イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「約束の川」読了

2021年11月21日 | 2021読書
星野道夫 「約束の川」読了

この本は百科事典を作っている平凡社が出版している、「スタンダードブックス」というシリーズの1冊である。
刊行に際しての中の一文には、『情報が氾濫する何でもありの世の中というのは、自由に見えてじつはすごく不自由である。その中で、考える足がかり、暗闇の中を歩くための懐中電灯を提供できないだろうかとこのシリーズを始めました。自然科学者が書いた随筆を読むと、頭が涼しくなります。科学と文学、科学と芸術を行き来しておもしろがる感性が、そこにあります。境界を越えてどこまでも行き来するには、自由でやわらかい、風とおしのよい心と『教養』が必要です。その基盤となるもの、それが『知のスタンダード』です。」と書かれている。

星野道夫や佐藤勝彦の本を読んでいると別の意味で頭が涼しくなる。地球上の自然の美しさや過酷さ、宇宙の始まりの驚きを知ると人生のいざこざ、特に会社の中のいざこざなどはクソほどの欠けらの価値もないと思えてくるのである。
なんとなく、図書館の紀行文の書架を眺めているとこの本が目に入った。亡くなってから25年経っているので新たに書き下ろされたものではないというのは当然わかっているのだが、思わす手に取ってしまった。
星野道夫が、自身が出会った人々について書いた文章を意識的に集めているようだが、そういった人々を通して、『科学と文学を横断する知性を持った科学者・作家を1人1冊で紹介する。』と書かれているように、星野道夫という人はどういう人であったのかということを紐解いているような構成になっている。

星野道夫は写真家であるが、写真を撮るためにアラスカに赴いたのではなく、アラスカで生きるための手段として写真家の道を選んだ。そこで出会った人たちから、純粋に生きるということの意味を学んでいくのである。アラスカの人々は豊かになった現代でも古い生活習慣にこだわる。
クジラ漁をする人々はクジラが獲れないからといって昔のような飢餓の不安はない。変わりゆく暮らしの中でどうしても守らなければならないもの、自分たちが誰なのかを考え続けてくれるものと理解している。
アサバスカインディアンの母親はよく運の話をした。例えば「ブルーベリーの枝を折ってはいけない。運が悪くなるから。」というように。人の持つ運は日々の暮らしの中で常に変わってゆくものだという。それを左右するものはその人間を取りかこむものに対する関わり方らしい。彼らにとってそれは「自然」である。
片手を失くし、それでもひとりで荒野に生きる老人を見たブッシュパイロットの言葉は、『きっとあの場所で自然に死んで行くんだろうな』であった。

自然に寄り添って、自然に逆らわずに生きることの必要性というのは人それぞれの価値観によっても異なるのであろうが、『心臓が鼓動し、血のめぐりを感じ、ただ生きているということに心が満たされることがあるのだ。』という星野道夫の言葉に僕は共感する。
それは快適な生活かそうでないかは別にして、”根”を持って生きているかどうかということである。快適な生活を望むほどその”根”は細く短くなっていくような気がする。それを気にしない人もいるだろうが、それはきっと自分自身によって立つことができるひと、過酷な自然環境に影響を受けない人たち、受けていることに気が付かない人たちだ。
僕もきっと飢えることはこれから先もないだろう。しかし、ほんのわずかだが自然の過酷さと豊かさを知っていると思う。だから星野道夫の言葉が重く思えるのである。

星野道夫は43歳でヒグマに襲われて亡くなっているけれども、今の時代を生きていればどんな言葉を書き残してくれただろうか・・。

コメント
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