イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「人口戦略法案」読了

2022年12月30日 | 2022読書
山崎史郎 「人口戦略法案」読了

日本の人口減少というのは密かな大問題となっているそうだ。1967年に1億人を突破し、2008年の1億2808万人をピークに人口が減り始めた。人口問題研究所というところが5年ごとに発表する「将来推計人口」の中位推計では、2053年には1億人を切り、2060年には9284万人、2090年には6668万人、2110年には6000万人を切り5343万人になると推計されている。こんな未来の話は僕にはまった関係がないと思っていたがそうでもなさそうだ。
僕にとって関りがあるのは、僕の年金を払ってくれるひとがいったいどれくらい残っているのかという問題だが、単純に、僕の上の世代のひとたちが寿命を迎えると人口比率としては僕を支えてくれる人が多くなってくるはずだからそのまま人生を逃げ切れるかと思っていたが、社会人生活も逃げ切りに失敗したように前途は多難のようである。
2010年10月1日現在、28.8%の高齢化率(65歳以上人口比率)は下がるどころか増えるいっぽうで、2053年には38%を超え、2110年までそのままの比率を維持するという。2053年というと僕は90歳。ひょっとしたらしぶとくまだ生きているかもしれない。そんなときになって年金がもらえないとなって野垂れ死にするのはちょっと困る。

つい最近、ワイドショーか報道番組で元厚生労働省官僚が人口減少をテーマにした小説を書いているということが紹介されていて、一度読んでみようと予約をしてみた。
書架から出されてきた本は電話帳のようなボリュームがあり、本編537ページの大作だった。さすがに何千ページもの資料を作っては読みこなす官僚が書いたものだが僕も登山のように少しずつ読み進もうと思う。

本の構成は、小説仕立てだ。人口減少問題というのは様々な要素が複雑に絡み合うため、論文形式よりも小説の登場人物に様々な立場から語ってもらったほうがよくわかるだろうということでこのような形での出版となったらしい。小説家としてはかなり素人らしく、企業の研修で見せられる退屈なビデオのようなストーリー展開ではあるが、その内容は確かに濃密であった。

物語は、現役官僚がこの問題に危機感を覚えたことから始まる。内閣に働きかけ、政策として人口減少に歯止めをかけるべく制度を作り上げてゆくというもので、そのストーリーの中に様々なデータが盛り込まれている。そこに提示されるデータは生々しく、提言は本当に実現するのかというのはともかく、なるほどといえるものであり、政策やそれを遂行する法案というのはこういう過程を経て出来上がっていくのだなということがよくわかる。
日本の人口減少の原因となったものは何か。現状の制度問題点は。他国の現状は。成功した国は何をしたか。そしてそれらを参考にした日本のための制度とは一体どういうものなのか・・・。さすがの500ページだから情報は盛り沢山だ。
しかし、この本を読んでいると、制度という器を作ったとしても、日本人の心理がすでに人口減少を食い止めることができなくなっているのではないか。逆にいうと、こういう人たちはそういった日本人の心理をほとんど理解していないのではないかと思えてくるのである。
まあ、それを知ってしまってはどんな行動も起こせなくなってしまうのではないかとも思えるのでそれはきっと知らないということのほうが正しいとも思うのであるが・・。
その、僕なりに考えた理由は後ほど書こうと思う。

先に書いた人口推計や高齢化率ももちろんこの本に書かれていたものだが、まず、日本がそんな人口減少局面に至った理由はこうだ。

それは1868年の明治維新から始まる。日本が近代国家として船出を始めると、人口増加率は1%を超え、1920年代後半には1.5%を超えていた。日露戦争以降は人口規模と経済力によって日本は“大国”とみなされるようになる。その後も自国の力と地位を向上させるべく、1941年には「産めよ、殖やせよ。」のスローガンのもと、第二次世界大戦によって大きな人的損失を蒙ったにもかかわらず1945年時点の人口7200万人というのは世界最大級であったという。
終戦後、日本の出生率は4を超え、1949年には年間出生数が269万7000人と最多を記録した。これが第一次ベビーブームである。
この急激なベビーブームと海外からの引き上げによって、人口が急増したため、当時の政府は人口増加の抑制を緊急課題と考え、1953年には人口問題審議会が設置され、人口政策が審議された。当時、人口増加を抑制する方策として考えられたのが、「受胎調整」と「移民」である。ここでいう移民とは海外への移住ということである。
「受胎調整」のほうは官民あげての産児制限運動として強力に展開された。1948年には優生保護法が制定され、助産婦などが「受胎調整実地指導員」となって集団指導や個別訪問による個人指導を行ったという。いまではこれは明らかに基本的人権の侵害ではないかと思えるような活動だ。
こういった活動がある意味奏功し、出生数は1949年から1950年にかけて一気に36万人も減り、1957年には出生率が2.04にまで低下した。
日本が目指したのは「静止人口」という、出生数と死亡数が均衡する人口増加率がゼロの状態であり、1957年から1974年の間は1966年の「ひのえうま」の例外を除き出生数は「2」前後と安定的に推移し、静止人口が実現したとみられた。

