日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「風が吹きます」を、うっかり「風邪を引きます」とやってしまった…。大きな声はよかったんですけれどもね。

2019-05-30 08:35:27 | 日本語学校

晴れ。

かいせ~い、快晴です。赤信号で停まったとき、空を見上げると、全く雲が見えない。青い空が広がっています。梅雨がもうすぐ始まれば、得がたい空とも思われ、「青空」と思わず叫びたくなってくる。しかも、心地よい風がちょうどいいくらいに吹いてくる。

そして、運動会の予行練習なのでしょうね、応援歌が聞こえてくる。「赤勝て、フレ、フレ」「白勝て、フレ、フレ」、そして歓声です。その後、どうも、私たちが子供のころとは違う歌詞(文句かしら)が聞こえてきた…ような。こういう場面でも進化は遂げられているのでしょう。変化よりも、当然のことながら、進化の方がよろしい。

さて、学校です。

「Cクラス(今年の四月生)」でのこと。火曜日に、新出単語を入れてから、絵カードで動詞練習をしている時のこと。「晴れます」「曇ります」と続き、「風が吹きます」…だったのですが、一人が大きな声で「かぜをひきます」とやらかした。なるほどね、「かぜ」だから、「ひく」ですか。
 
このクラスは、在日の方が半数ほどもいるので、こういう間違いにすぐ気づいて、大爆笑。言ってしまった本人は、真っ赤になって友だちの蔭に隠れてしまいましたけれども。ちょうどいい機会なので、「風」と「風邪」とホワイトボードに書き、漢字にはいろいろな読み方があり、読みは同じでも、漢字で書くと、すぐに違いに気づくと、触れておきます。

こういうことを、幾度でも、機会がある毎にやっておくと、先で問題になることが少なくなるのです。心の準備と言ったらいいのでしょうかしらん。やっておかないと、「どうして、漢字には、いろいろな読み方があるのか」とか、「やっと一つ漢字を覚えたと思ったのに、別の読み方があるなんて、わけがわからん」なんて不平が出てきます。以前は、それだけで、萎えてしまうような学生が、少なからず、いたのです。

文字なんて「書く」という習慣が、一旦失われてしまいますと、特に最初の頃など、一日で、全部が失われてしまいます。それまで毎日、何十回となく書いていたとしても、忘れてしまうのは簡単なのです。一日、手抜きをすれば、いい。それだけで、それまでの努力は水泡のように消えてしまいます。

最初の頃は、とにかく、理屈抜きで、「書け、書け」ですね。勉強しているうちに、「偏」や「旁」などの説明が入ってきますから、なんとなく構成の理屈も見えてくる。それまでは、手を慣らすだけでもいいから、書く。

日本人も中国人もそうやって漢字を覚えてきたのですから、クラスに中国人学生がいれば、そっちに振って、同意を求めるだけでいい。漢字がよく判らない人達は、そんなもんかと思ってしまいます。日本人にせよ、中国人にせよ、最初から、見ただけで書けるようになったなんて言う人はまずいないのですから。

中国人と日本人とで、「ね、そうでしょ」「そう、そう」とやれば、何かよく判らないながらも、そうせねばならぬかと思ってしまうようですし。別に騙しているわけではありませんが、「出来た、出来た」と言ってやれば、本当に出来ているのかと思い、そのまま勉強を続け、気がついたら、本当に出来るようになっていたというのが、一番いいのでしょう。

最初から、漢字の小難しい理屈など振りかざしてみても、碌なことはありません。最初は「よく書けた。上手」あるいは、「ここはもっと伸ばした方がいい」とか、「左が先」とか言うくらいで十分なのです。

特に、最近の学生は、母国で「N5」くらいまでは、やってきているからなのでしょう。

「やっと『ひらがな』『カタカナ』を、うろ覚えなりとも、やって来られるようになった段階」から、「『N5』まではやったけれども、これはあくまで試験対策で、『漢字』は全然やったことがないという段階」、そして、今は、「(母国の日本大使館で漢字の読みのテストがある。それ故に彼等の国の日本語学校でも)漢字を、『N5』から『N4』くらいまでは、教えてもらって来たという段階」へ。

留学生を見ると、来日時には、(高卒の学生であれば)「N5」から「N4」レベルの漢字は、既習と見做してよく、それがこちらの作業の労力をグンと下げてくれています。「書き順」や、「止め」、「跳ね」などの出来不出来はともかく、一応、読めるし、意味も判ってきているのです。これは大きい。

漢字の「読み」、「書き」もさることながら、「どうして動詞や形容詞は姿を変えるの」といったことで、パニックになるような学生もいなくなりました。あとは素直にこちらの言うとおりに勉強してくれるかどうかという、個人の性格にかかってきます。それと「どうして日本に留学したのか」という「どうして」の部分、目的意識の有無ですね。

何かを学ぶために来日したのであれば、それを学ぶための道具として日本語は必須のものです。アルバイトでしか通用しないような日本語で、十分学べるなどと思ってもらっては困る。

これが、なかなか判らない人がいるのです。特に母国で成績がよかった人に多い。母国で、「頭がよかったから、学校に行って座っているだけで十分いい成績が採れた」というのが、1番手に負えない。日本に来てからも、そのつもりでいると、いつの間にかクラスのみんなに置き去りにされている。いくら注意しても、過去の成功体験というのものが邪魔しているようで、自分は頭がいいという思い込みから抜け出せないのです。

人間の頭なんて、そんなに差はないのです。それぞれ偏りは多少あるでしょうが、あとは素直さと真面目さ、それに尽きる。それで差は広がっていくのです。1年以上もいれば、ほかの人はできるのに、自分は出来ないというのが見えているはず。自然、気づいているはず。とはいえ、それが改められないのは、自縄自縛に陥っているからなのでしょう。あの、変なプライドの壁をぶち破れば(捨て去れば)、新しい世界が広がってくると思われるのに。実際、プライドの「壁」ではなくて、本当は「障子紙」くらいの、弱っちいものなのでしょうけれども。(周りから)落ちれば落ちるほど、厚く、頑固になっていくのかもしれません。

日々是好日
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