曇り。
寒いくらいです。
調べてみると、寒いはず、19度ほどと出ていました。今日は最高気温が22度、晩には18度くらいにまで下がるそうですから、また風邪引きさんが続出するということになるかもしれません。
湿度も90とか92%。これにも参るようですね。慣れているはずの日本人でも、鬱陶しいと感じられるくらいですもの、慣れていない人たちにとっては、大変です。
さて、学校です。
学生達と話しているとき、一人が「どうして、日本人は電車に飛び込むのか」と聞いてきました。
こういう場合、まず「電車がない国は別として、自殺する人はどこの国にもいる」と言わねばなりません。話はそれから始めなければならないのです。
どうも、先日の遅刻は、それが理由らしい。だからでしょう。が、そこには、自分たちの国にはそんな人はいないという気持ちがチラホラ見え隠れする。で、どこの国にも自殺する人はいる。またその手段も様々。ただ、それが発表される国(統計まで取られて、しかもある程度の信憑性がある)と、発表しない国とがある。…そこまで話したところで、「あっ、そういえば、自殺したという話を聞いたことがある」という学生も出てきます。が、まだ、びっくりしたままの人もいる…。
発表しない国の中には、故意に発表しない国さえある。まずいことは、国民に知らしめないから、国外に出られるほどの豊かさを享受している家庭の子弟たちでも、国の現状を知らぬまま外に出、そこで見聞きし、驚いたりする。
人は誰でも同じ。自殺する人が0の国なんてどんなに幸せな国であろうとも、ないはず。
日本のように自然災害の多い国では、生きていたいと思っていても、地震が来、津波が来、火山の爆発がありなどして、懐かしい人たちと別れなければならないことが少なくない。だから、その人たちの無念さを思えば、「自殺してはいけない」と言われて育つ。
けれども、人はそれほど強くはないから、ふと「魔が差して」電車に飛び込んだりすることもあるだろう。死にたいと思うことだってあるだろう。
これは私の経験ですが、「鬱になったな」「危ないな」と、どんなに家族や周りの友人たちが用心していても、気遣っていても、その人がふらりとそこから出ていってしまったら、もう守りきれるものではありません。「最近、明るくなったね。もう大丈夫だね」と思って気を緩めた頃が一番危なかったりする。
話は戻りますが、留学生たちは自殺する人がいるなんて、おそらく実感したのは日本が初めてなのでしょう。だから、「日本人は」となるのでしょう。
自分の国にもそういう人がいるということは、想像だにしていないのです。
これは、「N3」くらいまで行ってからの、授業の進め方が難しくなる原因の一つにもなっています。「読解」の授業が難しくなるのです。教えていても、「わかっていないな」ということがはっきりとこちらに伝わってきても、時間がなければ、単語や文法の説明で誤魔化すよりしかたがないことだってある。
本当は、単語や文法の説明よりもそちらの方がずっと大切なんでしょうけれども。時々「もし、『N3』とか『N2』とかの試験がなければなあ」などと思ったりすることもあります。もっとも、なかったらなかったで、勉強しない人がたんと出てきて困るのでしょうけれども。
「環境問題」、「貧困」「格差」などを知っていることを前提にして書かれている文章が読めないのです。そんなことを思ったこともない…。ましてや、「宗教や民族の対立」となると、「彼らは本当に悪い」で、終わってしまって、歴史的にもそこに追い詰められていった人々の気持ちや立場などを思いやるなど考えたこともない…。だから、筆者の言わんとするところが全く掴めない。
馬鹿なことを書いていると思うのか、下手をすると、「単語」も「文法」もわかっても、答えが正しくなかったりする。時々「どうしてこの人はこんなことを考えるのか」と、説明を加えた後に聞いてきたりする人もいる。もとより、様々な立場や考え方があるので、一概に正しい、正しくないとは言えないのですが、両方の立場の拠って立つところの考えが掴めていないと、「作文」なんて書けるはずがない。これは母語であっても書けないでしょう。
最近は、上のクラスでもだんだん雑談めいたことを入れはじめたりしているのですが、私の用いる語句はだいたいが既習のものですし、文法だって知れたもの、だから一応「知識」としては入るのですが、いかんせん、まだ「DVD」を見せられるほどには至っていないのです。話よりも、本当は「見た」ことがあるという方がずっと強い印象を与えられると思うのですが。
日々是好日