しかし、1974年に人口審議会が決定した2回目の人口白書では、天然資源の輸入に頼る日本が、「増加が予想される人口をいかにして扶養すべきかということが多大の関心をひくようになった」とし、「出生抑制にいっそうの努力を注ぐべきである」と提言した。
これは、第二次ベビーブームの到来やオイルショックによる経済低迷がその背景にあるのだが、加えて、1975年の国連の「世界人口会議」において、「家族計画の優等生」とみられていた日本の発信力が期待されたということが影響したという。誰かがカッコつけたかったからというのが今の日本の人口減少につながっているというのはあまりにも日本的で滑稽でもあるのである。
1980年代になると、晩婚化が進み、出生率は下がり続けたものの、それは出産の先送りにすぎず、「キャッチアップ」という効果で理解され人口減少に対する懸念は示されることはなかった。戦前の「産めよ、殖やせよ」という出産奨励に対する忌まわしい記憶が出生については公が関わるべきではないという社会的な風潮があったことと、当時はすでに高齢者対策にかかりきりであったという事情もあった。
期待された第三次ベビーブームは1990年代後半から2010年代前半であったが、金融システムによる経済危機やリーマンショックでそのブームはおこらなかった。そして、2005年には出生率は過去最低の1.26まで落ち込むことになる。
総括すると、1970年代半ばまでは政府の「作為」によって、80年代にかけては政府の「不作為」が反映されているといえる。そして、人口減少はいったん動き出すと止まらなくなるのである。

他国ではどうかというと、例えば、スウェーデン、フランス、イギリス、アメリカでは、1970年頃には概ね2の近辺にあった出生率は女性労働参加率が高まるにつれ、いったん下がったけれども、2017年時点では1.8あたりに回復している。スウェーデンでは長期的な公的な雇用と出産の両立支援、アメリカでは民間企業主導柔軟な働き方の影響で女性の子育てと賃労働の両立がしやすくなったと考えられている。フランスでも「育児親手当」が1985年に導入されたことがキャッチアップを可能とした。

日本での支援策はどうかというと、育児休業の制度化は1991年、育児給付制度の導入は1995年であった。そして、現在でも十分な両立支援が行われているとはいえない。
僕も知らなかったのだが、こういった支援は雇用保険で賄われていたということだ。まあ、たいして気にしたこともなかったのだが、同僚で育児休業している人たちはなんらかの公的保障を受けていると思っていた。雇用保険が賄っているのだから、非正規の人たちやもちろん専業主婦などもその対象外であったのだ。

この小説の主人公である厚生労働省出身の内閣府参事官はそういったことを憂い、新たな人口減少対策である「子ども保険」という制度を立案する。
育児休業手当や児童手当を就業中の人たちだけでなく、妊娠を機に退職した人や専業主婦にまで幅広く支給することで子供を産みやすく、育てやすい環境を作ろうというものだ。
その総額は10.2兆円。財源は2000年に始まった介護保険と同じ社会保険方式である。国民拠出、企業拠出、公費で賄われると想定している。社会保険方式というのは、確実に財源を確保できるという意味で政策を実行しやすいというメリットがあるそうだ。
それに加えて、政策には不妊治療、結婚支援を合わせた三本柱が子その全容である。
不妊治療は晩婚化、高齢出産への対応だということだ。人間には妊娠適齢期というものがあって、女性では25歳~32歳だと言われている。そういったことを広く知らしめてライフプランを立てるように促す事業と、不妊治療を受けやすくする事業である。
体外受精などはすでに公的助成を受けられるそうだが、2018年に生まれた子供のうち、体外受精による出生数は5万6979人で16人に一人に相当する。クラスの二人は体外受精で生まれていると聞くと、そんな時代なのかと驚いてしまう。
結婚支援についても、男女の出会いの機会が少ないという調査結果から導入された。
若者の東京一極集中で、若年女性の3分の1が東京で暮らしているという事実と、その東京都の出生率が全国最低であるという事実から、出産、育児の環境が比較的整っている地方への分散、もしくは生まれた土地でそのまま生活を続けてゆける環境づくりである。
これは地方創生にもつながる政策でもある。

