萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

葉桜なりし日々の道

2008年05月16日 | 日々の記録

<3月27日の新青梅街道、中野哲学道前>


<5月15日の同じ場所から。すっかり葉桜。>

桜並木もすっかり、葉桜になり、ここに桜が咲いていたことなど、日々の暮らしの中で忘れる季節になりました。ただ、この季節は暑くなく寒くなく、レジャーに、スポーツに、もってこいの季節です。心ウキウキなのですが、仕事や家庭の都合などで思い切ったことができない人も多いかと思います。

そんな人にはやはり、自転車通勤がお薦めです。気分がすっきりしますし、その土地の人情、風情にも詳しく、というかなんとなく毎日走っているだけで、なじめるようになります。電車やクルマ通勤にはない、親しみ易さが“自転車”にはあります。まことに“セーブ ピープル,セーブ アース!”な乗り物だとつくづく思います。

当たり前のように得られる自然からの癒し。「緑の国、日本」に居るからこそ得られる特権です。我々日本人はもっとこういうことに感謝しなければいけないのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も会食

2008年05月15日 | 日々の記録
本日も会議があり、そのあと会食。酒は嫌いではないのでむしろ歓迎すべきなのだが、何日も続くとさすがにくたびれる。第一、ブログに連載しようと思っている「インドを走る!」だとか「讃岐・阿波を走る!」だとかが一向に捗らない。

また、体調だってなんとなく変になる。普段は呑んでも顔には出ない方なのであるが、さっきトイレに行って鏡を見たら真っ赤かだ。我ながら不気味だ。肝臓か胃腸でも悪いのか、と思ってしまう。

もっとも、母親系は呑むとすぐに赤くなる人が多い。そして長命系だ。父親系は大酒飲みで顔には出ず、短命だ。五十を過ぎてみると母親系であってほしいと切に思う。顔が真っ赤になるのは吉兆かもしれん。

(酔った帰りの電車の中にて)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅刻してしまった!

2008年05月14日 | 日々の記録

<眠むそ猫>

昨日はというか、昨日も呑みすぎた。会社で会議があって打ち上げで呑んだのだ。一次会で終わらせておけばどうということはないのだが、わざわざ電車に乗って二次会に行った。すでに一次会でかなり出来上がっているのだから、大人しく帰ればいいのに、と普通の人ならそう思うだろう。素面の小生だってそう思うのだから。

だが、そこは酔っ払いだ。まだまだ、酔っちゃいない。もう一軒行こう!という誘いに乗る奴が一人でも居れば、二次会は成立する。この日は小生いれて3人だ。ま、馴染みといえば馴染みのスナックに雪崩れ込む。他にあまり客が居ないのをいいことに、3人で歌合戦。結局、一人は最終電車で帰ったが、小生と春日部在住の同僚のK氏は二時近くまで呑んで歌って大ハシャギ。

こうなると、もう店にタクシー呼んで家まで帰るしかないので、電車の乗り越しで、トンでもない所まで運ばれたり、鞄や財布を無くしたり、という心配はいらない。二時に帰宅。着ているモノを脱ぎ散らかし、バタンQ。朝、5時の目覚ましのアラームで気がついたが、アラームオフにしてまた、寝てしまう。気がついたら、時計は8時を回ってる。こりゃ、ダメだ。完全に遅刻だ。気分も最悪。

会社には私用で1時間半ほど遅れるってことにして、気が引けながらものんびり出勤させてもらった。悪い奴。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダライ・ラマ自伝」 ~チベット問題理解のために~

2008年05月13日 | おすすめモノ
ダライ・ラマ自伝 (文春文庫)
ダライラマ
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る


ここの所、チベット問題で世間が揺れている。聖火リレー時の長野、中国の胡錦濤主席来日にともなう、早稲田や奈良での騒乱。なぜ、急にこんな騒ぎになっているかと疑問に思っている方も多いと思う。この本を読むまでは小生もその内の一人であった。恥ずかしながら、うろ覚えであったチベットの歴史について、よく認識できた。また、ダライ・ラマ14世の考えていることもよくわかった。

1949年から50年にかけて中華人民共和国が侵略してくるまではチベットは独立国であった。以来、50年余にわたって、中国の圧政を強いられている。この本によると「過去30年にわたる大量殺戮によって、信じがたいだろうが、125万人ものチベット人が、飢餓、処刑、拷問、自殺などで死に、数万人が強制収容所に閉じ込めれている。」という。チベットの人口は600万人程度であるから、2割の人が大量殺戮の犠牲者となっている。この本は1990年頃書かれたものなので、それから、18年経っている。犠牲者はもっと増えているだろう。

