イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「深海学 深海底希少金属と死んだクジラの教え」読了

2022年09月30日 | 2022読書
ヘレン・スケールズ/著 林裕美子/訳 「深海学―深海底希少金属と死んだクジラの教え」読了

この本は、深海にまつわる様々な事どもを網羅している。
深海に棲む生物、人間との関わり、ビジネス、レアメタルの鉱山としての深海。そういったことが書かれている。まさに『深海学』だが、ちなみに原書の題名は「The Brilliant Abyss」。「輝ける深海」というくらいの意味になるのかもしれないが、後半はその輝きに迫りくる影についても言及されている。

キャリーマリスの本ではないが、宇宙に比べるとはるかに近く、直接的な資源開発になるかもしれないのにその調査やなぞの解明は進んでいない。アメリカでの研究費は、2019年で54億ドルであったのに対して、NASAの研究費は215億ドルだったそうだ。しかも、その54億ドルには海洋だけではなく、河川、大気についての研究費も含まれているという。
この本を読んでいると、もっと研究費を出してやれよと思ってしまう。

深海の定義とはこうらしい。海面表層から200メートルを超えるとわずかな青い光だけしか残らないことで物理的な状態が変化する。ここから深海が始まる。
海の深さは平均すると3000メートルくらいの深さになるが、およそ1000メートルより深い部分には太陽光はまったく届かない。深海は深さによって区分され、水深200メートルから1000メートルまでの藍色の薄暗がりの領域を中深層と呼ぶ。そこから4000メートルまでを漸深層と呼び、水温が摂氏4度で安定する。4000メートルから6000メートルまでは深海層と呼ばれる。
海底には泥が堆積しており、その厚さは1キロメートル。場所によっては10キロメートルにもなる。それは風化した岩石の粒子と海面にいる微小浮遊生物の死骸が降り積もったものである。
これだけでも驚異的な数字が並んでいる。

そんな深海を、そこに棲む生物、地球の気象に与える影響、海洋資源、鉱物資源獲得の場について、それぞれ章を分けて書かれている。

第1部は深海に棲む生物について。
ここでは何を食べているかということで大きく三つの生物たちに分けている。ひとつは海に沈んだ生き物の死骸をあてにしている生物。ひとつはマリンスノーを主食にする生物。最後は化学合成された食物を食べる生物たちである。

浅い海に暮らす生物が死に、その場所が深海の上部ならその死骸は深海に向けて沈んでゆく。腐敗が進むとガスが発生して浮かび上がってきそうなものだが、その前に深海に到達すると、強烈な水圧のせいでガスが膨らむことなく深海底まで沈んでゆくそうだ。
大きなクジラなどが沈んでゆくとそれは一部の深海生物にとってまたとない食料になる。40トンのクジラの死骸は生物たちにとって、1ヘクタールの海底を100年か200年かけて探し回るほどの餌の量に匹敵するくらいの価値があるらしい。
最初に死骸に群がるのは魚や甲殻類。次に集まるのは巻貝、カニ、ゴカイ類などで、最初の集団が食べ残した肉の断片を片付ける。
そして骨だけになったクジラは最後に、ホネクイハナムシという多毛類によって食べつくされる。1匹のクジラは数年にわたってひとつの生態系を形作るのである。乱獲によってクジラの頭数が減ってくると、こういった生物の生態系も脅かされることになる。
ホネハナクイムシというのは約8000万年前から存在していたと考えられる。これは地質年代では白亜紀にあたるが、その頃、彼らは恐竜の死骸を食べていたことになる。実際、プレシオサウルスの化石にはホネクイハナムシが開けたと思われる穴が見つかっている。



マリンスノーというのは、『動物や、植物プランクトン、原生生物などの死骸、糞便、砂、その他のさまざまな有機物や無機物で構成されているもの』である。デトリタスとも呼ばれる。そして、この優雅な言葉は日本人学者によって名付けられたそうだ。
要はゴミなのであるが、マリンスノーを食料にしている生物はまさに奇妙、異形、不可思議、普段に見る生物とは似ても似つかない形の生物ばかりだ。羽のあるゴカイや、マリンスノーをひっかけるための食指をもった有櫛動はクラゲにそっくりだがクラゲではないそうだ。そして彼らは物何かに似ていると思ったらカンブリア紀の生物たちだ。口絵の写真を見てみると本当にそっくりだ。ハルキゲニアのトゲやウィワクシアのカラフルな構造色を思わせる。生物の起源は深海にあるという説もあるが、こんな生物を見ているときっと確かに生物が生まれたのは深海であり、そのなかの一部が海面まで浮き上がり太陽エネルギーを利用できる藻類などの植物が生まれたのではないかと思えてくる。ただ、現代のハルキゲニアたちは大きさが数十センチから大きいものでは数メートルという大きさで、数センチしかなかった当時とは相当巨大化している、
なんとなくだが、生物が何もない地球で、植物が最初に生まれて酸素が放出され、それを呼吸に使った動物が生まれたと思いがちだが、まったく逆であったのかもしれないと思ってしまうのである。
実際、熱水噴出孔で見られる微生物とまったく同じ構造の化石が17億7000万年前の化石として発見されていたり、熱水噴出孔の内壁にある微小な孔が生きた細胞の鋳型になったという考えもあるそうだ。

