物部氏が衰退した後、伊予の国を統治したのが、平安時代末期に台頭した河野氏。
河野氏統治の中心に残る善応寺、京都五山4位:東福寺を模して建てられた。
河野氏発祥の地の碑。
北条の地に夥しい塔頭が建てられ勢力を誇示した。
現在のご住職は東福寺ではなく、京都五山別格1位:南禅寺から派遣されている。
当時の想像図である。
好成山善応寺の山門、残念ながら往時の面影はない?
臨済宗東福寺派に属すので、本尊は釈迦如来、脇侍は向かって左が普賢菩薩、右が文殊菩薩である。
現ご住職が入山されてすぐ、痛んでいた三尊を京都に送り修復した。
本堂は江戸時代の再建のため錣葺とし、徳川幕府のお触れに従っている。
京都から赴任された、現ご住職の悲願であった八角堂。
檜材をふんだんに使い、三重の垂木が屋根を支える重厚なもの。
河野氏の家紋「隅切八角三筋紋」、この紋に因んでご住職はどうしても八角堂を建立したかったようだ。
風早の地には、現在も河野一族の結束が固く守られている?
河野氏のお墓、ひっそりと墓石のみが残されていたが、現ご住職が垣を巡らし整備した。
秀吉の時代に攻め滅ぼされたことから、世を憚って墓は放置されたいた様だ。