イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

平野多恵 「おみくじの歴史」読了

2024年08月04日 | 2024読書
人生は選択の連続だ。そしてことごとく選択に失敗する。あのポイントに行っておけばよかった。その前にあの仕掛けであの魚を狙いに行った方がよかったのではないか、これ以上下がらないと思った株価が2200円も大暴落しその前日に買ってしまったという選択。
なにもかもが裏目に出る。来週も暴落の予想らしい・・。
これを回避するためには神様に選択してもらうしかない。だからまずおみくじの構造について読んでみようと考えたのである。
きっと日本人は古くから僕と同じような悩みを持っていたのだろう。もしくは選択した失敗の責任を回避するために神に託したのだろう。
いつ戦争を始めるか、どこから攻めるか、くじ引きで決まった将軍も歴史の中には存在したそうだ。

くじ引きは別にして、おみくじにはいくつかのパターンがあるらしい。伝統的なおみくじではそこに和歌が書いてあるもの、漢詩が書かれているものがある。
漢詩が書いているおみくじはお寺のおみくじ、和歌が書いてあるおみくじは神社というのが大体のかたちだそうだ。
日本に入ってきたおみくじの元祖は中国の「観音籤」でその流れで上野寛永寺の「元三大師御籤」として日本に定着してゆく。
江戸時代までは神仏習合が当たり前だったので漢詩のおみくじが一般的だったようだが、一方で和歌の内容で占うという「歌占」というものがあった。和歌の元祖はスサノオノミコトが読んだ、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」という歌だそうだ。そういうところから、和歌は神の詔であり、その内容を解釈することで神様の心を知るという占いがおこなわれていた。
「解釈する」ということで、この時代は引いた和歌の内容を神官に解釈してもらって自分の運勢を占うという形であったそうだ。これは漢詩籤も同じであった。だから吉凶は書かれていない。吉凶は神職や坊さんが決めるのである。その伝統で今でも吉凶が書いていないおみくじがあるそうだ。
吉凶がおみくじに書かれるようになったのはもっとたくさん売りたいからという理由だったらしい。おみくじを引くたびに神職や坊さんから解釈を聞くのでは数を売ることは難しい。

お寺は漢詩、神社は和歌と分かれていったのは明治維新のあとだった。神仏分離令が施行され神社では和歌御籤が授けられるようになったのである。
和歌は百人一首や万葉集などから取られたものやそれぞれの神社にゆかりがあったり祀られている祭神が作った和歌が載せられていたりする。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后の和歌が15編ずつ取りあげられているそうだ。

漢詩御籤も和歌御籤もそれほど種類がなく1セット大体64から100種類ほどらしい。64種類というのは易学からきているそうだが、竹ひごを引くおみくじはもっと番号が大きかったように思うが僕の思い違いだったようだ。

そして、おみくじも今では製造メーカーが作っている。一番有名なのは山口県にある「女子道社」という会社だそうだ。たくさんの参拝客があるような神社仏閣ではオリジナルのおみくじなのだろうがそうでもないところはこういう会社から買っているようだ。こういうのを聞くとなんだかご利益というか、この運勢は本当に正しいのだろうかと訝ってしまう。

まあ、おみくじの知識というのはこのくらいで僕は十分だ。お守りどころか100円、200円のおみくじさえ引くのはもったいないと思っているのでこれから先も現物を見ることはないだろう。いや、せっかくだからお寺と神社、一か所ずつくらいは本当に漢詩なのか和歌なのかということを実証実験してみたいとも思うのである。
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