また、中国人の人口移住も脅威だ。「計画的中国化政策」と呼ばれるこの政策のもとに、600万人のチベット自治区に対し、2500万人の中国人が移住しているという。不平分子は殺戮、投獄し、4倍、5倍の中国人を移住させ、混血させて行けば、100年後にはチベット民族そのものが無くなってしまう。

この本では「彼ら(中国政府)は土着のチベット人口を取るに足らないものにし、自分達の母国で権利を喪失した少数派にしてしまうことによってこの政策を現実化しつつある」という、一民族にすれば怖ろしい政策を推し進めている。同じように、満州、東トルキスタン、内モンゴルにもこの政策を組織的に進めているという。

小生はこれが、遠い国の話ではないと思いゾッとしている。日本が米国と安保を結ばずに、自衛隊も持たずに無防備でいたら、同様のことをあるいは、近いことを平気で仕掛けてきたのではないか。と思うからである。

それは長野の聖火リレー時の報道をみればあきらかだ。傍若無人に赤い国旗を振りかざして「ワン チャイナ」を叫ぶ多数の中国人たち。日本を自分達のものと思っているのではないだろうか。「フリー チベット」と叫ぶ、日本人やチベット人に対し「帰れ!」と言った中国人もいたらしい。

チベットの歴史について、中国の仕打ちについて、もちろん、ダライラマ14世の考え方について知りたい方にお薦めの一冊です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃岐・阿波を走る!第2話「屋島」

2008年05月12日 | 自転車の旅

<高松市街方面から観た屋島。台形だ。>


<長崎の鼻から観た屋島。とんがっている。>


<“内海”は穏やか。>


<愛車「氷川丸」と内海を行き交う船。>

 5月4日朝7時過ぎ。ホテルをチェックアウトしてから、玄関脇で自転車を組み立てる。約20分程で完成だ。五月晴れの四国とはいえ、朝のうちは身がキリリと引き締まるぐらい涼しい。自転車で走るには丁度いい季節だ。まずは市街地を抜けて「屋島」へ向かう。屋島の頂上へ行くには有料道路を行かねばならないので海岸線をぐるっと一周することにした。まずは突端の「長崎ノ鼻」まで一気に走る。

この「長崎の鼻」には江戸末期、外国船打払令が出た折に建てられた砲台跡がある。それぐらいだから、海を見渡すには恰好の場所だ。釣りをしている人も数人いる。瀬戸内海は“内海”というだけあって、穏やかで、遠くに、近くに、見える島影もやさしい表情をしている。波も静かだ。時折、大小の船舶が通過する。

ここで、海を眺めていると、つくづく高松に住む人は幸せだなぁとうらやましく思った。小生が地元民であったら、ビールとつまみと本でももってきて、半日は過ごせるナ。

屋島は源平合戦のあったところだ。西暦で言うと1185年であるから、800年以上前の話だ。都落ちした平家一門を源氏が追撃する形で行なわれた一戦がこの地であった。暴風雨の中、源義経が寡兵で奇襲し、慌てた平家軍団は海に逃れた。扇を射落とす那須与一の有名な場面も事実であれば、この屋島のいずこかの浜で行なわれたはずだ。

今、屋島をみると想像していたより峻険だ。また、高松市街の方からみると頂が平らで台形の山に見えるが「長崎の鼻」からみると、とんがった山に見える。義経軍がどこから奇襲を掛けたにしても大変な苦労をしたと思える。“九郎(苦労)義経”とはここからきたか。(笑)

冗談はともかく、どうも山に攻めあがったわけでは無さそうである。屋島の東側辺りに陣取っていた平家を急襲したらしい。一の谷の戦いで義経に破られた平家軍は負け癖がついていたのかもしれない。150人ぐらいの義経軍に怯え、早々と海に逃れたらしい。平家の総大将は清盛、重盛亡き後の総領平宗盛である。彼は戦にはむかない性格から「清盛の子ではない」と言われていた。もっとも、「平家物語」の中では清盛自身が父親は白河法皇だった、とまことしやかに書かれているぐらいだから、この時代は訳がわからん。

思うに平家は清盛が自分の地位を磐石にした保元・平治の乱のような都での市街戦程度の小競り合いには強かったが、本格的な戦になると、木曾義仲や奥州・坂東の荒武者には歯が立たなかったのではないか。都の風に慣れた二代目三代目の平家の公達ではなおさらである。

戦は暴力だ。理屈ぬきの猛々しさがものを言う。この時の“平家”と“源氏”では、同じ民族とは思えないほど“猛々しさ”に違いがあったと思える。ともかくも、屋島を追い出された平宗盛一行は瀬戸内を彷徨うようにして、壇ノ浦まで逃れ、そこで最後を迎える。

平清盛が武士として初めて太政大臣に就任してからわずか20年弱。「平家にあらざるは人にあらず」と栄華をきわめた平家は幼き安徳天皇とともに、壇ノ浦の海の中へ没したのである。

平家滅亡の最大の功労者義経もこの後、わずか4年で奥州の地で非業の最期を遂げる。まさに、諸行無常、盛者必衰である。

今は長閑な屋島をぐるりと一周してから、高松市街地を抜け、讃岐国分寺跡、崇徳院稜のある白峰寺方面へ行く。まだ、旅は始まったばかりだ。

                         つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の中の二人

2008年05月11日 | 大宮アルディージャ&サッカー


 昨日は雨の中を“呑み同志”S二郎氏とふたりで約二時間、大宮アルディージャを応援したが、その甲斐もなく負けた。一昨年まで大宮アルディージャの采配をふってくれた恩師三浦監督率いる札幌に。前半、札幌に攻め込まれ、アタフタする大宮イレブン。18分その流れの中であっけなく、FCからのオウンゴールが先制となる。

後半はずーっと攻勢に出て、同点ゴールをあげるものの、またしてもFCからのワンチャンスを札幌にものにされ、決勝点をもぎ取られた。

(樋口監督のもとで大宮が強くなっただと。フロックだよ。大宮は相変わらず弱いんだ。)と三浦監督に教えられたような試合だった。新聞によるとその三浦監督の試合後のコメント「試合中は思わず大宮の選手に指示を出しそうになった。」そうだ。敵ながらイライラしたのだろうね。きっと。

これで、現在、勝点16で暫定9位だが、17位札幌は勝点10。ちょっと連敗すればまたたくまに、昨年同様降格圏内に転落だ。今後は昨年と同じく“弱い大宮”ということを前提にして応援しなければなるまい。

雨の中、試合が終わったのは18時。冷えたので行きつけの居酒屋にS二郎氏と行って呑む。どうにもやりきれなさが払拭できず、スナックで歌でも歌おうということで二次会へ。持ち歌のほとんどを歌いつくした。もちろん、橋幸夫の「雨の中の二人」も歌った。

家に着いたのは夜中の二時。二時間ほどの試合を観て、8時間呑んだことになる。もっとも、試合中も呑んでいたから10時間か。道理で今朝起きれなかったわけだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008年05月10日 | 大宮アルディージャ&サッカー
少量だけど雨が降っていた。それでも公園にアルディージャの応援に行った。が、負けた。

札幌に負けるなんて。やっぱ、そんなもんだったんだ。

気を取り直しつつ、飲み屋街で呑んだくれる。明日も休みだ。ちくしょう!

酔っ払っているので今日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまにはのんびり過ごしたし

2008年05月09日 | 日々の記録


連休明けて三日経った。溜まっていた仕事は、何とか対応した。問題は家事だ。掃除、洗濯、草むしり。やらねばならいことは沢山ある。過去の経験から、土日に計画したことをキチンとやったためしがない。特に“家事”の場合はそうだ。

“遊び”の予定としては土曜の午後は大宮アルディージャを応援に行く。札幌戦だ。札幌の監督は大宮でも采配をふるった三浦監督だ。いわば、師弟対決でもある。恩返しで勝ち点3をゲットしてほしい。勝ち負けにかかわらず、同行の“呑み同志”S二郎氏と杯を酌み交わすことになるだろう。そうするとその時点でその日は終わる。

日曜日は午前中、地元野球チームの公式戦がある。勝ち負けに関わらず、杯をあげることになる。そうするとその時点で日曜日も終わる。なんだかんだ、“家事”をやるまもなくまた、2日間が過ぎていってしまいそうな気がする。

連休中自転車の旅で張り切りすぎて、なんとなく疲れが残っている。明日あさってともあまり天気はよくない。野球の試合が雨で中止になれば“家事”をこなせるかもしれない。それにしても、なにもしないでのんびり本でも読んですごす日、というのはありそうでないのですナ。

トホホホ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃岐・阿波を走る!第一話「讃岐うどん」

2008年05月08日 | 自転車の旅

<いかにもって感じのうどん屋さん。期待して足を伸ばしてきたのに「本日休日」がっくり。>


<こんなのどかな田園風景の先に長蛇のできる店がある。>


<これが人気の「やまうち うどん」長蛇の列はカメラで捉えきれない。>

********************************************

「自転車の旅」と称していながら、第一話が「うどん」の話で恐縮ですが、なんせ、讃岐に行ってきた、というと周りの人間が興味を示すのが「讃岐うどん」のことばかり。「食は文化なり」ということでもあり、まずはうどんの話から書く事にしました。

********************************************

そもそも、小生が「讃岐うどん」なるものを知ったのは入社4年目の26歳の時に高松へ出張した折だ。その頃は高松空港はジェット機の離着陸ができず、プロペラ機のYS11で羽田から向かった。バスに翼とプロペラをつけたような飛行機で“エアバス”という意味が“空飛ぶバス”だということを実感できたのを思い出す。

会議終了後、食べに連れて行ってくれたのが、今もある屋島の「わら屋」である。そこで生まれて初めて「釜揚げうどん」なるものを食べた。今でこそ、首都圏でも「讃岐うどん」やら「釜揚げうどん」はポピュラーであるが、当時の関東人でその存在を知るものはごく少なかった。

現地の先輩社員が注文したのは「家族うどん」というやつだ。やがて、大きなタライの中に熱い湯とともに入った太くて長いうどんが運ばれてきた。葱の刻んだのと、自分でおろした生姜を器の出汁の中に入れ、タライからうどんをすくって食べるのだ。一口食べてみて驚いた。うどんがモチっとしていてコシがあるのだが、ツルリと喉を通る。感激してると、先輩が言う。「うどんは喉越しでたべるものだ。」と。“喉越し”はビールだけかと思っていたが、うどんもそうだったのか。

出汁に溶けた生姜が絶妙の香を醸し出し、食がすすむ。大量と思われたタライのうどんが瞬く間になくなってしまった。若かった小生はいくらでも食べれると思った。先輩達の「もうたくさん」と言う言葉に同調して外に出たが、未練たらたらだったのを覚えている。

こんなに旨い“うどん”が世の中にあったのか。

まさに、カルチャーショック!

以来、釜揚げうどんの大ファンとなる。が当時、首都圏地区ではなかなかうまいのは食べられなかった。やっぱり、釜揚げは「わら屋」に限る、と思っていた。30歳のころ幸か不幸か大阪転勤を命じられる。大阪から讃岐はすぐだ。だが、当時は仕事が忙しく、休みも少なかった。2年間の転勤中に行けたの二回だけだった。

近年、讃岐うどんがブームになって、本などをチェックすると、“釜揚げうどん”は讃岐うどんのほんの一部にすぎず、「讃岐うどん文化」はもっと奥が深かったことを知る。今回、讃岐に行くにあたって“うどんめぐり”をしない手は無い、と思い「麺通団のさぬきうどんのめぐり方」という本を買って参考にした。

高松に着いた晩。まずは、その時間でもやってる店「鶴丸」「こんぴらさん」の二軒に行く。「鶴丸」では15分ほど並んでから「カレーうどん」を食べる。麺にコシがあり、カレーもうどんに合うように旨く作ってあるが、結構値段が高い。取り立てて“旨い”というほどではなかった。

「こんぴらさん」は細切りうどんが有名。細切りの釜揚げをたのむ。細切りの分、出汁がうどんに絡んで、通常の釜揚げとは、一味違った美味しさがあった。ただ、量的に物足りなさを感じた。この二店は市街地にあるせいか、価格的には首都圏相場でコストパフォーマンスは感じられなかった。

翌日、映画「UDON」に出てきそうなシュチエーションの「がもう うどん」に寄ってみるが生憎「休み」。気を取り直して、善通寺の手前にある「長田in香の香」という釜揚げうどん屋に行く。前述のガイド本「めぐり方」によると釜揚げうどんでは讃岐の東の横綱が「わら屋」で西の横綱はこの「長田」だという。ここでも15分ほど並んだ。注文したのは「特大釜揚げうどん」。待つこと10分余。キタキタ。タライに乗ってきましたヨ。味は西の横綱というだけあって、美味しかった。たしかに「わら屋」に匹敵すると思った。

