イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2014年09月20日 | 釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 3:41満潮
釣果:タチウオ9匹 サゴシ2匹

今日も午前3時に起床。一服して、さあ家を出ようと勝手口を開けてみたら雨が降っていた。今日は第三翠勝丸を動かす予定にしていたので残念だ。
仕方がないので布団に戻ってボ~っとしていると外で虫の声がずっと鳴っている。う~ん、雨はそれほど強くならないのかもしれない。
布団に同化してしまいそうな体をむりやり起こしてボロ服を着なおしていざ港へ。


一文字の切れ目を抜けて仕掛けを下ろしてみたがアタリはない。いつもの通り新々波止の沖へ向かっていたが、タチウオ狙いらしき船は沖の一文字と新々波止の交差したあたりで釣りを続けている。
そこへ行こうか、はやり沖へ行こうか。

アン・シャーリーの言葉を借りると、
「曲がり角をまがったさきになにがあるかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。」

ということになるのだが、「トオクハツレール」の法則はこういう人間が本来持っている本能から導き出される法則なのであろうか。
あの灯台を曲がった先にはきっとタチウオがうじゃうじゃいるに違いないと思う心と、アフリカを抜け出してあの川を越えた先には、あの山を越えた先にはきっといちばんよいものがあるに違いないと思いながら南アメリカの先っちょまで到達した人類の祖先の心には何の違いもないはずだ。

と、いうことでやっぱり先っちょを目指して船を進めることにした。
アタリが出たのはやっぱり新々波止を越えたところだった。アタリが出た周辺をぐるぐる回りながら魚を追加していったが今日は型が小さい。
辺りが完全に明るくなってからも先の船は同じ場所で釣り続けている。あそこも釣れているのだろうかと最後に回ってみたら1匹アタリがあった。こんなに明るくてもアタリが出るのだから、曲がり角を曲がった先でなくてもよかったのではないかとも思うが、やっぱり僕は、「トオクハツレール」の法則に縛られてしまうのだと思う。

この時点で午前6時15分。
今から急いで家に帰って朝の連ドラを見なければならない。来週が最終週。いよいよクライマックスだ。絶対に見なければならない。
いつも見るのは午前7時半からのBS3だ。それで、この時間に合わせて見ているうちにその前に放送している、「カーネーション」も面白くなってきた。こっちも来週が最終週。いよいよクライマックスだ。
モンゴメリも「赤毛のアン」も別に日本で有名な作家や物語というわけではなかったそうだ。ひょっとしたら、カナダでもありきたりの物語のひとつであったのかもしれない。それが訳者の生きがいになり、命を掛けて守り抜くものになる。
何か、人生というのは運命の出会いとか天命とかを求めるのではなく、ありきたりのものに出会い、それを大切に生きてゆくだけでいいのだと悟らされる。
人も、モノも、生き方も・・・。
じつは、魚釣りも僕にとって、そんなありきたりのものだったのかもしれないとおもうクライマックスになりそうだ。
コメント
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