化学合成されたものを食べる生物も熱水噴出孔周辺に生きる生物だ。代表的な「雪男ガニ」は体の表面に糸状のバクテリアを繁殖させそれを食料として生きている。そのバクテリアは熱水噴出孔から排出されるメタンや硫化水素から有機物を合成しているのである。
ほかにも、金属の鎧をまとった巻貝、ウロコフネタマガイの発見はニュースになったことを覚えているが、これも外敵から身を守るために金属を纏ったのではなく、この巻貝も、体内に取り込んだ化学合成バクテリアから食物を得ているのだが、その食物を合成する過程で有害な硫黄を発生し、それを体外に排出することで水中の鉄分と化合し硫化鉄となり、一部は黄鉄鉱となり黒い艶のある鱗を作るのである。



まだまだある。
8000メートルの超深海で生きる魚にマリアナクサウオという魚がいる。



これくらいの水深になると、生き物の分子はひしゃげられ生きるために必要な機能を発揮できなくなるという。トリメチルアミンオキシドという物質を体内にため込んで水圧に対抗するのだそうだが、それでも8200メートルが限界だと考えられている。なんでそんな過酷な世界を生きる場所に選んだのだろうと思ってしまう。また、海山周辺ではその斜面に沸き上がる海流によって深海の養分が巻き上げられ、また海流によって地盤がむき出しになるため、様々な生物がその地盤を足掛かりにして様々な生物が暮らしている。たとえばサンゴもその地盤に根付く生物だ。彼らはマリンスノーを食べる。浅海のサンゴは体の中に褐虫藻を宿してそれからエネルギーを得るのだが、光が届かない深海ではそれができない。それは珍しいものではなく、これまで知られている約5000種のサンゴのうち、3300種以上は深海に生息するサンゴだという。

第2部は深海に依存する人間社会についてだ。
海洋大循環という深海の流れがある。これは海面を波立たせて水を動かす風の力と、塩分濃度の高い冷たい水が深海に沈み込む動きによって引き起こされる。この沈み込む流れはグリーンランドの脇を通ってラブラドル海に注ぎ、大西洋の中央を南下して南極大陸まで流れ込み、再び主だった海洋の深海に流れ込んでゆき、赤道近くで温められ再び北極方向へ流れてゆく。
この流れが局地的な温度上昇を全地球に分散させてゆく働きをしている。しかし、この循環の一部が地球温暖化のせいで動かなくなり始めているという。北極の氷が解けることで海水の塩分濃度が薄くなり深海に沈み込む海流が弱くなったことが原因だ。大西洋から赤道に向かう流れは20世紀の半ばから15%も減っているという観測結果がある。その結果、この100年の間に6分の1の確率でこの流れが止まり、ヨーロッパ全体を激しく冷え込ませることになる。
また、マリンスノーは炭素固定にも貢献している。植物プランクトンが浅海で光合成をして二酸化炭素を有機物に固定して深海に沈んでゆく。その養分のひとつになるのはマッコウクジラの糞だそうだ。深海でイカなどを食べるマッコウクジラは1頭当たりおよそ50トンの鉄分を深海から運び上げそれが植物プランクトンの養分になる。その結果、大気中から年に40万トンの炭素を取り除くと考えられている。ここにも地球の大循環があるのである。
しかしこれも、商業捕鯨が行われていた頃には循環が大幅に縮小したと考えられている。
マリンスノーやクジラの糞で固定される炭素の量は年におよそ50億~150億トンになると考えられている。2019年の世界の温室効果ガスの排出量を炭素換算すると91億4000万トンだが、それに匹敵するくらいの炭素を吸収してくれていることになる。環境はどんどん悪くなっていくのだろうが、最低でもこのレベルは維持できるように環境を守ってもらいたものだと思う。
気候だけではなく、医学についても深海は大きな貢献をしてくれている。それは医薬品の分野だ。深海の海綿やサンゴからは抗がん剤やHIVウイルスを死滅させる成分が発見されている。捕食者に襲われても動くことができない動物は、複雑な化学物質を分泌することで護身用に使っている。おまけに、動かないということは研究者にとって採集しやすいというメリットがある。圧倒的な水圧、低温、光が届かない、餌が少ないという極限の環境は、そうではない環境に生きる生物よりもはるかに複雑な分子構造の物質を作り出す可能性がある。これからも新しい成分の発見は続いてゆくと考えられている。

