イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「地球に月が2つあったころ」読了

2021年11月20日 | 2021読書
エリック アスフォーグ/著 熊谷 玲美/訳 「地球に月が2つあったころ」読了

なんだかSF小説かファンタジー小説のようなタイトルだが、中身は惑星学の一般向け書物という感じのものだ。
NHKBSの木曜午後10時からは長く「コズミックフロント」というテレビ番組が放送されていて、太陽系の惑星についてもときおり特集されたりしているのだが、そういったものというのは、こういう研究者の成果がもとにきっと作られているのだと思えるような内容だ。著者もひょっとしたらこの番組のインタビューシーンなんかで出演していたのかもしれない。
テレビはビジュアルがあるのでなんとなく、ふ~ん、そうなんだとわかったような気になるのだが、それが文章になっていると、何が書かれているのかがさっぱりわからなくなる。もとより、この本の構成自体が、ある程度、物理学や地質学に理解がある人でなければ一般向け書物とはいえ理解ができないような気がする。そして表現が文学的なのでよけいに内容がわからない。
だから注釈を入れても450ページほどを読み切るのに2週間近くもかかってしまった。

わからないなりに要約すると、太陽系の星々というのは、塵が集まってすんなり出来上がったのではなく、チリが集まって出来上がった小さな惑星(この本では惑星胚と書かれているが)が衝突を繰り返して出来上がるという非常にダイナミックな営みがあり、その過程は奇跡に近いようなものであったというのである。
タイトルが示すように、月にしても地球にはかつてふたつ存在していて、それが重合してひとつの月が出来上がったのであるというのだ。
そういったことを、様々な観測結果や物理法則、宇宙船が持ち帰った岩石のサンプルからのデータを基に推理するというのがこの本なのである。

ひと昔前は、惑星はどうやってできるのかというと、恒星の周りに原始惑星系円盤という塵の集まりからそれぞれの惑星が成長してゆくと考えられていて、子供の頃買った図鑑にもそう書いてあったと思う。重い石は太陽から遠くへ行かないので地球や火星などの岩石惑星は太陽の近くに、軽いガスなどは遠くへ飛ばされるので木星や土星はその外側にできるというもう、それで納得すればいいじゃないかと思うほど説得力のある考え方であったのだが、星の軌道を考える力学や海王星の組成などを考えると矛盾してしまうらしく、著者たちが考えるのは、木星や土星というのは今の軌道よりも内側で生まれてそれが次第に外に移動していったというものである。本文にはその根拠がいろいろ書かれているのだが、そこもさっぱりわからない。
そして、すべての星は塵が一挙に集まったのではなくて、最初は小さく出来上がった星が巨大衝突をしながら成長していったのが今の姿であるというのである。そうでなければ木星も、土星も月も地球でさえもそれぞれの大きさまでにはなれないそうだ。
星の衝突というのはまったく特殊なことではなく、地球上には今でも巨大衝突の痕跡は残っていて、恐竜が滅びたのもそれが原因でクレーターの痕跡はユカタン半島に残っているというのは有名な話だ。
そして、地球と月の関係も巨大衝突の結果であるらしいと考えられている。これも子供の頃に買ってもらった百科事典には、まだ真っ赤に燃えている地球からコブのようの月は生まれてきたと書かれていたけれども、テイアという名前が付けられた星(これも惑星だったのだろうか?)が地球と斜めに衝突し、それぞれの星の物質が混ざり合った末に一部が引きちぎられて月ができたという。そして、その月も、もうひとつ別の星と衝突して一個に合体したというのである。ただ、その星はどこからやってきたのかということについてはあまり詳しく書かれておらず、なんだか唐突にそんな説が書きだされていた。ただ、根拠はあるらしく、月というのは、表側と裏側で地殻の厚さが異なっていて、それは星が衝突したことが原因だと著者たちは考えている。

もっといろいろなことが書かれていたはずだけれども、これくらいのことしか印象に残らなかった。

そんなことはさておいて、いつも海に出るたびに思うのは、この海の水を溜めているのは地球なんだよなということや、真っ赤に見えるあの太陽がすべての生き物の根源なのだよなということである。
そう思うだけで十分じゃないだろうか。これから先の未来、恒星間の飛行が実現する見込みがあるというのならこういうことを突き詰めて宇宙移民のための資料となるのであろうが、そこまでのテクノロジーが開発されたとしても人間の寿命と相対性理論が許してくれないだろう。なにしろ、一番近い恒星まで旅をするにも数千年という歳月が必要になるのだから・・。
経済についてもそれだけの資本を投入して何のリターンがあるというのだろうかと考えると投資の意味がないと思うのだが、惑星の調査というくらいの費用なら、世界で最も裕福な26人(世界の富の半分をこの26人が持っているという。)のうちの誰かがボランティアでそのいくばくかのお金を出してくれれば土星の衛星に探査機を着陸させるくらいのことはできるらしい。冷戦時代のアポロ計画はその投資の数百倍の利益と活力をもたらしたというのが著者の考えで、これからも惑星探査というのは『空にある天球の殻(星が描かれた半球の壁)を破って外に出て、現実の説明が存在するより広い世界に踏み出すためには、地球やその中での立ち位置も含めた、惑星探査の視点が必要だ。』という。
確かに、知らないことを知りたいという欲求は人間がここまで豊かになった原動力ではあっただろうが、これ以上豊かになる必要はあるのだろうか。途上国はまだまだだという意見は確かにあるが、それは政治がやることである。
だから、星は見上げているだけで十分で、ときたま月食がありますという計算だけやってくれる人がいればそれでいいのだと思うのである。



この本の中身とはほとんど関係がないが、著者はノルウェー出身の科学者ということで、惑星と関係がある神々の名前が北欧の言葉で紹介されている。
火星の神は「ティウ」、水星の神は「オーディン」、木星の神は「トール」、金星の神は「フレイア」という。
ボルボのヘッドライトデザインは「トールハンマー」というそうだが、これは木星の神が持つ槌のことなのである。
ちょとだけ記録しておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする