日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「気温の日較差」。「外国から、直接『日本の大学』に入るということ」

2010-04-22 13:27:26 | 日本語の授業
 さて、真夏日(最高気温25度)だった昨日に比べ、今日はぐっと気温が下がりそうです。昨日の帰りには、「(学生たちに)明日は寒くなるから気をつけて」と、言っておきましたが、「厚着をしておきなさい」とは言えませんでした。特に「四月生」は来たばかり。まだ自分の国・地域の自然や気候を引きずっています。「寒いでしょう」と言っても、「へ?!」という顔をされるだけですし、「暑いでしょう」と言っても、「いいえ、(私の国は)もっと暑いです」という答えが返ってくるだけです。

 日本人は、一日ごとの、この気温の較差に参ってしまいますが、一日の朝と夜とでもっと激しい日較差の中に晒されてきた人たちにとっては、何ということもないのかもしれません。この「お天気」をどう感じるかということも、あだや疎かで勝手な判断は下せないのです。私が「寒いでしょう」とか、「暑いでしょう」とか言うのも、日本に長年済んできた日本人なりの感覚でしかないのですから。

 とはいえ、「ベトナム」や「フィリピン」、「マレーシア」から来た学生たちから、風邪引きさんが出て来るかもしれません。どうも、この一年が過ぎるまで、落ち着きません。

 どこの国へ行ってもそうですが、そこで「生活する」となりますと、旅行者のようにはまいりません。まず、小さな島国「日本」とは、気候が違うということ、その中に一年以上いるということ。つまり、そういう「肚」を据えておかなければならないのです。しかしながら、そうやって、一年でも過ごせば、生活する上での「勘」がついてきます。次はこう来るだろうという「勘」です。そうすれば、あとは楽になります。「自然環境」が人に与える影響というのは、当の「人」が考えるよりも遙かに大きく、現地の「人」を考える上での、またその人たちと付き合っていく上での、「よすが」となります。そして、それが、結局は、翌年の「余裕」につながるのです。

 最近は、日本の大学が、直接、留学生を受け入れるようになってきました。私たちから見ると、両者にとって共に、一種の冒険のような気もするのですが、双方ともそうは思っていないようです。

 私が「中国」で留学生活を送っていた時の話になるのですが、当時、留学生は、必ず、「語言学院」という大学で、一年か二年を過ごさねばなりませんでした。その間、「中国」に馴染ませるべく、語学の勉強の他にも、さまざまな活動が行われていました。つまり、正式に大学に入れる前に、ワンクッションおいていたのです。

 「アフリカ諸国」や「アラブ諸国」、「ソ連」、「東欧諸国」や「ラテンアメリカ諸国」、「オセアニア諸国」や「南アジア、東南アジアの諸国」から来た人たちには、「北京」の気候、また生活・食べ物に、「日本」や「欧米」から来た人たちには、中国なりの共産主義的考え方に。それが終わると、中国の教育部(省)によって、中国各地の大学へ「分配」されました。

 ただ、その「分配」の様子を見ていますと、まず「(学生の)成績」は全く考慮されていなかったように思われたのです。それで、当時、(中国の教育部は)どういう考え方で、分配しているのかと不思議に思ったものですが、学生の方にしても、先進国からの学生は多く自費でしたし、それ以外の国からの学生にしてみれば、日本と中国の違いすらわからないといったものでしたから、どこの大学に分配されようとたいしたことはなかったのでしょう。その大学がどこの町にあるかが気になるくらいで。

 それに、日本から中国に来た若い人の多くは、親が中国との間で関係があり、それで中国へやらされたという人たちです。中には、「語言学院」にいる間は、「田舎(北京のことです)」で我慢したけれども、大学は、『香港』に近い『広州』に行きたい。それなのに、『北京大学』に分配された。これでは遊べない。何もないところで四年間も過ごすのは嫌だ」と、騒いでいる若い人もいました。

 今では、「へえ~。北京が何もない……?田舎……?」と思われるかもしれませんが、当時は、夜8時を過ぎたら、食べ物屋も閉まってしまいますし、まず第一、街が真っ暗になってしまいます。イルミネーションが、チカチカついているのは、公安部だけという有様でした。しかも、外国人と話す中国人は、チェックされてしまいますから、気軽に話しかけるわけにもいきませんでした。それに何より、外国人に話しかけてくるような中国人(外国語を学んでいる人以外)は、胡散臭い中国人が多かったのです。
 
