イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「映画で考える生命環境倫理学」読了

2019年08月09日 | 2019読書
吉川孝 横地徳広 池田喬  「映画で考える生命環境倫理学」読了

「環境倫理学」という言葉を辞書で調べると、『地球環境問題に対して倫理学的観点から考察する学問』となっている。そして倫理学とは何かということを調べてみると、『一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域』と書いている。そういえば、高校生の時、「倫理社会」という教科があったけれども、大嫌いな教科であった。ただ、あの頃もっとこれを勉強していれば、人生や社会に対する考え方も少し大人びて考えることができたのではないかと残念には思っている。というか、そういうことを考える能力が当時からなかったから「倫理社会」が理解できなかったということなのだろう。

この本はその環境倫理学を映画、特にSF映画を中心にして考えてみようとする内容になっている。
どうして映画を題材に求めているのかというと、映画というのは様々な問題をある意味極限状態、もしくはその主題だけを極端にクローズアップした形で作られていることが多い。そんなシチュエーションで主人公たちが取る行動を見ることで環境の変化が人々の心に与える影響、もしくはどのようにふるまうべきなのかという考察ができる。
とくにSF映画を取り上げているのは、哲学が求める、「存在とは何か、時間とは何か、そもそも人間とは何か、善く生きるとはどのようなことか、心と体はどのように結びついているか。」ということを極限の状態で考えるのに最適であると著者たちは考える。

それぞれの映画は確かに特殊なシチュエーションでの人々の行動を描くものだが、結局じゃあ、その時に人としては倫理的にどうあるべきかということは具体的に書かれていない。まあ、書いてもらったとしても僕が生きている間には何の役にも立たないだからどちらでもよいというもなのだけれども・・。

ただ、その一端はすでに表れてきているのだろうというのが僕の感想だ。特に大きかったのはインターネットの普及だろうか。あまりにも人と人のつながりが広範囲になったということに人はついていけていない。そしてインターネットのなかで世界があまりにも広がったことに人の判断力もついていけていない。様々なニュースがそれを示している。環境倫理学は今こそもっと力を発揮してもらわねばならないものであるはずだが残念ながらそれほど世の中に浸透していないようだ。

「人は分かり合えない存在である。」エヴァンゲリオンやガンダムのテーマである。それゆえに倫理学が必要になってくる。いっそのこと、エヴァンゲリオンで描かれる人類補完計画やガンダムのニュータイプとしてつながる人類の世界のようになればそんな難しいことを考える必要がない。だからだろうか、この本にはこの二つの物語が登場しない。倫理学の地平を超えてしまうからということなんだろう。人はそれで幸せになれるのか。そうなっても幸せになれないのなら人は永遠に幸せになれないということだろうか・・。
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