戊辰150年と喧伝する会津若松鶴ヶ城を訪ねた。
外観復元がなった会津若松城(鶴ケ城)の雄姿、五重塔(七重塔)を思わせる姿。
新しい城郭の典型、層塔型の天守を持つ。
石垣は加工の荒い石を積み重ね、入り口上部には冠木に代わって長大な石を冠く。
築城時からこの姿だったのだろうか? 石棺の蓋を連想させる。
戊辰戦争後倒壊寸前の姿、この後手入れされることはなく自然倒壊となった?
会津若松を守るかの如く、背後に悠然とそびえるのは会津磐梯山の雄姿。
手前左側が白虎隊で有名な飯森山、鶴ヶ城とは指呼の距離にある。
会津藩には年少順に白虎隊、朱雀隊、青龍隊、玄武隊とあったの知ってる?
「南鶴ヶ城望めば 砲煙あがる 痛哭涙をのんで かつ咆哮す」確か詩吟だったと思うけど…
訪ねた日(4月18日)はまさに桜花満開。
屋根瓦も創建当時の赤瓦に葺き替えられている。