 ただ、それは、当時、「中国」だけとは限りませんでした。「共産圏」と呼ばれる地域や国では、だいたい似たようなものだったでしょう。前に旅行で行ったことのある「東ベルリン」でも、どう見ても怪しいと思われた、厳つい男性に、(ドルに替えてくれ)と路上で話しかけられ、一目散に逃げたことがありましたし。

 「中国」へ留学した外国人のうち、大半の人はそれなりに適応し、無事に二年間を過ごして、それぞれの大学へ分配されていたようでしたが、中には、そういう窒息しそうな「中国」に馴染めず、事件を起こす人もいました。また、「日本」をはじめ、自由主義圏から来ていた学生たちは、自国と「中国」との自由度の温度差に気づかず、虎の尾を踏んでしまった人もいました。日本では、普通のことでも、中国では「タブー」視されるということが少なくなかったのです。今でも、中国はインターネットなどにおいても、自由度がかなり低いと言えましょうが、当時はそれどころではなかったのです。世界(日本や自由主義国、つまり先進国)での常識は、中国においては、非常識としか見られていなかった時代でしたから。

 日本の大使館は、自国の私費留学生には親切ではないという評判でしたが、ほとんどの国が北京に大使館がありましたから、何か大学で問題が起こると、すぐに大使館員がすっ飛んで来ていました。宗教や民族、そして政治的な対立、そういうものを抱えて来ていた留学生も少なくなかったのです。揉め事が起これば、すぐに国と国、民族と民族、宗教と宗教の対立になってしまいます。それを鎮める作業を「語言学院」の教師も、また「公安部」の人たちもしなければならなかったのですから、大変だったはずです。もうそれは、「中国がどうだから、外国人に問題が起こった」というのではなく、たまたま「対立していた者同士が、中国で近くに住んでしまった。それで、緊張が高まった」ということだったのです。

 日本人などは、民族問題にも疎いですし、宗教問題に対しても、それほどの主張があるわけではありません(そうじゃない人もいますが)。これは随分前の話ですが、知り合いのおじいさん(80才を過ぎていました)が悩んでいるので、訳を訊くと、「わしが死んだら、どの宗派で葬式をしたらいいのだろうと困っている」と言うのです。怪訝な顔をしていると、「実は、いろいろな宗教の人が来て『入ってくれ、入ってくれ』と言う。つきあいがあるから、無碍には断れない。それで『いいよ。いいよ。入ってあげるよ』と言っているうちに、どうも、それが三十か四十くらいになったらしい。わしが死んだら、『うちの宗派で葬式をあげてくれ』と皆が来るだろうから、長男が困ると言う。葬式用の宗派を決めてから死んでくれと言うのじゃ。困った。困った」。

 「(日本人は)無宗教」とは言えないでしょうが、また「宗教心」が特にあるとも言えず、そういう日本人から見れば、それ(宗教)に命をかけるということなど、全く理解できません。馬鹿な私は、「(みんな)友達でしょう。友達が大切にしているものは、あなたも大切にするでしょう。友達が大切にしている神様なら、あなたも大切にしたほうがいいんじゃありませんか。拝む必要はないけれど、『友達の神様、こんにちは』くらいは言えないの」なんて言って、睨み付けられたことがありましたっけ。

 とはいえ、一年、乃至二年を、無事にやり過ごせば、あとは分配された大学でうまくやっていけたでしょう。先生方や公安部の苦労の賜物です。問題が起きた時には、時に大使館の職員も交え、その都度、(大学の)公安部の人が根気よく話し合っていましたから。ただ、こういう公安部の人たちは、普段はやさしいのですが、腕っ節だけは強そうでした。またそうでなければ、体格のよい大きな人たちと互角にやり合えはしなかったでしょう。国や宗教の問題が絡んでくると、いつの間にか「一大学」での問題では済まなくなってしまいます。あっという間に、それぞれの陣営(?)の人数は膨れあがります。それぞれに人を集めるのです。そして、北京在住の関係者が何十人も駆けつけて、メンツをかけての闘いになるのです。物騒なことですが。

そうならないためにも、何事も最初が肝心なのです。

 人は「適応」するためには時間がかかります。それに「適応」させていくには、順を踏んでやっていかなければなりません。その「いろは」を持っている大学ならばいいのですが、ただ(大学の別科で)、日本語を教えればいいくらいしか考えていない大学であったら、学生に取って悲惨なことになってしまいます。生活指導を疎かにしてはならないのです。また、勉強に関しても、その人は母国でのレベルで、(大学へは入れても)勝負しなければなりません。これは「途上国」や中国のような「中進国」から来た人にとっては、圧倒的に不利なのです。しかも、大学は休みが多いのです。授業があっても、一日中、日本語で明け暮れすると言うわけでもありませんし、「留学生試験」のために、さまざまな科目の勉強までさせるとか、「大学入試」のために本人が専攻したいという「科目」の記事や本を選んで読ませておくといったことまでしてくれるはしないでしょう。「途上国」や「中進国」から来た人たちには、大学進学前に、日本でいうところの一般教養めいたものを入れておいた方がいいのです。

 私は中国へ行った時に、本屋で「考」受験のための問題集などを買って読んでみたことがあるのですが、それほど内容(文系)が劣っているとは思えませんでした。それなのに、どうして、知らないのだろう、わからないだろうと思っていたのです。「考」の平均点が全国でも高い、福建省の進学校から来た学生であっても、驚くほど知識が乏しいのです。「知らない。私は理系だから」と本人は言うのですが、「理系」とか「文系」とか別れる前の、いわば、中学レベルの知識なのです。

 その理由はいくつか考えられるでしょうが、まず日本と比べて、圧倒的に情報の量が少ない。少なすぎるのです。自国のことでさえ知りません。日本では、普通のテレビで(もちろん、俗悪な番組もたくさんありますが、そんなものは見なければいいのであって、親が考えれば済むことです)、一般教養的な知識を身につけられる番組が、日常的に流れています。ですから、幼子であろうが、大人であろうが、好きなら、それを一日中眺めていればいいのです。それは知らず知らずのうちに、身につき、知識となります。

 多分、中国では、それが日常的にはないのでしょう。故に、学校で、「詰め込んでも」、イメージが膨らみません。また、故に、想像力が湧かないのです。当然、あこがれとか、それに対する想いとかへも発展したりはしないでしょう。それ故、金太郎飴で、「自分の国はすばらしい」で終わってしまうのです。世界には他に、もっともっとすばらしい雄大な自然(これは言い方がおかしいですね。自然は、たとえ、路上の小さな花であっても宇宙を映すことができるのですから、それだけで、すばらしいのであって、自然に上下などはありません)や、面白い歴史があるというのに。それを、習って知っても、頭だけで終わってしまって、「物語」が紡げないのです。そういう素質がある子も少なくないというのに。結局は、「科挙」の試験のように、丸暗記で終わりなのでしょう。

そうなってしまいますと、その知識を基に発展させて、さらに研究を深めていく云々など、夢のまた夢になってしまいます。残念ですが、本来、これらは、自国の国民のレベルを上げるために、それぞれの国で行わなければならないことです。そうするのが、あるときは政府であったり、あるときは、その国や他国の、(民間の)マスコミであったりするのですが…。世界では三権分立ではなく、四つの権力があると言われるくらい、マスコミの力は強いのです。人々を啓発し、導いていくべく努力する責任があると思うのですが、そのかれらの力の半分は、現代においては、「映像による力」なのです。

 人文科学、社会科学、また自然科学などの分野において、人々が必要であろうという知識、或いは思想、或いは意見を常に与え続けることが、その存在の理由となっているはずです。ただ、これらは、あくまでも自分を成長させていく上での基礎なのです。これらの基礎があって初めて、人は考えることができるし、その人の意見を他の人が聴いてくれるのです。得手勝手なことを言っていれば、「この人、何か馬鹿なこと言っているよ」で終わり。だれもその人の意見なんて聴いてくれないでしょう。もちろん、その人と同じ国の人間は別です。同じようなものなのですから。

日々是好日
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