イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ソロモンの指環―動物行動学入門」読了

2018年04月08日 | 2018読書
コンラート ローレンツ 「ソロモンの指環―動物行動学入門」読了

コンラート・ローレンツは動物行動学という分野でノーベル賞を受賞した学者である。鳥は最初に見たものを母親と思うという「すりこみ」の研究で有名だそうだ。

この本は動物のコミュニケーションの能力の高さと本能として持っている行動パターンのすばらしい合理性や、学者の破天荒ともいえる動物との生活が書かれている。

学者は“観察”することで動物の行動についての様々な理論や学説を打ち立てたそうだが、観察するだけでノーベル賞を受賞したというのもすごいけれども実生活では家の中でさまざまな動物を放し飼いにしてそれをやっていたそうだ。犬はもとより、ねずみ、鳥さえも家の中と空を行き来していたそうだ。そうしないと動物の本当の行動を見ることはできないとはいえ、家の中はいったいどんな状態だったのだろうか。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、動物の行動というのは、親から受け継ぐ行動と生まれ持っている本能から来る行動がある。動物がもっている本能的な行動というのはいったいどこに記憶されているのだろうかとこの本を読みながら考えるのである。
福岡伸一によると、記憶というものは脳細胞の神経線維のネットワークという形で動物の中に保存されている。しかしながら、本能というのは卵から生まれてすぐの鳥でも持っている。そしてそれは同じ種類の鳥ならすべて同じ行動をする。ということはすでに細胞の中にその行動が記憶されていることになるけれども、そこには神経細胞のネットワークというものがないわけで、いったいどうやってそんな記憶を保存しているのだろうかと不思議が不思議を呼ぶのである。
魚は親に育ててもらうということはまずないのであるけれども、同じ種類であれば同じ求愛行動をするし、敵と遭遇したときには同じ戦い方をする。そんなことは当たり前だろうと思うけれどもやっぱり不思議である。

そして学者は鳥についての知能の高さというものにも長い文章を割いている。
鳥同士のコミュニケーション能力の高さもさることながら、記憶力の高さについてもいくつかの事実をもとに書いているのだけれども、ふと、僕の船の舳先に降り立ってくれた鳥船長のことを思い出した。
あの鳥船長たちはひょっとして同じ鳥だったのではなかろうかと思ったりするのだ。(ウミネコなんてどれも同じ柄で区別がつかなくて当然ではあるのだが。)
1枚目は2016年2月27日 



2枚目は2017年1月19日 



3枚目はついこの前



舳先には乗ってこなかったけれども、ずっと並走してくれていた鳥もあった






画像は小さいけれども、もとの写真を見てみるとなんだか似ているようで似ていないような・・・。もし、同じ鳥であったのならなんだかうれしい気がする。

動物たちのいろいろな行動は種として生き残っていくための手段として生まれ持ったものであるので、どんな動物でも相手を殺してしまう(=種を滅ぼしてしまう)行為はしない。格闘をしても負けそうになると相手に後頭部を見せるなどをして合図を送る。そこが急所であっても勝っているほうはそこに噛み付きはしない。
そうやって、本能が持つ行動と自分が持っている武器としての体の構造は長い時間のなかでバランスを取ってきた。
しかし、人間だけはそのバランスを失っていると学者は指摘する。高度に発達した知能で強力な様々なものを創ったけれどもそれとバランスを取れるだけの心の発達はできていない。その抑制も自ら作り出さなければならない。なぜならわれわれの本能にはとうてい信頼しきれないのだからと締めくくられている。なんとも皮肉な話である。

そう考えると、格差であったり、心の病気であったりということもそんなバランスの崩れから起こっていることではないのかと考えられる。檻の中に入れられた動物は別にして心が病気の動物というのもあまり考えたこともなく、ましてや、人間の世界ほど格差のある動物社会というのもこれまたあまり想像できない。
人間が直立しているということからしてアンバランスなことであると聞いたことがあるけれども、自分たちが作り出した文明に心が追いついていないということもあらためてなるほどと思える。
僕の知ったことではないけれども、人間たちはいったいどこに向かっていくのであろうか・・・。
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