もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

長崎街道とは

2012年05月06日 | 歴史探歩

 我々は長崎街道を門司から長崎を目指して歩きの真っ最中だが、ここで長崎街道27宿を紹介しておきます。
小倉スタートの長崎終点で27宿だが、門司を入れると28宿になるのかな?

 小倉は無法松で有名な“小倉祇園太鼓”、窯業の町黒崎を経て“木屋瀬(こやのせ)”は昔の名残が一杯!
飯塚は炭鉱の町だったが、漢字が読めない?で有名になった総理のお膝元です。

 

 美しい松並木の旧街道が残る内野

 

 神崎は“吉野ヶ里遺跡”の発見で、すわっ邪馬台国が見つかったと大騒ぎになりました所。

 

 佐賀は化け猫騒動で有名な鍋島藩のお膝元、華麗な本丸御殿が復元されています。

 

 柄崎(つかざき)は武雄のこと、このパネルも武雄温泉街の中心にあります。
私達は門司宿から嬉野宿までを13日間掛けて、歩き通しました。

 

 彼杵(そのき)から先の7宿場は、来年以降ゆっくり走破する予定です。

 

 長崎到着は何時になりますやら… 丸山で派手にやりたいものですが、どうなることでしょう。

 

 街道に埋められていた長崎街道27宿のパネルを、この広場に移し替えたのが武雄市長。
我々が武雄温泉に到着した日、たまたま広場に来ていた市長を囲んで記念撮影。
 とても気さくで、PR上手の市長御夫妻でした。(前列スーツ姿が市長、スカート姿が奥様)
残りは野蛮且凶暴な、オイラの街道歩きの仲間達の一部

コメント (4)
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