻って…

 

秋の空は表情豊か、何時まで見ていても飽きることはない。

 

かくれ里探訪は平城京は東のはずれ、宇陀郡御杖村へやってきた。
村の中心をお伊勢参りの街道伊勢本街道”が横断しており、街道沿いに遺跡が並ぶ。

 

菅野宿の本陣?大名行列が泊まったかと…
それではなく、お伊勢参りの道中宿と思えば合点! 旅籠でしょう。

 

御杖村、村名の由来は、天照大神の御鎮座所を探し、自ら杖となって各地を巡った倭姫の伝説によります。
倭姫は大和、伊賀、滋賀、飛騨、尾張、三重の各地を巡ったあと、ようやく伊勢の地に…

 

倭姫を祀る社殿は何故か、錣造(本殿の屋根が庇付き)で妻入りという珍しいもの。
どの神様の系統にも属さない感じでユニーク。

 

しかし日本古来の信仰である自然崇拝の場所は残っており一安心。
三重県境にある姫石明神は、津市と隣り合わせの位置にある。

 

御杖村内の伊勢本街道は、20キロほどの間に4っつの峠がある。
結構厳しい道だ!

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かくれ里8

2015年10月08日 | 歴史探歩

かくれ里探訪を離れてさらに、瀞八丁の渓谷美を堪能。

 

数日来の激しい雨の影響か水が濁っている。

 

岩にはいろいろな名前が付けられているが、どれもこじつけの感じであまり感心しない。
これは日本の観光地に共通するもので、皆楽しんでいるとは思えないのだけど…

 

瀞八丁のポスターになる景色だと…爺さんの頭が瀞八丁娘の微笑みに代わればナイスなんだがな。

 

抜けるような青空なので、紅葉が映えるのだろうな?

 

加賀の潜戸を思わせるが、幅が狭く遊覧船では無理、カヌー専用の航路だ!

 

ばっちり瀞八丁をフレームに収めたところで、はいさようならです。

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かくれ里7

2015年10月07日 | 歴史探歩

十津川を訪ねたのなら話のタネにと、瀞八丁で遊覧船に乗ってみよう。

 

瀞八丁遊覧船の乗り場は奈良県だが、隣接するのは和歌山県と三重県で、なんと三県境なる看板にお目にかかった。

 

船着き場まで20m強の崖?を下るが、平成23年の洪水ではこの崖上まで濁流があふれたという。

 

ここの売りは定員50名のウォータージェットだが、あえて6人乗りの小型船を選ぶ。
水面が近くて、揺れも大きいのでスリル満点!

 

ここはどこまで行っても吊り橋、吊り橋である。
平成23年の洪水時、濁流はこの橋直下まで迫ったという。

 

両岸には奇岩が連続し目を楽しませてくれるが、かつていなせな筏師が下った風情はない。

 

周囲の山から至る所滝となって、流れ込んでくる

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かくれ里6

2015年10月06日 | 歴史探歩

縄文時代の遺跡は十津川村のどこからも発掘されず、もちろん山また山の地形では稲作文化は起こりえず…
村の起源をつかむ手掛かりは皆無である。

 

村随一の玉置神社社殿は立派だが、向拝部分の屋根に千木や鰹木が乗るなど不自然な造り。

 

前日歴史民俗資料館の学芸員が説明した通り、修験道の起こりが村の起こりにつながるのか?
東の尾根筋大峰奥駆道と、西の高野山・熊野参詣道の信仰に関わった人たちが、住みついたという説だが…

 

神社からさらに山頂近い場所に向かう。

 

磐座と思われる場所は巨木に囲まれ荘厳な雰囲気。
この玉置山は遠く熊野方面から山容を望むことができ、信仰の対象として崇められたようだ。

 

玉置山中を貫く、吉野・大峰奥駆道。ここを修行で通った信者たちが住みついた?

十津川村は東西を尾根に囲まれた深い山の中に、静かに埋もれたような集落が点在する。どこからも古代の遺跡は発見されず、村の期限は謎のままだ。
地場産業も木材業が細々と生き延びているのみ、米がとれないことから明治の初めまで、日本で唯一租税を免除されていた村。現在も主産業と言えるのは、災害復旧に忙しい土建業のみ…

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かくれ里5

2015年10月05日 | 歴史探歩

村中を一本の大河が流れ、東に吉野・大峰奥駆道が、西に高野山・熊野古道が村を囲む。
その昔は”遠津川”とも呼ばれた十津川村、集落形成の成り立ちを追い求めたが…

 

奈良県十津川村の秘湯:神湯荘の夜明け、遅い日の出に山は黄金に輝く。

 

秘湯を守る女将はなんと 〇〇〇48のメンバーみたい!