大体、日本の人口減少というのは、きっと、日本人にエロさが無くなってしまったからだと思っていたけれども、それだけではなくこういった社会的、政治的事情もあったのだということがこの本を通してわかったのである。
そのエロさという部分で、器を作ってもすでに日本人の心理が追いつかないのではないかと思うのである。日本が世界の中で抜きんでているアイドルやアニメというような一種偶像崇拝的なコンテンツが、玩物喪志という現象を引き起こして現実の生殖活動に向かえなくなっているのではないかと思うからである。結局、人間も生物である。生殖活動が滞ると子孫を残すことができないのである。
韓国でも人口減少は深刻らしく、かの国でも僕の能力では見分けがつかないほど同じような顔のアイドルが目白押しである。そういった物たちに毒されているということも人口減少のひとつの要員ではないかと思うのである。すなわち、エロさが無くなったのである・・。

それはさておき、小説のほうは、総理大臣が2020年代のどこか未来にこの法案を急いで通そうとする。
その理由は、先に書いたように、第二次ベビーブームの子供たち、すなわち、第三次ベビーブームを担うはずであった1990年代前半に生まれた若者が妊娠適齢期を超えてしまおうとしているといくことだ。おりしもコロナショックの最中、結婚する人口も出産する人口も極端に減ってしまっている。このボリュームの人口で出産率が激減してしまうともう、出生率が多少上がったとしても人口減少の流れを食い止めることができないと考えたからである。もう、待ったなしの状況であると総理は考えたのだ。
このままの推移で日本の人口が減少してゆくと、2100年には高齢化率が4割近くになるというのも先に書いたが、それが、9000万人、約1億人の人口を保つことができれば27%くらいまでに抑えられるという。6000万人の人口で小国として幸せに生きればいいではないかという議論もあるが、そもそも地政学的に日本が小国になってしまっては隣国との関係を保つこともできないのであるが、それより深刻なのが高齢化率なのである。
移民でそれを補うという考えもあるが、同じく2100年に1億人の人口を維持するためには日本人口の20%を外国人で埋め合わせをしなければならなくなりそうだ。もともと単一民族で成り立ってきた日本では生理的にも受け入れることは難しいだろう。だから子供保険が必要だと主張するのである。
しかし、この法案は衆議院を通過したものの、参議院では廃案となってしまう。総理の体調不良、そして、これから先、日本人すべてにこの問題を深刻に受け止めてもらうためにあえて廃案に持って行ったのだというところは政治家や官僚というひとたちはこういうことまで考えて動いているのかと思うと生々しく思う部分であった。

2022年の暮れを迎える今、現実の日本ではそれよりも防衛費を5年間で43兆円確保するのだということだけが話題になっている。小説の中でも法案を通す前に国民負担に理解を求めるためできるだけ早く発表するのだというくだりがあるが、この防衛費も同じような流れで早い目に発表されたとニュースでは流れていたが今の日本では出生率よりも防衛費のほうが大切なようだ。もちろん、子供がたくさん生まれても国が滅びていれば元も子もないとは思うのではある。
昨日の新聞を見ていたら、首都圏から地方への若者の移住を促すのだとか、出産一時金が42万円から50万円になるのだと書かれていたが、小説にでてくるような包括的な政策ではないような気がした。
元官僚である著者は、現役時代からこういう危機感を抱いておりそれを改めて世に訴えたというが、いまだそんな法案が検討されているというようなニュースも聞かない。小説のデータからすると、今からでもすでに遅きに失しているというのに・・。

人生の入り口と出口に手厚い保障をしようという考えはありがたいものではあるが、小説の法案では、「子ども保険」に必要な財源を確保するための成人ひとり当たりの平均の保険料は月額3600円、年間では約4万3000円・・。介護保険も払い続けるとなるとこれは相当な出費である。
将来、年金制度を支える子供を増やすための費用なのだからすべては国民に還元されるものであるというものの、介護保険は将来貰えるからとあきらめはつくが、直接的には二度と子供を育てることなどない僕にとってはかなり受け入れ難い案である。
それに加えて、介護保険は介護ビジネスというものが付随してくるのでこれを利用して儲けてやろうという人たちの後押しがあるが、子ども保険案ではほとんどが現金給付だ。だれも儲けないのだから業界の後押しもないだろう。
票にもカネにもならないことには誰も見向きはしないというのが現実なのだろうか。
そう思うと、1990年代前半生まれの若者の出産適齢期をやり過ごしてもなお、人口減少問題はほったらかしになっているのに違いない。
きっと僕の老後も逃げ切れない状況になっていきそうである。逃げ切ろうとするならば、僕の人生を70代前半で終わらせるしか方法がなさそうである・・。

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