毎年5/15日に行われる「当麻寺二十五菩薩お練供養」。この日は当麻寺背後にある、二上山:雄岳・雌岳の中央に太陽が沈むのだとか…地元ではこの姿を阿弥陀と称している。
写真は阿弥陀様が「娑婆から西方浄土に向かう」姿を今に映している。
写真は阿弥陀様が「娑婆から西方浄土に向かう」姿を今に映している。
5/14日 当麻寺お練供養を前に、「当麻寺所縁中将姫」のお話を聞きに、ならまちにある尼寺:高林寺を尋ねる。この場所は中将姫の生地であり、父:右大臣藤原豊成の屋敷跡なのだ。
姫は艱難辛苦の後、「われは長谷観音の化身である。蓮の糸で曼荼羅を織りなさい」のお告げを受け、一夜にして曼荼羅を織り上げたと伝えられている。
当麻寺で出家した中将姫の前に、阿弥陀様と二十五菩薩が現れ、姫は生きながらにして西方浄土に旅立たれたと云う。中将姫29歳の時の事でした。
このお話をされた高林寺御住職が、当に崇高の言葉がピッタリのお方でした。!内容は俗人の私にはお伝えする事は出来ません。
ならまちの当寺では、毎月13日に御住職の法話会が催ようされるとか、尋ねてお話をお聞き下さい。絶対に期待を裏切る事はありません。
お話中の御住職は神々しくて写す事は出来ませんでした。
姫は艱難辛苦の後、「われは長谷観音の化身である。蓮の糸で曼荼羅を織りなさい」のお告げを受け、一夜にして曼荼羅を織り上げたと伝えられている。
当麻寺で出家した中将姫の前に、阿弥陀様と二十五菩薩が現れ、姫は生きながらにして西方浄土に旅立たれたと云う。中将姫29歳の時の事でした。
このお話をされた高林寺御住職が、当に崇高の言葉がピッタリのお方でした。!内容は俗人の私にはお伝えする事は出来ません。
ならまちの当寺では、毎月13日に御住職の法話会が催ようされるとか、尋ねてお話をお聞き下さい。絶対に期待を裏切る事はありません。
お話中の御住職は神々しくて写す事は出来ませんでした。
5/13日(日)~15日(火)まで、又々奈良方面の歴史探歩です。今回は特に3月に尋ねた、二上山山麓にある当麻寺の阿弥陀来迎を今に写した「二十五菩薩お練り供養」を中心にした訪問です。
5/13日は「初瀬詣・長谷信仰」で知られる、真言宗豊山派総本山長谷寺に参詣。
この寺は全国に3千を越す関係寺院を持つが、伽藍は度重なる火災により消失しており、現在の本堂も江戸期の再建。従って国宝指定は平成18年とつい最近である。
当麻寺縁起に伝わる中将姫(後述)も、度々参詣したと云われる登廊399段の長谷寺
、御本尊十一面観世音菩薩は黄金で三丈三尺(10メートル)の立像、境内は四季折々の花々が優しく出迎えてくれます。
行き交うお坊さんが気持ち良く、笑顔と挨拶で迎えてくださる長谷寺!皆さんも機会に是非お出かけ下さい。