 

村のルーツを探るため先ずは、標高1000mの玉置山頂上付近にある玉置神社”を訪ねる。
国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、神日本磐余彦尊が御祭神。

 

我々は先に大峰修験道10番目の行場にある”玉石神社”に参拝。
玉石神社といわれるだけあって、巨大な磐座が眼前に現れた。

 

先頭を行く案内は、十津川村役場職員と十津川村おこし応援隊のお二人。
二人とも奈良県外の方で、十津川村の魅力に惹かれて移住してきた。

 

さらに手掛かりを求めてお旅所へ向かう。
苔むした神秘的な場所だが、十津川村のルーツは見つからなかった。

 

玉置神社から遠く熊野・新宮方面を望むが、山また山で黒潮の南海は見えず。

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かくれ里4

2015年10月04日 | 歴史探歩

十津川村の秘境ぶりは、対岸へ渡るには吊り橋しかないということで、理解していただけると思います。

 

そんな村の山深い場所にひっそりと佇んでいるのが”黒木御所”
後醍醐天皇の皇子:護良親王の下座所である。

 

 

天台宗の座主を二度務め、征夷大将軍にも任ぜられた方が、こんな片田舎に隠遁していたとは…

 

面積で東京をも凌ぐ巨大な村の役場を表敬訪問する。
地方に巨大な箱モノを押してける、日本の行政の悪癖がここにもみられる。

 

モダンな村役場の裏を、のどかに大河が流れる。

 

つり橋を架けられない場所には、一人乗りのゴンドラが設置してある。
箱の乗りこみ、人力でロープを引っ張って対岸に渡る。出来るかしら?

 

「秋の日は釣瓶落とし」十津川村の秘湯:上湯温泉に一夜の宿を求めた。

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かくれ里3

2015年10月03日 | 歴史探歩

国宝・重文が一杯で、素晴らしいもてなしの栄山寺を後にして、山深い十津川村に入る。

 

最初に訪れたのがこの吊り橋、十津川対岸の住民たちがお金を出し合って架けたもの…
十津川村は東京23区より広大な面積を持つ日本一の村だが、人口は3800人ほどの過疎地。

 

ゆら~り、ユラリと揺れるだけでなく、板が薄いので足元がバタバタと、おそろし~い!
定員を超えているんじゃないの? ちょっと腰が引ける。

 

全長297mは長かった。下を見るとしばらく足がすくんで歩き出せない。
引き返すこともできず、何とか渡り切った。年を取ると心配が多くて…

 

ワイヤーはしっかりしているようだけど、なにせ足場板が弱くて…
本当に大丈夫なんだろうか?

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かくれ里2

2015年10月02日 | 歴史探歩

あまり予備知識がなく何気なく訪れた栄山寺だったが、実は見どころ満載の古寺だった。

 

古くて小さな薬医門、現在入口は別の位置にあり使用されていない。

 

奈良らしい寄棟造りの本堂、背後の山に溶け込んでとても落ち着いた佇まいである。

 

本堂前をさらに奥へ進むと、国宝八角堂が現れる。
通常は非公開であるが、住職は我々を気持ちよく内部に招じ入れてくれた。
秘仏の薬師如来と12神将も拝ませていただいた。望外!

 

宝形造りの八角堂の中央に据えられている”宝珠”は劣化が激しく、現在は大日堂内に保管されている。
奈良時代は遠い昔か?

 

国宝の梵鐘、中でも日本一美しいとされる竜頭部分、高い位置にあって(天井直下)全容を撮影できない。

 

やむなく掲示されている写真を撮影したものがこれ、如何でしょうか。

 

悠久の歴史を刻んで本堂前を流れる吉野川、やがて流れは十津川と名前を替える。

そしてわれは、目的地十津川村に向かう。

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かくれ里2

2015年10月02日 | 歴史探歩

あまり予備知識がなく、何気なく訪れた栄暫時だったが

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かくれ里

2015年10月01日 | 歴史探歩

奈良県の「かくれ里」十津川村、御杖村、曽爾村ってご存知でしたか?
この秘境のかくれ里を訪ねる旅に出掛けましたが、途中五條市の古刹に立ち寄りました。

この秘仏公開前に絶好のチャンスです。お薬師様に御対面がかなうかな?

 

藤原南家の武智麻呂によって創建された「栄三寺(真言宗豊山派)」です。
奈良のお寺らしく、行き過ぎた手入れがされたおらず、素朴なお庭は好感がもてます。
重文の大日堂です。

 

こちらも重文の七重石塔です。背景が良いですよね。

 

火除けのシンボル河骨がいっぱい!この池も自然観がいっぱいです。

 

 

白眉はこれ、国宝の梵鐘です。簡素な建屋に吊るされていますが…

 

国宝鐘の解説板、どうでしょう? 平安の三絶品と書かれています。

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