寒いくらいです。
調べてみると、寒いはず、19度ほどと出ていました。今日は最高気温が22度、晩には18度くらいにまで下がるそうですから、また風邪引きさんが続出するということになるかもしれません。
湿度も90とか92%。これにも参るようですね。慣れているはずの日本人でも、鬱陶しいと感じられるくらいですもの、慣れていない人たちにとっては、大変です。
さて、学校です。
学生達と話しているとき、一人が「どうして、日本人は電車に飛び込むのか」と聞いてきました。
こういう場合、まず「電車がない国は別として、自殺する人はどこの国にもいる」と言わねばなりません。話はそれから始めなければならないのです。
どうも、先日の遅刻は、それが理由らしい。だからでしょう。が、そこには、自分たちの国にはそんな人はいないという気持ちがチラホラ見え隠れする。で、どこの国にも自殺する人はいる。またその手段も様々。ただ、それが発表される国(統計まで取られて、しかもある程度の信憑性がある)と、発表しない国とがある。…そこまで話したところで、「あっ、そういえば、自殺したという話を聞いたことがある」という学生も出てきます。が、まだ、びっくりしたままの人もいる…。
発表しない国の中には、故意に発表しない国さえある。まずいことは、国民に知らしめないから、国外に出られるほどの豊かさを享受している家庭の子弟たちでも、国の現状を知らぬまま外に出、そこで見聞きし、驚いたりする。
人は誰でも同じ。自殺する人が0の国なんてどんなに幸せな国であろうとも、ないはず。
日本のように自然災害の多い国では、生きていたいと思っていても、地震が来、津波が来、火山の爆発がありなどして、懐かしい人たちと別れなければならないことが少なくない。だから、その人たちの無念さを思えば、「自殺してはいけない」と言われて育つ。
けれども、人はそれほど強くはないから、ふと「魔が差して」電車に飛び込んだりすることもあるだろう。死にたいと思うことだってあるだろう。
これは私の経験ですが、「鬱になったな」「危ないな」と、どんなに家族や周りの友人たちが用心していても、気遣っていても、その人がふらりとそこから出ていってしまったら、もう守りきれるものではありません。「最近、明るくなったね。もう大丈夫だね」と思って気を緩めた頃が一番危なかったりする。
話は戻りますが、留学生たちは自殺する人がいるなんて、おそらく実感したのは日本が初めてなのでしょう。だから、「日本人は」となるのでしょう。
自分の国にもそういう人がいるということは、想像だにしていないのです。
これは、「N3」くらいまで行ってからの、授業の進め方が難しくなる原因の一つにもなっています。「読解」の授業が難しくなるのです。教えていても、「わかっていないな」ということがはっきりとこちらに伝わってきても、時間がなければ、単語や文法の説明で誤魔化すよりしかたがないことだってある。
本当は、単語や文法の説明よりもそちらの方がずっと大切なんでしょうけれども。時々「もし、『N3』とか『N2』とかの試験がなければなあ」などと思ったりすることもあります。もっとも、なかったらなかったで、勉強しない人がたんと出てきて困るのでしょうけれども。
「環境問題」、「貧困」「格差」などを知っていることを前提にして書かれている文章が読めないのです。そんなことを思ったこともない…。ましてや、「宗教や民族の対立」となると、「彼らは本当に悪い」で、終わってしまって、歴史的にもそこに追い詰められていった人々の気持ちや立場などを思いやるなど考えたこともない…。だから、筆者の言わんとするところが全く掴めない。
馬鹿なことを書いていると思うのか、下手をすると、「単語」も「文法」もわかっても、答えが正しくなかったりする。時々「どうしてこの人はこんなことを考えるのか」と、説明を加えた後に聞いてきたりする人もいる。もとより、様々な立場や考え方があるので、一概に正しい、正しくないとは言えないのですが、両方の立場の拠って立つところの考えが掴めていないと、「作文」なんて書けるはずがない。これは母語であっても書けないでしょう。
最近は、上のクラスでもだんだん雑談めいたことを入れはじめたりしているのですが、私の用いる語句はだいたいが既習のものですし、文法だって知れたもの、だから一応「知識」としては入るのですが、いかんせん、まだ「DVD」を見せられるほどには至っていないのです。話よりも、本当は「見た」ことがあるという方がずっと強い印象を与えられると思うのですが。
日々是好日