炭水化物だけをたらふく食べる満足感と楽しさを久しぶりに味わえた。

こうなると、屋島に行っていながら、なんでスケジュールをあわせて「わら屋」で釜揚げを食わなかったんだ、と後悔した。「うどんの旅じゃねえやい。」ともう一人の小生が言ってはいたが・・・。

翌日は朝一で「やまうち うどん」によった。ここも映画「UDON」に出てくるようなうどん屋だ。ここでは30分近く並んだ。駐車場が広いのでクルマで来る人が多いのだ。交通整理する人まで出ていた。儲かってるんだろうな。こんな田舎にこんな人だかり。讃岐うどんブームここに極まれり!

ここでは「あつあつ大」に「かきあげ」をたのむ。“あつあつ”というのは麺も出汁も熱いという意味。長い行列ができるだけのことはあった。出汁もいいし、麺にもコシがあって喉越しもなめらかだ。カラッと揚がった「かき揚げ」が出汁に崩れたのを、うどんと一緒にすすり込む時の幸福感は食べてみないと分からないだろう。
こうなると、カウンターに並んでいたトッピングの中の「ちくわの天婦羅」に未練が残る。

が、もういいかげん自転車の時間だ。この店でパワーをつけて、猪鼻峠へと向かわなくてはならないのだ。
          
                           つづく
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃岐・阿波を走る! ~序~

2008年05月07日 | 自転車関連

<讃岐富士と愛車「氷川丸」>

 今回の自転車の旅は5月3日の晩に高松に入り、翌4日の朝から走り出し、6日昼に徳島市に着いて終了した。この旅の感想などを数回に渡ってレポートしようと思う。

◇走ったコース

・初日・・・高松市中心部から屋島を一回りして市内に戻り、国分寺、白峰寺(崇徳院御陵)、善通寺、西行庵跡を巡って琴平へ。走行距離95キロ。義経、西行、空海のゆかりの地を回る、歴史の旅でもあった。

・2日目・・・琴平を出て満濃池、猪ノ鼻峠、池田、祖谷口、祖谷渓、かずら橋、大歩危、小歩危、池田経由で撫養街道を通って「うだつの道」脇町へ。時折、雨降る中を140キロ走破。高低差もかなりあり。

・3日目・・・脇町の「ウダツの道」を見学してから、徳島へ。撫養街道と吉野川の土手沿いを併用で走る。走行距離はざっと45キロほど。自転車をたたんでパッキングしてから、昼間からやっている大衆酒場で時間調整。夕方の便で帰ってきた。

◇その他

・讃岐うどん・・・有名どころを計5軒足を運ぶが一軒は休みであった。3日の晩、宿に着くや、すぐ市街へ飛び出し、市内の「鶴丸」「こんぴらさん」でいただく。翌日は郊外の「がもう」によるが、休み。善通寺に行く途中で「長田inかのか」という釜揚げうどんの店による。5日は朝から「うどん やまうち」という映画「UDON」に出てくるような店によった。みなそれぞれに美味しかったが詳細は後日。

・クルマとの戦い・・・自転車の旅をするとどうしても避けられないのが、車道を走る際のクルマとの共存、というより“せめぎ合い”といったほうがいいかも。運転手からみれば「邪魔な奴」ぐらいに思って、クラクションならしたり、スレスレに走り去ったりしてくれるが、こちとらはヒヤヒヤだ。

また、クルマはやたらと多いのだが、歩いたり、自転車に乗っている人は非常に少ないのが気になる。しかも、大抵はご老人だ。青年、壮年の男女はクルマで、クルマを運転できる家族と一緒に住んでいない老人が杖やシルバーカーをたよって歩くか、ヨロヨロと自転車に乗って移動している。これはなにも、讃岐、阿波に限ったことではない。日本の地方どこに行っても見られる。社会的に見て、大変気になる現象だ。

とまあ、あれこれ感じたことがある。それらまぜこぜで明日以降レポートします。名づけて

「讃岐・阿波を走る!」

乞うご期待!

