気ままな思いを

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綴る雑日記です 

「八十二歳のひとりごと」から  秋山 ちえ子著

2007-01-17 | 読書


              秋山 ちえ子さんの、エッセー集の本です。
         その中の「ラブレター」の、素敵な詩を紹介したいと思います。

          尚敬(なおたか)君
             高2の時、思わぬ事故で障害者となる。
             オートバイ事故で、視神経を痛めて、視力を失い、両手、両足
             も不自由になり、車椅子を使っている。

          真由美さん
             高2の時、盲腸炎の手術の麻酔ミスで、植物人間同様の状態
             になる。現在は聴力、視力はある。
             脳の組織がこわされているので、話が出来ない。
             日常生活は、車椅子頼りである。

          この二人は、重症心身障害者施設に、毎日通っている。

         直孝君は、真由美さんにラブレターを書き始めたのだ。
         パソコンの字より、人の書いた字のほうが、暖かみがあると思い
         彼女への言葉が湧き上がると、リハビリの先生の1人にお願いして
         書いてもらっている。


              となりにいるだけで
              きみのことがわかるよ
              となりにいるだけでいいんだよ
              ただそれだけで
              何も言えない君  何も見えない僕
              だけど 心は通じるさ
              心はひとつ                1991. 1. 11


              みえない みえない 笑顔のおまえ
              いえない いえない 好きという言葉
              二人は同じ傷をもつ
              いいたい いいたい 心のさけび
              みたい みたい 君のこころ
              目をとじれば
              わかりあえる
              まほうの電話で
              みたい いいたい みたい いいたい
              みたい いいたい           1994. 4. 21

    
              たとえ この手がうごかなくても
              たとえ この足があるけなくても
              たとえ 君の髪をなでることができなくても
              きみといっしょならばかまわない
              たとえ ことばにならなくとも
              たとえ たとえ たとえ
              すべてを そらになげすてて
              あるいて ゆこう
              ぼくらの未来という地図を
              色えんぴつで ぬりつぶせ      1999. 6. 9


          「口がきけなくなった“まゆ”と、目が見えなくなった直敬君
           二人だけが感じとれる、愛の話があるのよ」

          「わかるのよ、二人の心が通いあう、不思議な波があるのよ。
           感性なんて機械、器具では計れない」

                    二人の母親の、言葉です。

          私は「まゆ」のお母さんに、二人は手をにぎること、さわることは
         しているのかときいた。それは、二人とも手足が不自由なので、
         自分ではできない。が、 リハビリの先生がときどき、二人の手を
         さわらせるようにしてくださっているとのことだった。
              
                          *** 文中より ***


      

                    ヒイラギ南天の花です

   
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                  ウオーキング~50分=6,550歩