日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「春休み」中とはいえ、なかなかに賑やかでした。

2024-04-05 08:46:42 | 日本語学校
小雨。

「サクラ」の季節というのに、街全体がくすんで見えます。今朝も小糠雨で、少々寒い。…「花冷え」か。歩いていると、「ベニカナメモチ」かな?濡れてひときわ艶やかな紅色が目に飛び込んできました。小雨の中で、「サクラ」の花も葉もくすんで、そんな街の中にボウッと見えているのに、その一角だけが、濡れ濡れとした赤。で、根本を見てみると、「ムスカリ」がぽつんと立って、紫色の花をつけていました。

これも、誰かがこっそりと植えたのでしょうね。公園などの生け垣の根元に、時々見受けられる花です。公園の生け垣の下には、ここには「ムスカリ」、あそこには「ナノハナ」、「スイセン」といった具合に、だれか人が、こっそりと「空き地利用」で、植えた?みたいなものがあります。見る人を楽しませているのだから、「こんなのを公共の地に(植えるなんて)」なんて、だれもそんな無粋なことは言わないでしょう。

さて、学校です。

昨日は、新入生の荷物解きやら運搬やらのお手伝いに、ネパールの学生が、朝早くから来てくれました。

ちょっと落ち着いた頃、教科書を取りに来るようにと連絡を受けた、タイ人新入生が、お姉さん(在校生)と一緒にやってきました。お姉さんはあまり勉強が得意ではないようですが、妹さんの方は、かなり積極的。十年くらい前に(日本語を)勉強したことがあるとかで、懸命に(日本語を)思い出しながら、使おうとしていました。来てすぐなのに、日本語に関しては、もう立場が逆転しているようですね。お姉さんも、うかうかとしてはいられません。

それから、ベトナム人新入生が一人来て、教科書を持って帰りました。彼女は、まだ日本語が全然話せません。しかし、お姉さんがこの学校を卒業したばかりであるし、一緒に暮らすということなので、多分、大丈夫でしょう。

ちょっとして、やってきた中国人新入生。親戚のうちから車で荷物を運んでもらったということで、寮のカギと教科書を持って帰って行きました。今日から、寮の部屋でネパール人学生と一緒に暮らすことになります。ただ、夏には、親戚が近くに引っ越してきて彼と一緒に暮らすことになっているそうなので、それまでのことですね。

そうこうしているうちに、中国人学生が話があると言ってやってきました。中国でも、世代間ギャップは甚だしいようで、若者はそれを親世代に納得してもらうのに苦労しているらしい。

日本では、中国の「電気自動車」、「自動運転」、「ドローン」などの進んだ技術がよく報道され、「日本よりもすごい」みたいな感覚で捉えている人が多いでしょうが、いわゆる人間的な部分がそれに追いついてはいないというのが実感。もちろん、私も、そういう報道に踊らされがちなのですが、忘れてはならないのは、ロシア程ではないにしても、同じような報道規制があるということ。ロシアでも、このたびのウクライナ侵攻を否定しがちな若者と、大本営発表みたいなテレビのニュースしか見ない親世代から上の人達との間には、大きなギャップがあって、親子関係ですら傷つけられているらしい。

「鰯の頭も信心から」というのに、懲りている日本人からすれば、国が「我が国はすごい」と言えば、そこに、胡散臭いものを嗅ぎ取らない方が悪いと思ってしまう。自画自賛なんて眉唾ものだと思ってしまうのです。

これは二十年以上も前の話ですが、中国にはやはり「士大夫」や「科挙合格者」とか言ったものに対する憧れというか、そんなものが根強く残っていて、国が豊かになると先祖返りしてしまうようなところがあると思ったことがありました。

口では、「農民と労働者」の党であると標榜していても、実際、大多数の人はそうは思っていませんね。だいたい馬鹿にしています。日本で、そういうのがわかれば、大顰蹙ものです。政治家であったら、「辞めろ」の大合唱を浴びてしまいます。いまだに多くの人の心の中には「農」「工」が上にあるのです。だから、素晴らしい研究者を褒め称えるのに「この人は職人気質だ」が通用するのでしょう。

もとより日本でも、世界中のあらゆる国でも、知識や技術をもっている人は尊敬されます。特に、日本では「知識」と「技術」が同列に語られることが多いというのが、中国との違いなのかもしれません。「遊び」でも、「作ったもの」でも、技術が人間離れしていれば、そんじょそこらの知識人など足下にも及ばないほどの尊敬を受ける。だから、「好きなことを探せ」とよく言われる。「その方が幸せだから」。「好きなことに貴賤はない」。「好きなことなら失敗しても、諦めがつく」。「嫌いなこと、嫌なことを80年もやっていけるか」。とは、よく言われること。ただ、好きなことに出会えるかというと、これは難しい。好きなことで人より上に行けるかというと、これはもっと難しい。だから、皆と同じような勉強をしてしまう…しかなくなる。

極端な話。「親の仕事は子供に好きなことを見つけ出させること」なんて言った人もいましたし。

さあ、中国人若者のはどうするでしょう。結局は、自分の気持ちがどれほど強いかにかかっている…というのは、日本人だから言えること。国毎にそれぞれの背景があり、日本に来ているとは言え、彼らはその尻尾を切ることができない。これは中国人だけに言えることではないのですが。

日々是好日

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする