イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「世界昆虫神話」読了

2019年08月13日 | 2019読書
篠田知和基 「世界昆虫神話」読了

暑い日が続いていて本を読んでいてもボ~っとしてくるのであまり頭を使わなくてもよいような本を選んでみた。

このシリーズ、魚編もあるそうなのだが図書館には蔵書がなく、かわりに昆虫編を借りてみた。まあ、夏は昆虫の季節でもあるのでちょうどよい。本の内容は昆虫にまつわる神話や民話、小説、俳句、短歌など様々な文学を断片的に取り上げている。特に神話や昔話なんかはもともと文脈らしいものがないからボ~っとしていても、そんな話なのかと思うだけでよい。

師は長い旅に出るときには必ず聖書とレストランのメニューを携えていたそうだ。旅の途中はそれ自体が刺激的なので読み物はあまり考え込まなくてもよいものという意味で選んだものだそうだが、クーラーの効いていない夏の昼間の部屋の中でもあまり考えるということをしたくないものだ。
この本もそのとおりで、現実の世界からは程よく遠い世界のお話である。

昆虫の中では蜜蜂というのは一番古くから、蜂蜜をもたらしてくれるという意味で人間にとって直接的に有用な昆虫であったので人類の歴史が始まる以前から神話や絵の中に出てくるというのはまあ、よくわかる話だ。
著者が集めた物語にはそれ以外にもたくさんの昆虫が出てくる。霊を運ぶ昆虫、危機を助ける昆虫、道案内をする昆虫、はたまた人を惑わせるもの、その他もろもろの場面で蝶や蜻蛉、飛蝗などが登場する。しかし、特にたくさん出てくるのは蚤、虱、蜘蛛という、どうもあまり人には好かれていない虫たちだ。それが人間の味方になったり邪魔者になったりしながら登場する。これはどうしてなのだろうか。常に気を配っていないと病気のもとになるからという意味でもあったのだろうか。ほかにももっときれいな昆虫もいるのに不思議なものだ

小さいころは虫が好きでこの時期はいつも虫かごをもってウロウロしていたものだけれども、年かさが増すにつれて虫を見つけることができなくなってくるように思える。日頃の生活にあくせくしすぎてじっくり茂みを凝視することができなくなってしまったからなのだろうか。それとも、身長が伸びてくると目の位置と茂みの距離が離れてくるので虫が見えづらくなるからなのだろうか。単純に45年前と比較すると虫の数が少なくなってしまったからのだろうか。そういえば、香川照之が扮するカマキリ先生はドイツでの調査ではこの30年間で8割の昆虫がいなくなったと言っていた。
調べてみたら、最後にカブトムシを取りに行ったのはもう11年も前の夏のことになっていた。
もう、あそこのクヌギの木にもカブトムシはいなくなってしまったのだろうか。多分、もう二度と行くことのない小さな林に少しだけ思いをはせるのだ・・。
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