第3部は、深海底のビジネスについて、漁業資源と鉱物資源について書かれている。
漁業資源の代表として、オレンジラフィーという魚が取り上げられている。



この魚は18メートルから1800メートルの深海で獲れる魚だそうだが、深海魚にしては意外と美味しく、日本でもヒウチダイと言う名前で流通していて、キンメダイのような味がするそうだ。この魚から得られる油脂は化粧品としても使われているそうだ。
1970年代の初めころから底引き網で大量に獲られるようになり、規制もされていなかったので乱獲が続き、1990年代の半ばにはどの場所でも急激に漁獲量が減り、2000年の最初にはほとんどの場所で漁が終了したという。
そして、鉱物資源でもマンガン団塊や海底熱水鉱床、海山に集まる堆積物から得られるレアメタルが注目されているが、この漁業資源と鉱物資源に共通するのは、再生されるまでに途方もない時間が必要であるということだ。オレンジラフィーは産卵可能まで成熟するまで20年から40年もかかるという。鉱物資源においてはマンガン団塊がゴルフボールの大きさになるまでには1000万年の歳月がかかるというし、海山に堆積する鉱物は指の太さの厚みに堆積するまでに数百万年も必要だという。
どちらも一度取ってしまうとなかなか元通りにならないということと、漁獲や採掘の過程で破壊される環境についても大きな懸念があるという。マンガン団塊を足場とする生物が死滅したり、底引き網が海底に棲むサンゴや海綿を殺してしまう懸念があり、その環境が回復するには浅海とは比べものにはならないほどの時間がかかるのである。また、熱水噴出孔は剥ぎ取られた後、そこからどんな有害物質が排出されるのかということはまったくわかっていない。
幸運にも、新海域というのは、ほとんどが公海上にあり、南極大陸と同じく、無差別な開発はいまのところおこなわれてはいない。しかし、国際海底機構という国際機構は当初では2020年に採鉱法の公表に予定で、これが公表されると、本格的な採鉱が始まるところであった。(これはコロナ禍によって遅れている。)
資源開発だけでではなく、ゴミ捨て場としても使われてきた。化学兵器の残骸や下水汚物が深海に捨てられてきた。また、アポロ13号が月に置いてくるはずであった放射性同位体熱電気転換器はプルトニウム238を格納したままトンガ海溝の超深海のどこかに沈んでいる。誰の目にもふれないからという安直な理由で廃棄されてきたものだが、今後、それらが人類にどのような影響を及ぼすかはほとんどわかっていない。

第4部では、そういった無法ともいえる深海の利用について警鐘を鳴らしている。
深海のレアメタルは、クリーンエネルギーを推進するためには欠かせないものである。日本は消費量の60%を中国から輸入しているということを考えると経済安全保障の面では領海内の深海からそれを採掘できるとすれば申し分ないのだろうが、安定的な供給と地上での鉱山開発が環境に与える悪影響に比べると深海での採掘は環境に悪影響を及ぼさないというが本当だろうかという問題提起をしている。
著者は、深海開発は絶対悪であるとは断言していないが、もっと研究を深めたうえで開発を進めなければならないのではないかと訴える。また、資源の再利用やレアメタルを必要としない機器の開発で深海に頼らない成長もできるのではないかとも言う。
それはもっともだ。生活を豊かにするためと考えられている開発が、自分たちの住む唯一の環境が破壊されては本末転倒だ。しかし、人間の欲望はかぎりがなく、早晩深海にも魔の手が伸びるというのも確実なのではないかと思うと悲しくなるのである。

この本の口絵にはこの世のものとも思えないような美しく奇妙な生物の写真がたくさん掲載されている。こういった貴重な生物を危機に陥れてまで人は幸福と便利を追求しなければならないのかということはやはり考えなければならないのだと思うのだ。

最後に、ご法度かもしれないが、その口絵のページを残しておこうと思う。これを見るだけでもこの本を読む価値があると思うのだ。

      
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