行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2023年2月5日(日)の日記

2023年02月05日 | 日記

会社の休暇制度を使って休みを取り、3年ぶりの泊まりがけ旅行へ行く。前に行ったのは新型コロナウィルスはニュースで大きく取り上げられていたが、まだ緊急事態宣言が出るような深刻な状況ではなかった頃で、2020年の2月2日3日で伊東のハトヤホテルに泊まったとき。

今回も伊豆だが、中伊豆の修善寺へ行く。まず、東京駅から新幹線。

三島で伊豆箱根鉄道線に乗り換える。

驚いたのが伊豆箱根鉄道が交通系ICカードにまだ対応していないこと。なので、切符を買って乗る。

修善寺地区のバスは東海バス伊豆箱根バス。ICカードに対応しているか調べたら、どちらも対応していた。伊豆箱根バスは伊豆箱根鉄道グループ。それで、鉄道のほうも当然対応済だと思い、事前に調べなかった。だから余計に意外だった。

修善寺駅に着く。

予約した宿は修善寺温泉のほうではない。でも、修善寺の中心は温泉街だし、ゆっくり見て回ったこともないので、まずは温泉街へ行く。駅からバスに乗り、温泉街が始まるところの修善寺総合会館バス停で降りる。

ここでもう午前11時半。朝は仕事がある平日と同じパターンで、コンビニのおにぎり2個。そして、仕事の日は午前11時半から昼休みにしている。それで、もう昼飯にする。

バス停の修善寺駅側にあるそば屋で駿河亭に入る。

ここの名物は鮎そば(1,400円)というので注文。

鮎は柔らかく煮込まれていて、頭から尾っぽまで骨もいっしょに丸ごと食べることができた。

腹ごしらえをして総合会館へ。

こういう施設なら旅のパンフレットやガイドマップがあるだろうと踏んだら、やはり置いてあった。ガイドマップを1枚貰ってくる。

少し歩くと昔からの温泉街らしい風景になってきた。

修善寺温泉は過去に2回、自転車で通過している。10年以上前、スポーツタイプの折りたたみ自転車であちこち出かけていた頃で、1回目は戸田峠から下ってきたとき、2回目は戸田峠へ登っていったとき。だけど10数年前だから記憶も薄れていて、はっきりとは思い出せない。

さらに進むと、道幅が狭い、最も昔からある感じの街並へ。

この付近に神社仏閣が集まっている。まずは地域の鎮守である日枝神社へ。

境内。杉の巨木に抱かれる感じの社殿だった。

温泉の名前の元になっている修禅寺。

修禅寺の境内と本堂。

修禅寺には宝物殿があったので見学。こうした施設の常で中は撮影禁止。

修善寺温泉は桂川の谷間にある。その桂川を渡って反対側にある指月殿。

北条政子が息子の源頼家の冥福を祈って建立したものだということ。すぐ隣に源頼家の墓もある。

去年のNHK大河ドラマが主人公が北条義時で、その姉・北条政子もともに物語の中心になる役だったということで、温泉街のここかしこに義時・政子の名前を書いた幟が立っている。

自分が大河ドラマを見なくなってもう10年ぐらい。去年のも見ていない。なので、源平合戦から鎌倉時代初期の話というと、40年あまり前の1979年(昭和54年)の大河ドラマ「草燃える」を思い出す。その年は自分が大学浪人で予備校通いした年。高校3年の時の受験勉強がまったくはかどらなかったためだ。まだ高校3年だった1月から3月までは「草燃える」は見ていたが、4月からは勉強に集中するため見なくなった。あとは12月の最後の3話ぐらいは見た。そして、10年あまり前にNHKのBSだったと思うが、放映されたのを、30年近くの時を経て全話を見た。

「草燃える」は源頼朝が石坂浩二、北条政子が岩下志麻、源頼家は郷ひろみだった。北条義時は松平健。なので、頭に浮かんでくるのは演じていた俳優の姿。

桂川。温泉街のあたりがなかなか絵になる。

桂川沿いに整備された遊歩道を歩く。まずは竹林の小径。

遊歩道沿いにあるギャラリーしゅせんじ回廊。

赤蛙公園に来ると、赤と白の梅の花が開いていた。まだ満開ではないが。

ガイドマップを見ると、割りと近くに源範頼の墓もある。それで行ってみるが、谷の斜面を上った先だった。

源範頼の墓。

頼家、範頼どちらも修善寺に幽閉され最後を迎えたということで、鎌倉幕府の時代の初期の修善寺は幽閉場所だったようだ。

谷の斜面を上ったので温泉街を見渡せるかと期待したが、温泉街の中心から約400m程度離れているので、そうした景色は見られなかった。

修禅寺のほうへ戻る道の途中で、また谷の斜面を上ると安達藤九郎盛長の墓があるというので行ってみる。今度の上りはさらに急だった。

安達藤九郎盛長は伊豆に配流された源頼朝の側近だが、大河ドラマ「草燃える」では武田鉄矢が演じていた。序盤から登場していたので、本放送の時に見た。

その頃の武田鉄矢は、海援隊というグループで歌っている歌手であると同時に、ゴキブリ殺虫剤のCMにゴキブリのかぶり物を着て出たりしていて、キワモノの印象が強かった。NHKは話題作りのためかもしれないが、大河ドラマにはいろんなジャンルの人間を起用していた。武田鉄矢の出演は当時けっこう話題になっていた。

武田鉄矢のイメージが激変したのは、同じ1979年の秋から翌1980年春にかけて放映された「3年B組金八先生」の大ヒットからだった。

さらに600mぐらい先に修善寺梅林があるというし、なんとか乗る予定のバスには間に合うだろうと思ったので、行ってみることにした。道は階段状の道で大部分は石を敷いていて歩きにくいわけではない。だけど上っていってもなかなか梅林に到達しない。時間が不安になってきて、もうしばらく行って着かなければ引き返そうと考えた。

結局、安達藤九郎盛長の墓から自分の足で約10分上りを歩き、ようやく梅林に着いた。

ここでも赤と白の梅が開きつつあった。

写したらすぐ引き返す。予定のバスには余裕で乗ることができた。

宿を探すときに手頃なお一人様プランのものが温泉街のほうには見つからなかった。代わりに見つかったのが修善寺駅から温泉街と反対方向にあるホテル。駅前からシャトル便のマイクロバスに10分あまり乗って着く。

中伊豆ワイナリーヒルズにあるホテルワイナリーヒル。ワイナリー直営のホテル。

自分が泊まった部屋。

予約したプランでは、客室におみやげワインが用意されている。部屋で飲んでも持ち帰ってもいいとのこと。

ただし、これはワイナリーで採れたぶどうで作ったものではなく、チリからの輸入ワインで作ったものとのこと。夕食時間までの間にロビーの売店でも売っているワインを見たが、この伊豆のワイナリーで採れたぶどうによるものは値段が高い(3,000円台)ものだった。サービスで提供するものにそうした高いのは出てこないだろう。

窓は障子とガラス窓。障子を開けると目の前にサッカーグラウンドとその左に野球のグラウンド。この写真には写っていないが、練習を終えた選手がミーティングや後片付けをしているのも見えた。スポーツの合宿などの施設としても利用されているようだ。ホテル建物の反対側には競技用の水泳プールもあった。

野球のグラウンド越しに見た山並み。

ホテルがある場所は標高約270m。日の入りのあと障子を開けると、ガラス越しに寒さが伝わってきた。部屋のエアコンは付けたが、今ひとつ温まらない。障子とガラスだけだと寒さを十分に防げるのか不安になってきた。

ところが部屋をよく観察すると、見つかったのが窓下のベンチレーター。これが開いた状態(小さいすき間だが)だった。

それで閉める。

さらに窓の上部を見るとロールカーテンがあった。それを引き下ろす。

寝るときはエアコンは止めたが、夜中に寒くて目が覚めることもなく、翌朝も部屋が冷えた感じはなかった。

晩飯は館内レストランでバイキング。

ワイナリー直営ホテルなので、オリジナルワインの飲み放題付き。ただし、夕食は90分制。自分が旅行のときの晩飯は、居酒屋で飲むときのような感じで2時間ぐらいかかることが多い。90分(1時間半)はちょっときつい。

それでペースを速めることにする。最初に取ってきた料理と飲み放題ワイン(赤・白)のうち赤ワイン。

次は白。

バイキングの分以外に1人ずつ提供される品もあって、この写真の刺身と茶碗蒸し。

それと、この寄せ鍋の計3品。

飲み放題ワインの赤と白を2杯ずつ飲むが、飲むほどぶどうジュース感が強くなってくる(もちろん酒だから、徐々に酔ってくる)。だいたい、飲み放題で提供するものにランクが高いものが出てくるわけがない。

そして、それ以外にも注文できるワインがあってテーブル上にはワインリストも置いてある。

載っているのはロビーの売店で見た値段の高いワイン。売店だと3,000円台。夕食会場レストランでボトル売りで5,000円台、グラスでも800円台。

飲み放題のはもういいと思ったので、ワインリストに載っているものをグラスで注文する。まずは赤ワインで、伊豆ヤマ・ソーヴィニヨン

値段が高い分、味に深みがある。飲み放題のものは淡麗と言えばそうだが、ちょっとあっさりしすぎと思えた。だから、飲んでいくほどぶどうジュースのように思えてくるのだった。

自分が家でワインをよく飲むほうになって、まだ3年程度。買うのは500円~1,000円程度のものがほとんど。それでも、いろいろ飲んでいるうちに舌も肥えるようで、味の深みも徐々に分かるようになってきた。

もう1杯を今度は白で、伊豆シャルドネ

バイキングで取ってきた残りの料理を食べ、この白ワインを飲み終えて95分だった。さすがにホテルだけに、5分程度のオーバーで追い立てられることはない。