イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

名草戸畔をめぐってみる。

2014年09月26日 | Weblog
いつぞやの新聞で名草戸畔という人物のコラムが掲載されていた。

日本書紀によると神武東征で進軍中だったイワレヒコ(のちの神武天皇)との戦いで戦死した女性の長だったそうだ。多分、和歌山の卑弥呼みたいな人だったようだ。そのときに頭と胴体と足に切り刻まれて3箇所に葬られ、それぞれそこで神様として祭られている。
日本人は古来、打ち倒したり殺したりした相手を神様として祀ってきた。たとえば菅原道真なんかはその典型で、祟りを恐れたり相手の力が強大であればあるほど祟りを恐れ、また守護してもらえる力も強大であると考えたそうだ。
名草戸畔が殺されたあと、紀氏(日前宮の宮司となる一族)が紀伊の国を統治したが名草戸畔を遠縁に位置づけることで、統治に対する正当性を主張したそうだ。

この話はほとんど神話に近い話なのだろうが、梅原先生の論理を借りると縄文人の名草一族が弥生人である神武に駆逐されたいう文化の交代という出来事を象徴しているものなのだろう。


今日はそこをめぐってみようと考えた。
低気圧が通ったあとで波が残っているだろうし、昨日は送別会で呑み過ぎ、早朝に起きることができないだろうし、体重計に乗ってみると74キロを超えてしまっていた。これは一大事なのだ。
といういくつかの理由で今日は自転車に乗ってめぐることにした。

結果的には1箇所間違って訪ねてしまったので完遂は次回に持ち越しになってしまった。


まずは胴体が祀られているという杉尾神社。毎年生石山に山菜を採りにいく途中にある神社だ。

 

いつもこの看板を見ながら、「なんでお腹なの?」と疑問をもっていたが、こんな理由があったということだ。
訪ねてみると、これは相当荒れ果ててしまっている。というか、手入れがされていないという感じだ。

お腹つながりだろうか、しゃもじがいっぱい奉納されている。お腹の病気から救ってくださいというよりも食いっぱぐれがありませんようにという願いなのだろうか?



次は頭を祀っているという宇賀部神社だ。
ここはものすごく有名な神社だ。受験の頃が近づいてくると最後は神頼みでみんなここにやってくる。頭の神様はやっぱり得だなと思うのだ。



そこから足守神社へ向かったのが、ここを間違えていた。伊太祁曽神社のそばに足の神様があると知っていたので、ここがその、足が祀られているところだと思い込んでしまっていた。
実際は、灌漑用の池である大池(今の大池遊園)を作るための工事に携わった人々の足の痛みの治癒を願うために建立されたものだそうだ。ここはここできちんとした由来があったのだ。

ここは足の神様というだけあって、わら草履がいっぱい奉納されていた。絵馬には陸上競技の選手のものが多かった。う~ん、お腹がかわいそうだ・・・。



本当に足が祀られているのは海南市の千種神社というところらしいので、次の機会に訪ねてみようと思う。
間違った方向にいったおかげできれいな田園風景の中を走り抜けることができた。刈り取られた田んぼのあぜ道には彼岸花がきれいに咲いている。

  

弥生の文化は稲作の文化なので名草戸畔の時代にはなかったであろう風景だ。しかし、高カロリーで保存が効くコメの生産は経済格差を生み、更なる効率化と生産性を求めて自然破壊につながっていった最初の一歩だと考えるとそれはそれで考えさせられるものがあるのだ。


今日の総走行距離は31キロ、帰宅後体重を測ってみると72.2キロまで落ちていた。少しだけホッとした走行であった。





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