※「讃岐・阿波を走る!」を見られる方は以下をクリックしてください。

第一話「讃岐うどん」
第二話「屋島」
第三話「崇徳院」
第四話「白峰御陵」
第五話「善通寺へ」
第六話「善通寺」
第七話「西行庵」前編
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車の旅「讃岐・阿波」四日目

2008年05月06日 | 日々の記録
三日の晩から始まった今回の旅も六日昼に阿波は徳島に無事到着して完了。総走行距離はざっと三百キロだ。高低差も結構あった。

いつもなら、行きたい所があっても体力との関係で妥協してきたが、今回は通勤などで走り込んでいたので、対応できた。充実した旅がしたければ、きちんとした体力をつけておくべき。これが“知的アスリート”の極意だ。今回、改めて思い知らされた。

いろいろ考えさせられたこともあるが、詳細は明日以降。自転車を分解してパッキングしてから、祝杯でもあげようっと!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車の旅「讃岐・阿波」三日目

2008年05月05日 | 自転車関連
本日の天気予報は曇り時々雨。あいにくの天気だ。今回の旅でもっともハードなコースなので心して行こうと思う。

予定としては,琴平を出て満濃池を見て,タイミングがあえば,讃岐うどんを食べて,猪鼻峠に向かう。峠を越えれば阿波の国。祖谷渓を辿ってかづら橋をみてUターン。池田に戻って脇町まで。ざっと100キロ超えのコースになる。

雨模様なのでかえって紫外線に悩まされることもなく,涼しい中を走れるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自転車の旅「讃岐・阿波」二日目

2008年05月04日 | 自転車関連
ホテルの前で自転車を組み立てる。8時には出発。まずは屋島。源平合戦の地として有名だ。思っていたよりも峻険だ。義経は寡兵で平家の軍団を蹴散らしたというが、どこから攻め上がったのか?

Uターンして国分寺へいく、ここには10分の1の模型があった。面白し。西行ゆかりの「白峰寺」、空海の生誕の地「善通寺」、曼荼羅寺奥にある「西行庵」を巡って18時には琴平に到着。詳細はいずれも帰ってから、写真つきでレポートするつもり。

昼飯は讃岐うどん「長田inかのか」で特大釜揚げうどんをたのむ。結構量はあったが、腹がへっていたので、またたくまに平らげた。

琴平パークホテルには大浴場がついて気分よし。風呂上がりのビールがうまい。明日はいよいよ峠越えだ。栄養補給に琴平の夜へ繰り出すとするか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 自転車の旅「讃岐・阿波」初日

2008年05月03日 | 自転車関連

<本場の讃岐うどんを腹いっぱい食べてくるぞ!>

 今日から四連休だが、朝からシトシトと雨模様。夜のフライトで羽田から高松まで飛ぶ。輪行した自転車を持って行くつもり。天気が良ければ羽田まで自転車で走ろう、などとも考えていたのだが、雨なのでやめた。

代わりに、大宮駅周辺のカフェバーで14時から始まる「大宮アルディージャ VS FC東京」を観戦してから、行こうかと思っている。それにしても、早くやまないかなあ、この雨。

明日からは讃岐、阿波地方を自転車で行く。高松から屋島、高松城を見て西行ゆかりの崇徳院陵辺りを散策してから、空海の故郷善通寺を通って琴平へ。讃岐うどんも何軒か回ろう。

あさっては、あまり天気が良くなさそうなのであるが、猪鼻峠を越えて阿波の国に入る。できれば祖谷渓の方まで足を伸ばしたいのであるが、体力が持たないかも。

6日夕方、徳島空港から羽田へ帰る。ざっとこんなコースだ。

ま、気張らずにのんびり行ってきま~す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“打撃の極意”の参考書

2008年05月02日 | おすすめモノ
誰でもたちまち130キロが打てる武術打法
宇城 憲治,小林 信也
草思社

このアイテムの詳細を見る


「打撃の極意はバッターボックスでいかにリラックスするかに尽きる」とイチローや野村監督をはじめ、多くの天才バッターは語る。だが、一口にリラックスと言っても、これがなかなか難しい。相手投手も打たれないように必死だし、チャンスの打席はどうしても力む。

この本はそういう打者のメンタル面の問題を解決してくれる一冊だ。武道の精神を用いて“力”ではなく“気”で打つことを教えてくれる。

小生もこの本を読んで、実戦に臨んでいるが、効果はてき面。打率もアップしたし、チャンスにも強くなった。現役の選手諸君はもちろん、監督、コーチを勤めている人、ぜひ一読あれ。1300円の投資は元を取って余りあること間違いなし。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする